姉にも解決策はない
結果としてフランはローランドとダンスを踊ることはなかった。
ドレスを着る代わりに、ダンスは踊らないと交換条件を出したのだ。
条件が成立し、なんとかダンスは回避できたと思っていたのは、
フランだけで、その時点ではもう、ローランドとの婚約は公のものとなっており、
もはやダンスを踊ることはさほど重要ではなかったのだ。
刺繍対決を引き分けたはずなのに、
なぜか、追い詰められている状況を作り出しているローランドの、
用意周到さに尊敬しつつ、自分の迂闊さを嘆いた。
ただ、王家の舞踏会に参加して悪いことばかりではなかった。
というのも、一の核時代に親しくしていた男爵夫人と再会したからだ。
男爵夫人はこの日は、マダムの仕立てたドレスに、
フランがさした刺繍の部分を再利用して身に着けてくれていた。
自分の刺した刺繍を気に入って大切にしてもらえている事実は、
フランの気持ちを明るくした。
その後もフランの気持ちが追いついていかないまま、
婚約式は執り行われ、大々的に婚約パーティが開催されと順調に事は運んだ。
そこにフランの意志は介在していないが、不思議と前ほど、結婚に抵抗感はない。
侯爵家に嫁入りするための勉強については、
アンリスタの領主教育を受けていたこともありすんなりと身に着けることもできている。
怪我の功名である。
そしてあと、1か月もすればフランはローランドと結婚することになる。
ということで、フランは自分のウェディングドレスに刺繍をしているところだ。
実はこれにはひと悶着があり、
どうしてもウェディングドレスに自分で刺繍をしたいフランと、
マダムアレクシアンに刺繍をさせたいローランドで意見が割れた。
再び刺繍対決をして、再び引き分けた二人は、
(なお、この対決で立会人になったのは、恐れ多くも王太子妃だった)
ルイローゼから妥協策としてウェディングはフランが、
結婚式後のパーティでのドレスはマダムアレクシアンが刺繍することで落ち着いた。
この時は前回の失敗を教訓に、フランが引き分けた場合は、
ルイローゼに決めてもらいましょうと提案したのだ。
ローランドの姉に決めてもらうとはフランもなかなか豪胆なことをしたものである。
「お姉さまはいつからこれほど刺繍にこだわるようになりましたの」
リリアンの一言にフランが手を止める
「確かにもともとよく刺繍をしておりましたが、これほどのめり込むことはなかったとおもうのですけれど」
「…そうねぇ。そういえばいつからかしら」
言われてじっくりと考える。
きっと一の核時代だ。
生活するためにはお金が必要だった。
そのため、自分にできることは、今は亡き異母妹に教えられた家事だけだった。
それだって、最初は失敗の連続だった。
なんといっても料理は時に爆発するし、掃除は散らかることも同意語だとも知った。
なんとかこなせるようになって奉公に出たものの、
いつの間にか「倒産を呼ぶ女」といわれてどこも雇い入れてくれなくなった。
そのころ異母妹がなくなり、途方に暮れていたところをマダムに救われたのだ。
最初は店番として。
そこで本にのめりこみ、徐々に好きだった刺繍の図案を考えるようになった。
刺繍で褒められたことはフランにとっては人生を変えたのだ。
ずっと両親の都合のいいよくできた長女だったフランは、
我慢して自分が犠牲になればいいと思う節があった。
けれど、それではダメなのだと知ったのも、一の核だ。
アンリスタのこともそうだ。
もっと早くに自分の手には負えないと、両親に強く言えばよかったのだ。
都合のいい長女というポジションはフラン自身がよしとしてしまった結果だ。
本当に刺繍のおかげで、人生は様変わりしたのだ。
ローランドが言っていた通り、フランの人生において一の核時代は無駄ではなかったのだ。
ただ、その結末として、結婚に至るとは思っていていなかっただけで。
あれからローランドは婚約者としても申し分のない行動をしてくれる。
不満ははっきり言えばない。
結婚まで流された感じもあるが、今回ばかりは最終的に決めたのはフランだ。
確かに断れない立場ではあるが、本当にいやだったら、前のように家を出ればいいだけだ。
ただ、今は。
あのころと違う意味で責任があることも理解できる。
なにより、結婚をする理由はさまざまあるけれど、結婚しない理由は思い浮かばないのだ。
ローランドと結婚しないという理由が。
結婚後の生活に大きな不安はあるが、
ローランドといれば、なんとかなるという気持ちもある。
刺繍以外でフラン自身をほめてくれたローランドなら、
結婚生活がさほど悪いものにはならないと思うのだ。
信頼もできる。
結婚を心待ちにしている花嫁という気分ではないが、
悪いようにはならないと思う。
このようにして刺繍はフランに思考の安定や整理をもたらしてくれるから、好きなのだ。
「一の核時代に、生きていくために刺繍を始めたら、褒められたのがうれしかったのよね。
私の人生において、都合がいいからという理由で褒められたわけじゃなくて、
純粋にほめてくれたことが」
「……ごめんなさい。私もかなり我儘を言っていたから」
「なんだ、そんなこと。アンリスタに比べれば、些細なことよ」
と、フランはいうが、些細どころではなかった。
リリアンは親友たちから一時、絶交を言い渡されたくらいには、
姉にひどいことをしたのだ。
姉はぼんやりしているところがあると思っていたが、違う。
自分と違って器がでかいのだと思う
(いや、実際はどんくさいだけなのだが)
「そういえば、アンリスタが式に参加するそうですけど、色々と大丈夫ですか」
あのアンリスタがおとなしくしているとは到底思えないのだ。
何かをしでかしそうで怖い。
「それは、大丈夫よ。フィールド辺境伯もお招きしているから。監視者がいれば、あの子も下手なことは出来ないと思うわ」
アンリスタは辺境の地へ贈られた後、
何度も父に戻りたいという手紙を送り、それが無碍にされると、
今度は何度も脱走を試みて、そのたびに連れ戻されていると聞く。
それでも果敢に逃げだそうとアタックするのだから、
この根気と根性をたたき直せれば、
ある意味でいい騎士になりそうだとローランドが言っていた。
ぜひとも、アンリスタには、逞しい騎士になってほしいものだ。
実は、フランは密かに一つだけローランドに対して疑念を持っている。
というのも、ローランドは「結婚してくれたらマダムアレクシアンを紹介する」といっていたが、
結婚を決めた今でも会わせてくれないのだ。
確かに「結婚をしてから」という意味だろうが、
いい加減、会わせてくれても良いのにと思う。
それに、ここのところ、ローランドは結婚の準備で忙しいとのことで、
フランのもとを訪れていない。
半年前までは3日とおかずにお茶に来ていたのに。
そこで浮気を疑わないのはフランの良いところであるし、
ローランドを信頼している証でもある。
フランは実は、マダムアレクシアンはルイローゼではないかと疑っている。
それならば、今までのことが理解も出来るのだ。
それをいつ切り出そうかと迷っている。
結婚式まではあと一ヶ月。
いまは他のことに気をとられている場合ではないと思い直して、
フランは刺繍を再開する。
***
刺繍で忙しい人間は、ここグリーンフィールド侯爵家にいる。
言わずと知れたローランドである。
「姉上、今は忙しいのですよ、私は」
ローランドが刺繍の手を止めないままルイローゼに視線を投げてよこす。
「忙しいのはわかっているわよ。だから様子を見に来たのでしょう」
「忙しいのがわかっているのなら、遠慮してくださいよ」
向かいで仁王立ちするルイローゼを見て、ローランドは刺繍の手を止める。
「何をしにきたんですか。」
「あなた、いつ、フランに刺繍のことを打ち明けるの?」
痛いところを突かれたとばかりに、ローランドが刺繍の手を休める。
しばし、逡巡したあと、おもむろに、けれど、ちょっと言いにくそうに言葉にする
「……その……伸ばし、伸ばししているうちに言い出す機会を逸しまして…どうしようかと…思案しているところです」
そすがのルイローゼも呆れて二の句がつけない様子である。
「さすがに、お姉様にも解決策はなくてよ、ローランド」
姉と弟は、別の意味で同時にため息を吐いた。




