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第二話【怪談と少年】7



 こんな状況で子供とはぐれてしまうなど、危険すぎる。ついさっきも、顔を青くしながらふらついていたというのに。

陸は解決を依頼された所員として、あってはならない事態に歯噛みする。


「陸」

「っ!」


そんな彼の焦りに、紫織は冷たく名を呼び落ち着かせた。


「己のすべき事を、見失わないこと」

「はい…」


陸は弓を握り直し、改めて周囲を見回す。

 蝶も割れた皿も消え静寂を取り戻した家庭科室、窓の外は黒く、廊下の薄暗さも変わらず、異空間に閉じ込められたままだ。七不思議を全て解決したと思われたが、そうではなかったのか。

七不思議の中に子供を拐うといった内容のものは無かったが、事実、博が拐われている。どんな怪異によるものなのか分からない以上、闇雲に動いても無駄に時間を浪費するだけ。

どうにかして、解決の糸口を見つけるしかない。


「糸!!」

「うわっ!」


 考え込んでいた陸が突然、隣に立つ尚樹の肩を掴んだ。


「尚樹君!きみなら何か視えるんじゃないか!?」

「は?」

「トンネルの時みたいに、糸が視えたりしないか?」


言われて、尚樹は意識して辺りを見渡すも、黒い靄が邪魔をして、見通すことが出来ない。学校全体が異常であり、まだ力のコントロールが出来ない尚樹には、特定の気配だけを追うことが難しかった。

 首を横に振る尚樹に、落胆の色を隠せない陸が肩から手を離した時、突如電子音が鳴り響いた。音の出所を三人が辿れば、それは尚樹のスマホからだった。この空間に閉じ込められてからずっと圏外だったはずのスマホが、着信を告げていた。尚樹が恐る恐る画面を確認すれば、発信元は藤東青維と表示されている。


「これ、出ても大丈夫なのか?」


幽霊や怪談に詳しくはないが、ホラー映画などの定番として、こういう時に掛かってくる電話は偽物で、襲われる切っ掛けになったりするのではと二人へ問いかけた。


「大丈夫だと思うなぁ」

「そうね」


あれだけ色々警戒をしろと言ってきたのに、あっさり返されて尚樹は拍子抜けした。


「事務所じゃなくて、所長からだし」

「それ、関係あるのか?」


 尚樹のスマホには、神霊事務所の固定電話と、青維と陸それぞれ個別の番号が登録されている。大学に居た時とは違い、今回は青維個人のスマホから掛けてきているらしい。


「いいから早く出なさい。これ以上青維様をお待たせしたら…」


紫織の鋭い視線に肩を揺らして、尚樹は慌てて通話ボタンをタップした。理不尽だと言い返す度胸はない。


「も、もしもし…?」

『お疲れ様、尚樹君』

「所長、なんだよな?」

『ここでその警戒が出来るとは、成長したね』

「…切っていいか?」

「いいわけないでしょう!?青維様!」

「所長!俺達、怪異の領域に取り込まれてて…どうやって連絡を!?」

「おい近いんだよ離れろ!」


スマホを持つ尚樹に、二人が両側から捲し立てる。


『ふふ、みんな無事なようでなによりだ。今、とある御方に力を貸していただいてね。少しの間だけど、繋げられたんだ』

「ご無理をされてるんじゃ…」

『ありがとう、大丈夫だよ。さ、長くは持たない。状況を説明してくれるかな?』


穏やかに話す青維に、陸と紫織が胸を撫で下ろす。そんな二人に首を傾げつつも、尚樹はこれまでの経緯を手短に話した。


『ふむ、もしかしたら、君達を閉じ込めている領域の主と、七不思議は別なのかもしれないね』

「それって…」

『強大な怪異が、さらに大きな力を求めて七不思議ごと取り込んだのかもしれない』

「つまり、ここから出るにはその元凶をどうにかしないといけないってことか?」

『恐らくね』

「また元凶かよ…」


 尚樹は電話の向こうに居る青維へ、見えないと分かりつつうんざりとした表情を浮かべた。トンネルの時にも思ったが、怪異ってやつは、元凶を置いておかないといけない決まりでもあるのだろうか。面倒なことこの上ない。


「はぁ…で?その元凶とやらは何処に居るんだ?」

『そればかりは、私には分からない。そこに居る君達にしか、見つけ出せないよ。ただ、そうだね……七不思議と領域の主は別だけど、繋がりが無いとも限らない』

「繋がり、ですか?」

『同じ学校で生まれた怪異だからね。よく見て、考えてごらん。…あぁ、もう時間だね。君達ならやれるさ。それじゃ、頑張ってね』

「まっ…切れた」


通話を終えたスマホを睨みつつ、尚樹は二人へと向き直る。


「考えるって、何を?」

「領域の主に辿り着くために、繋がりがあるらしい七不思議を、もう一度よく考えるべきかな」

「でも、七不思議は全部解決したんだろ?これ以上どうしろと?」

「……七不思議の意味はどうかしら?」

「意味?」

「一つ一つの内容ではなく、どうして七不思議が生まれたのかを考えるのよ」

「そうか!人の生み出す怪異には必ず意味がある!」

「そんなの、子供のノリって言うか、遊びで出来ただけじゃないのか?」

「それにしては、出来すぎているんだよ」


三人は廊下から家庭科室へと戻り、机の上に七不思議を写した紙を広げた。


「尚樹君も、小学生にしては凝ってるって言ってたろ?」

「あぁ」

「もしかしたら、切っ掛けは子供じゃないのかもしれない」

「教師がやったと?」

「そこまでは……ただ、話がちゃんと広がりすぎてる。子供の伝言ゲームなんて、途中で内容が変わってもおかしくないのに、全てそのまま噂されてる」

「確かにそうね」

「七不思議を教えてくれた子は、それぞれ別の友達から聞いたと言っていた。噂を広めた人物は分かってたんだ。七つ全てを伝言するのは子供には難しいから、一つずつ分けて話した。そして、どこかで纏められて伝えられると」


 一つずつ正しく噂が広がり、いつしか全てを纏めて知る存在が現れる。

その瞬間『尾桜第一小学校の七不思議』と言う、怪異が生まれたのだ。

怪異は、認識した人が多ければ多いほど力を得る。一度生まれてしまえば、多感な子供たちが力を与えてくれる。


「切っ掛けはそうとして、どうしてそんなことをしたのか?だけれど…」

「わざわざ七不思議を作って、何をしたかったのか…もしくは、何かを伝えたかったのか…」

「なぁ、これ」


 尚樹は机に置かれた、破られた自由帳を指差した。それは陸が書き写す前の、少女から受け取った原本だった。


「ここ、端が切れてるけど、数字が書いてある」


無理に破ったためにガタガタな切れ端に、所々漢数字が見えた。辛うじて読める部分から推測するに、全ての七不思議の前に、その一、そのニと数字が割り振られている。


「わざわざこう書いてるってことは、順番が関係あるんじゃないか?」


順番に意味があると考えて文字を追うが、内容を含めても特に繋がりが見えてこない。

 尚樹はこれまでの光景を思い返した。七不思議を聞いて異界に連れ込まれ、手分けしてそれを解決した。今居る家庭科室も、調査のために訪れた場所だ。異界に入る前と後で、窓以外に変わったところもない。


カサ_


尚樹の耳に、微かな音が届いた。瞬くと、壁際へと続いている黒い糸が見えた。


「尚樹君?どうかした?」


 壁側を睨むようにして黙り混んだ尚樹へ、陸が声をかけた。


「あの貼り紙…」


尚樹の言う貼り紙とは、家庭科室の廊下側の壁に貼られた、料理をする上での注意事項が書かれたポスターだった。デフォルメされたキャラクターが、手洗いや包丁の持ち方を教えている、よくあるデザインだった。

 糸は、ポスターの文字をなぞるように揺れていた。


「文字……ひらがな…まさか!陸さんペン貸して!」

「お、おう?」


尚樹は陸から受け取ったペンで、メモ帳へ何かを書き込んでいく。二人がその手元を覗けば、それは、横書きで全てが平仮名で書かれた七不思議だった。


「子供に話を伝えていくのに、漢字は使っちゃ駄目なんだ。学年によって読める漢字と読めない漢字がある。でも平仮名なら、全員に伝わる」

「なるほど!」

「あと、書きながら考えてた。順番ってのに意味があるなら、どういう場合があるのか。平仮名にすることで、それも分かった」


縦横ズレなく書かれた文字を、尚樹は二人へと示すように、左上から右下へ、斜めに一文字ずつ指を差した。


『うさぎごやのゆうれい

 さらがふえるかていかしつ

 さきにすすめないろうか

 いれかわるしょうぞうが

 りかしつのいさむさん

 いかいのかいだん

 としょしつのけいじばん』


「うらにわのいけ……裏庭の池!!」

「ただの縦読みじゃなくて斜め読みってのが、ひねくれてるよな」


 三人で学校の見取り図を囲めば、東校舎の裏、敷地の端に庭池と記載があった。無言で頷き合い、急いで家庭科室を出た。

 走って見取り図で見た池へ辿り着くと、他とは比べ物にならないほどの黒い靄に、尚樹は口を押さえた。こんなにも強く濃い気配に何故気付かなかったのかと溢せば、近付かなければバレないように隠れていたのだろうと陸が肩を叩いた。


「陸、ここから狙える?」

「無理です。標的の形がハッキリしないと威力が出ないっす」

「あの靄に入るってことか?」


 二人には見えていない靄に、尚樹は思いっきり顔をしかめる。己の中の何かが、近付くことを拒否している。


「元凶をどうにかしないと、ここから出られないからね。大丈夫、俺達を信じて」


陸と、隣に立っている紫織が真っ直ぐに尚樹へ視線を向けた。不思議と、行きたくないと荒れていた心が凪いでいく。実力や経験に差はあれど、神霊事務所の所員として来ているのだから、ここで引くことは許されない。

 深呼吸をして、覚悟を決めた。


「行こう」

「よし!」


 陸を先頭に靄の中、池の側へと踏み込む。ただでさえ暗かった異界より、さらに黒く影を落とす。ガサガサと伸び放題の雑草を踏み荒らしながら進めば、目的の池はすぐに見えた…が、それを池と呼ぶには躊躇う様相であった。

池の水は墨汁かと思うほどに黒く、煮たった鍋のように表面が泡立っている。泡が弾けるたびに飛び散る黒い水が、三人の接近に気付いたのか揺れ動く。黒い水は池の表面だけのようで、三人から離れ反対側へとスライムのように塊となって集まっていく。池の上の空中で大きな球体になった黒が、中から衝撃を受けながら形を変えていった。


「あ!?」


 不用意に射ることも出来ずに様子を窺っていた陸は、突如声をあげて池を覗き込む尚樹へ視線だけを向けた。どうしたのかと問い掛けようとした時、前からの気配に飛び退く。


「ッ!!」


立っていた場所を見れば、塊から伸びた黒いトゲが突き刺さっていた。球体はいつの間にかウニのようにトゲで覆われており、無数のトゲを四方へ貫こうと伸ばしてきた。


「危ない!」

「おっわぶ!」


池の中へ意識を向けていた尚樹へトゲが迫り、陸が庇うように間に入った。弓で叩き落としてトゲの軌道は逸れたものの、咄嗟の事にバランスを崩した尚樹は足を踏み外し、大きな水飛沫を上げて落ちた。


「尚樹くっ!」


尚樹を助けるため池へ近付く陸を、トゲが邪魔をする。周囲を見渡せば、紫織もトゲに阻まれて池から遠ざけられていた。

 街中の学校にある小さな池だ。普通なら、そんなに深さがあるわけはない。しかし、ここは怪異によって造り出された異界の中。現に、尚樹は全身が完全に水中へと沈んでしまって浮き上がっても来ない。

 陸はトゲの猛攻を避けながら、池の縁へとしゃがみこむ。何度かトゲが掠り傷が出来たが構わず池の中へ手を伸ばす。


「尚樹君!俺はここにいる!手を掴んで!!」


透明度は高くない池の中を、何度も声を掛けながら影を追って手を動かす。


「螺旋花!」


 動けない彼を守るため紫織も応戦するが全ては捌ききれず、弓でも弾けなかったトゲが陸の傷を増やす。

 早く早くと焦る中、陸の手が下から捕まれた。瞬時に全力で引き上げ、池から離れるように下がる。勢いがつきすぎて掴んでいたモノを放り投げるかたちになり、雑草の上を全員で転がった。


「げっほ!ごほっごほっ!はっ、はぁー…」

「はあっ、良かった、無事っ、で……って、あぁ!?」


 自分が引き上げた存在に驚き見開く。息を整える尚樹が、陸を掴んでいたのとは反対の腕に子供を抱えていたのだ。


「起きろ!起きろよ!」

「ん…んん……」


尚樹に揺すり起こされているのは、家庭科室から消えた少年、博だった。


「ここ、は…」

「大丈夫か?」

「うん……」


支えられながらも一人で立ち上がった博に安堵したが、まだ問題は解決していないと警戒を新たに構えるが、トゲの猛攻がぱったりと止んでいた。

 紫織が、それまではなかった疑念の色をのせた視線を、少年へと向ける。

いつ、攻撃が止んだのか、紫織は見ていた。それは、博が池から出た直後だった。彼の近くにいる陸や尚樹へも、トゲは伸ばされなくなった。


「……………」


 そんな彼女の視線に気付いているのか、博はトゲの塊へと体を向け、三人から距離をとった。


「博君?」

「あれは、オレの獲物だ」

「お前、何言って…」


博は困惑する大人を置いて、一歩、また一歩と、尚樹たちが居るのとは反対側にあるソレへ、池の上を歩いて近付いていく。沈むことなく水面を進む少年に、三人はただ見ていることしか出来ないでいた。


「オレの学校で、ずいぶん好き勝手やってくれたな。友達を怖がらせて、怪我までさせて」


 塊が、目前に迫る存在に、震えている。


「絶対に」


右手を、塊へと翳す。


「許さない」


『グッギィィィィアァァァァァギャアァァァァァァァァ!!!!!』


 化け物の断末魔を聞くのはこれで二度目だなと、尚樹は一旦現実を逃避した。

一瞬で黒い塊が弾けて消えた。それをやったのは、目の前の少年だ。どう声を掛けたものかと、誰もが様子を窺っていると……


ガタガタガタガタガタガタ__


「今度は何だ!?」

「っ、空間が、崩壊してる…?」


 真っ直ぐ立っていられないほどの地面の揺れに耐えながら見上げれば、閉じていた空間の黒い壁がひび割れて崩れていた。


「このままじゃ崩落に巻き込まれる!お兄さん!」

「俺!?」


いつの間にか尚樹の側まで来ていた博に、袖を引かれる。


「そう!ここを切って!」

「なんっなんだよ!」

「早く!!」

「あぁぁもう!分かったよ!!」


鋏を取り出して、先を少し開いて構える。

 現状を把握しきれていないが、経験の勘から尚樹の後ろへと陸と紫織が寄った。


「いくぞ!!」


博が示したのは、池を半分囲む、畔に立てられた柵だった。

振り下ろされた刃は違うことなく、木製の柵を切り裂いた。


パリーン___!!!!


 眩い光に目をつむる。揺れが収まり、次に開けた時には、閉塞的な空間から一変して、生温い風が吹き抜け、少なくも星の見える空が広がっていた。


「戻って、きた?」

「そうみたいね」

「博君は…」

「ここにいるよ」


声に振り返ると、大人の膝ほどの深さの穴に、博は立っていた。


「この穴って…」

「ご想像の通り、さっきの池だよ」

「本来はこんなに浅かったのか」

「昔はもっと深かったよ。オレの身長よりずっとね。もう六十年位前かな」

「六十年って、君はまさか…」

「そ、オレはもう死んでる。幽霊だよ」


 やはりそうかと納得の息を吐く紫織と、少なからず驚く尚樹と陸。特に陸は、あれだけ博と一緒に行動しながら、霊体だと気付けなかったことにショックも受けていた。神霊事務所の所員として、その道で生きてきた人間として、生者と死者の区別がつかないのは致命的だ。悔しさに弓を握る手が震える。

それを察したのか、博はフォローを入れた。


「お兄さんが気付かなかったのも無理はないよ。だってここはオレの学校だもん」

「さっきもそれ、言ってたな」

「オレは、この尾桜第一小学校の地縛霊なんだ。ここに縛られるかわりに、敷地内では力が増す。姿を見せることや、他人の意識をちょっと操るくらい簡単さ。幽霊の調査なんて怪しい話が、校長まですんなり受け入れてたのはオレの力ってわけ!」


 得意気に話しているが、言っている内容はあまり看過できるものではない。

人の意識に介入できる地縛霊など、観察対象として青維に報告をしなくてはと、陸はタスクを追加した。


「七不思議を作ったのは君だね?」

「うん」


子供が作ったにしては凝りすぎており、大人が作ったにしては子供っぽい理由が判明した。長年存在する子供の霊が作ったからだったのだ。


「何故、そんなことを?」


問われた博は、眉を寄せて俯いた。


「三ヵ月くらい前、善くないモノがここに入り込んだんだ。最初はすぐに消せるだろって無視してたんだけど、急に力を付けはじめて……子供たちにも姿が見えるくらい、あっという間に怪異として成長したんだ。皆が怖がれば怖がるほど力を付けて、ヤツは邪魔をするオレのことをこの池に閉じ込めたんだ」

「あれの正体は?」

「分からない。多分、最初は小さな恐怖から生まれただけの、瘴気にもなれない雑魚だった。なのに急に力が膨大して、負けて……このままじゃ学校の皆が危ないと思って、七不思議を作ったんだ。閉じ込められたとしても、ここはオレの領域だ。少しの間、一部だけ外に出て七不思議を広めた。ヤツから意識を逸らせば、認識されなくなれば力も弱まると思って…でも…」

「上手くいかなかったと」

「うん。ヤツは七不思議すら飲み込んでもっと強くなろうとした。だから新町先生に言ったんだ。神霊事務所に行ってって」

「それでうちに来たわけか。よく知ってたね?」

「そりゃー有名だもん。神と霊、どっちからも依頼を受ける事務所があるって、地縛霊のオレでも知ってるよ」

「霊歴は長いみたいだし、さもありなんか」

「まぁね。それで、狙い通りお兄さん達が来て、オレを池から出してもらおうと会いに行ったら…」

「異界に巻き込まれた、と。その時点で全部話してくれなかったのは?」

「ヤツから言えないように縛られてた。七不思議にオレの場所を隠したのもそれが理由。一部とはいえ、あまりオレが外に出てるって知られたくなかったんだけど、家庭科室でバレて連れ戻されたの」


 その後は全員が見た通り。黒い水が無くなった池の中に博を見付けた尚樹は、落ちた拍子に橙色の光に導かれて少年へと泳いだ。なんとか掴んで腕に抱えたが、そこで光が途絶えて狼狽えていた時に、陸の声が聞こえて手を伸ばした。息も限界で滅茶苦茶に探ったのにも関わらず、陸の手に当たったのは奇跡だったかもしれないとすら思うが、博が首を振る。


「この池では誰も死なせない。だから、お兄さんが溺れることもなかったよ」


博はトントンと、爪先で地面を叩く。


「ここには、オレが眠ってるから。力が一番強くなるんだ」

「え…?」

「オレはここを守るために、あえて閉じ込められたんだ。言ったでしょ?昔はもっと深かったって。子供が落ちたら、浮かび上がれないくらいには、ね」



___その日は、とても寒い日だった。雪が降ったら遊ぼうと約束をした教室から、キラリと池が光って見えた。劣化して倒れた柵を越えて近付けば、薄く氷が張っていた。

 好奇心だった。

揺らめく水の上に、立ってみたかった。一歩、二歩と進んで、薄い氷に反射した楽しそうな自分の顔を見ながら、三歩目を踏み出した時だった。浮かした足を着けようとした先に、固さがなかった。戻ろうと体重を掛けた足元が、耐えきれずに割れた。

 一瞬だった。

頭のてっぺんまで冷たい水に包まれた。手足を動かして泳いで上がろうとしているのに、どんどん光は遠ざかっていく。どうして?泳ぎは得意なんだ。ほら、こうして足を交互に……あれ?動いてない?動けって思ってるのに、手も足も、動いてくれなかった。冷たい、痛い、ううん、苦しい。体の外と中からどんどん冷えて、自分の体が、氷みたいに固まっていく。

あーあ、雪遊びしたかったな。この池、こんなに深いなんて知らなかった。危ないから皆はきちゃダメだ。いっそ、溺れないくらいの深さまで埋めちゃえ。

 感覚はもうない。冷たくも、痛くも、苦しくもない。真っ暗だけど、怖いなんて思わないし、ただじっと、揺蕩っている。

 遠退いていく意識の中、声が聞こえてきた。


『男の子が一人、行方不明なんですって?』

『そうなのよ。学校に行ったきり、帰ってこないんですって』

『嫌ね、怖いわぁ』

『ご両親も、それはもう可哀想なくらい窶れて』

『お気の毒に……あら、こんにちは先生。なぁにその荷物』

『どーもこんにちは。こりゃ学校の池を埋める土ですよ』

『あら、あそこ埋めちゃうの?池の周りも綺麗で気に入ってたのに』

『全部埋めやしません。あの池はちぃと深すぎて、管理も大変だってことでね』

『そうよねぇ。先生もお疲れ様。ちょうど暖かくなってきて、園芸日和で良かったわ』

『はい。完成したらぜひお越しください』

『えぇ、うちの子と一緒に伺います』


 すごいすごい!ほんとうにねがいがかなった。あとはそれとーこれとー、あっちもなおして、せんせい。だいくんがまたころんじゃう。それから、それから………ねぇ、もっと、ここにいたいよ。もっと、あそびたい。ごめんなさい。おとうさん、おかあさん。ごめんなさい、ごめんなさ____


「___さん、お兄さん!!」

「尚樹君!!」

「っ!!!?」


 尚樹は、震える体を抱き締めるように蹲っていた。


「お…れ…は?」

「参ったな。お兄さん、耐性ないの?」

「あ、え?」

「オレの霊力に共鳴して引っ張られたんだよ。普通、お兄さんほどの力を持ってたらオレの方があてられるのに」

「彼は、まだ力の制御が出来ないのよ」

「そうなんだ。オレの力が一番強いここだからこそなっちゃったんだろうけど、気を付けてね、お兄さん」


気を付けろと言われても、自分のことなのに何が起きたのか分からない尚樹は、困惑しつつも頷いた。


「さて、博君、この世から去るつもりは?」

「ない!」

「だよね……それなら」

「じゃ、お兄さん達ありがとう!またね!」

「あっ、こら!」


 そう言うと、博は闇に紛れるように消えた。学校の敷地内は彼の領域。追いかけることは困難だ。


「はぁ、彼のことは所長と相談して決めるとして、とりあえず一件落着かな」

「七不思議は解決したものね」

「やべぇ地縛霊残して解決でいいのかよ…」

「いいのいいの、幽霊だからって一切合切除霊するわけじゃないから…って、うわっ、もうこんな時間!?」

「事務室に戻って帰りましょう」

「そうっすね。新町先生にも報告しないと」

「っくしゅん!」


 校舎へと歩き出した二人が後ろを振り返れば、恨めしそうな尚樹の視線が突き刺さる。

彼が肩を震わせているのは、何も先程の共鳴だけが原因ではない。異界で水に落ちた尚樹は、全身が濡れていた。真冬でないのが救いだが、濡れて張り付いた衣服の不快感と、体温を奪われる寒気に震えが増している。

 陸は苦笑を浮かべつつ、歩みを再開する。


「早くお風呂入らないとな。車に俺の着替えがあるから貸すよ」


隣へ、紫織が続く。


「あなたも、怪我の手当てがあるでしょう」

「え、紫織さんが優しい!」

「そんな惨めな姿で青維様のもとに戻るつもり?」

「そこまで言います!?」


言葉を交わす二人の間に、グ~~という力の抜ける音が、数時間ぶりに響いた。


「ふっ、くっ、やっぱり、サンドイッチだけじゃ足りなかったか」


尚樹は笑う陸に軽く蹴りを入れつつ、紫織とは反対側の隣に並んだ。


「デカイ学校だし、シャワーくらいあるよな」

「先にご飯にしましょう」

「いや風呂に入らせてくれ」

「お腹を満たしてから入りなさい」

「食に対するこだわり強くね!?」

「あっはっはっはっは!」


 和やかに、賑やかに、互いのことを少し知りながら、様々な問題を残しつつも、尚樹にとっての初仕事は、無事解決として幕を閉じた。



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