第20話 土下座
「でも、画像を送っても、名前も住所も送ってないんでしょ?」
俺は確認するために聞いた。
普通、アプリの中とはいえ、個人情報まで書き込む人は多くない。
ただ、焦っている時ほど、人は余計なことを喋る。会話の流れでぽろっと言ってしまったのかもしれない。
「ううん、住所とかは教えてない。名前は……下の名前だけ、言ったかも。学校名は言ってない。制服も見せてないし……たぶん」
たぶん、が不安を呼ぶ。
「画像は、顔まで映ってた?」
相澤くんがびくっと肩を揺らした。
「……顔は、映ってると思う。前進を姿見で写したから……。でも……部屋の壁とか、ベッドとかは映ってたかも」
俺は頭の中で被害範囲を組み立てる。
下の名前だけ。住所なし。学校名なし。顔あり。背景は自室の一部。
最悪ではない。
でも、無傷でもない。
未成年の性的画像は、そもそも持っている時点でアウトだ。拡散も、所持も、脅迫も、相手にとって大きなリスクになる。
だから本来なら、相手だって簡単には表に出せない。
ただし、そんな理屈が被害者の恐怖を消してくれるわけじゃない。
「本当に送られたらどうしよう」という恐怖だけで、人は十分追い詰められる。
「名前も住所も分からないなら、アプリ消して黙った方がいいよ」
「う、うん。……その文章が送られてきてから、すぐアプリは消したんだ」
相澤くんは俯いたまま、膝の上で拳を握りしめている。
「だけど……インスタに、そいつからメッセージが来たんだよ……」
相澤くんの手が震えている。
コップを掴む力が入りすぎて、指先が白い。
「お金を払わなかったら、フォロー、フォロワー全員に写真送るって……」
美桜が息を飲む気配がした。
隣で、俺の手を握っていた美桜の指が、ほんの少し固くなる。
「インスタのフォロワーに……学校の友達とか、いるんだよ」
相澤くんは頭を抱えた。
さっきまで強がっていた肩が、急に小さく見える。
「だから、だから明日までに十万円集めないと……俺の画像が友達に送られて、もう学校に行けなくなるんだよ」
その言葉が、胸の中で重く転がった。
俺は一瞬、言葉が出なくなった。
学校に行けなくなる。
今の相澤くんにとって、それはたぶん本気で「人生が終わる」と同じ意味なんだ。
「……なんで、その人にインスタのアカウントがバレたの?」
「たぶん……アカウント名と、アイコン画像を、アプリと同じにしてたからかも……」
相澤くんは、もう観念したみたいに話し出している。
壊れた蛇口みたいに、止めようとしても言葉が溢れてしまう。
「……相澤くん。どんな画像を送ったの? 写真があれば見せて」
俺が言うと、美桜が「え?」って顔でこっちを見た。
相澤くんも、耳まで真っ赤になる。
しまった。
警察官だった頃の癖が出た。証拠確認を優先してしまった。
でも今の俺は、同級生の女の子で。相手は思春期の男子だ。恥ずかしい画像なんて、見せられるはずがない。
「……ごめん。今のは忘れて。えっと……顔、映ってるんだよね? もう少し詳しくて教えて」
相澤くんはもじもじして、最後に絞り出すように言った。
「……正直、分からない」
「はぁ? 分からないって何?」
美桜が鋭く突っ込むと、相澤くんは上半身をのけぞらせて慌てた。
「違う違う! ビデオ通話だったから、相手にどういう画面が送られたか分かんないんだよ!」
「スマホにも保存されてないし……それに相手の画像はピンク色っぽくて、ほぼ見えなかったんだ」
相手のカメラは、指か何かで隠していたんだろう。
画面録画をして、こっちだけを撮る。
胸の奥が冷えた。
「インスタのDMを見せて。何か分かるかもしれない」
「確かに。朱音って、そういうの調べられそうだもんね」
相澤くんがポケットからスマホを出した。
でも机の上に置いてから、なかなか手を離さない。置いたのに、まだ持っているみたいに指を添えている。取られたら終わる気がしてるみたいに。
「あぁー、じれったい!」
美桜が勢いよくスマホを取り上げた。
「あっ」
相澤くんが名残惜しそうにスマホを見て、それから諦めたように目を逸らした。
美桜は画面をいじるけど、すぐ俺に渡してくる。たぶん、どれがインスタか分からなかったんだろう。あるいは、あえて俺に委ねたのか。
インスタを開くと、ユーザーネームが出た。
『本気出したら強い俺』
痛い。
痛いぞ、相澤くん……。
アイコンは相澤くんの横顔。白黒加工で本人感を消してるつもりなんだろうけど、逆に背伸びが透けている。中二病全開だ。
横から覗く美桜の目が、すっと冷えた。
見下ろすって感じだ。
そこに触れたら可哀想すぎる気がするから、投稿の中身には触れず、DMを開く。
複数のメッセージが並ぶ中に、金髪の女性っぽいアイコンがあった。アカウント名は、英字と数字の適当な羅列。プロフィール文には、簡体字が少し混じった短い文章が入っている。いかにも量産型の捨てアカウントだ。
「これ?」
相澤くんは黙って頷いた。
開いた瞬間、いきなり土下座の写真が目に飛び込んできた。
多分、相澤くんの部屋だ。
息が詰まる。
床に手をついて、頭を下げている。
画面越しでも、必死さと屈辱が伝わってくる。
「うわ……」
隣で美桜が小さく息を漏らした。
怒るより先に、引いた。顔が強ばっている。
相澤くんは、ここまで追い詰められてたんだ。
俺はスクロールして、最初から読む。
Christine:あなた、見つけました。もう逃げるできません。
Christine:無視するですか? あなたの汚い写真、フォロワー全部に送る。
Christine:はやく答えてください。
本気出したら強い俺:すみません。送らないでください。
Christine:土曜日午前10時まで、10万円アップルカード買いなさい。
Christine:そうしないなら、あなたの汚い体、みんなに見せる。
本気出したら強い俺:一生懸命集めたんだけど、5万円にしてくれ。もう集められない。
Christine:足りない。なら画像送るだけです。
本気出したら強い俺:本当にこの通りだ。お願いします。(土下座画像)
Christine:あなた本当に滑稽です。だが許さない。期限守る。
目がくらくらしてくる。
相澤くんは、相当怖かったんだ。
ひとりで悩んで、誰にも言えなくて、それでも何とかしようとして。必死に金を集めた。
普段は、男子の中心で、バカなこと言って、クラスの空気を回してるやつが。
その「普通」が、今、ぐしゃぐしゃに潰されようとしている。
「……五万円にしてくれって、ほんとに頼んだの」
俺が小さく聞くと、相澤くんは俯いたまま頷いた。
「……だって、もう無理だったんだよ。友達から借りて、家の金も少し抜いて……それでも足りなくて。でも、送られたら終わるって思って……」
声がだんだん細くなる。
「学校で広まったら……もう無理なんだよ。ずっと言われる。きもいとか、ばかとか、裸送ったやつとか。絶対みんな知るじゃん。そしたら、もう学校なんか行けない……」
美桜がぎゅっと唇を結んだ。
さっきまで怒っていたのに、今は何も言わない。言えないって顔だった。
胸の奥に、熱いものが湧いた。
怒りだ。
未成年を食い物にして、画面の向こうで笑ってる相手への、純粋な怒り。
俺はChristineのアイコンをタップした。
投稿はゼロ。
フォローもフォロワーもない。
プロフィール文は短く、簡体字が少し混じっているだけで、まともな言葉は何もない。
やっぱり、捨てアカウントだ。
現実に学校や家に来る可能性は低い。
脅しは「現実の暴力」じゃなくて、「拡散の恐怖」を使ってる。
問題は、そこだ。
画像の扱い。
そして、フォロワーに送るという脅しをどう止めるか。
俺はスマホを持ったまま、息を整えた。
これは、ただの中学生の馬鹿な失敗で終わらせてはいけない。
相澤くん一人を責めて終わる話じゃない。
相手は、未成年が一番怖がるものを分かった上で脅している。
そこまで分かっていて、見逃せるわけがなかった。




