短編 辞表騒動の結末
早速だが、お嬢様が拗ねてしまった。
「ぶっすー」
「あの、お嬢様? 流石にスカイフォトン公爵令嬢ともあろうお方がほっぺた膨らませて見るからに不機嫌だとこんなところで態度に出すのはまずいかと思うのですけど」
「ぶっすーですわ!!」
「……、困ったですね」
今まで色々と吹っ切れすぎているお嬢様に追いかけられていたんだけど、こう、なんか反応鈍くなった気がして振り向いたらご覧の有様なんだよね。
「お嬢様。とりあえず場所を移し──」
「ネネはわたくしのことなど嫌いなのですわ」
「ッ!? いっいきなり何をおっしゃるんですか!?」
「辞表を渡すなど、わたくしのメイドを辞めたいなど! そういうことではありませんか!!」
「いやいやっ、幸せすぎて身がもたないって言ったはずですけど!? お嬢様があんなにも熱烈に迫ってくるのは、その、嬉しかったのですが、根本的に私はある用途のために徹底的にいじくり回された存在です。ですので『普通の人間』のような耐性はないんですよ。だからこそしばらく距離を置いて、身の程知らずな願望を抱いて暴走しそうな心を冷却する時間が欲しいんです。決してお嬢様が嫌いでメイドをやめるんじゃないことだけは信じてください!!」
「……ぷいっ」
ぷいって、なんっ、そんな、可愛すぎない!? そんな場合ではないとわかっていても、それでもこう思ってしまう。そっぽを向くお嬢様もアリだよね。アリったらアリなんだよ!!
「わたくしは、ただ、ネネと一緒にいたいだけなのです。それだけですのに……」
ぽつり、と。
寂しそうに呟くお嬢様を見て、私は今更ながらに自らの愚かさを痛感した。
足を前に踏み出す。お嬢様から逃げるのではなく、おそばにいるために。
そうよね、お嬢様から逃げるだなんてトチ狂っているにも程があるわよ。いくら想定外の出来事が起こってキャパオーバーしたからって何をやっているのよ、私は!!
「お嬢様」
手を伸ばす。
お嬢様がぐちゃぐちゃに握り潰している、私の辞表へと。
力の限り、こんなの認めるものかと言うように握られたお嬢様の指を一本一本外していき、辞表を受け取る。
そして、そのまま破り捨てた。
「申し訳ありません、お嬢様。私が間違っていました」
「ね、ね……」
「私の居場所はお嬢様のおそばにこそ。こんな当たり前のことを忘れてお嬢様を悲しませるなどメイド失格ですね。ですけど、それでも、こんな私でもまだお嬢様のメイドとしてお仕えすることをお許しくださいますか?」
「ネネえ!!」
飛び込んでくる。
思いっきり私の胸に飛びついてきたお嬢様のその行動が答えだった。
……さて、と。
「お嬢様、一つお耳に入れたいことがあるのですが」
「何ですか? やっぱりメイドを辞めると言っても絶対に許しませんよ!?」
「いえ、そうではなく。私の言葉遣いで気づいてくれたら良かったのですが」
「……?」
私はあの時のお嬢様の言葉を思い出していた。
つまりは『メイドという立場もあるでしょうけど、二人きりの時くらい敬語はやめてほしいです。ネネとは対等でいたいですから』という言葉を。
つまり、
「町中であそこまで自分を曝け出すのはのちに響きそうだと思うのですが、大丈夫ですか?」
ぎ、ぎぎぎっ、と。
私の胸に顔を埋めていたお嬢様が錆びた人形のようにゆっくりと視線を周囲に向けていった。
町中、それも大通りだったからか、通行人だの出店の店員だので人が溢れていた。こりゃあ町のみんなの話題はしばらくお嬢様一色になるだろうね。
まあ、うん。
羞恥に声も出せずに真っ赤なお嬢様もアリだね!!
ーーー☆ーーー
「ネネのせいですわよ、ばかばかっ!!」
握り込んだ両手でぽかぽか。お箸よりも重たい物など持ったことありませんという生粋の箱入り娘たるお嬢様では『兵器』としていじくり回された私には……って、ここでダメージ計算だの効率的な迎撃方法だのを無意識のうちに計算するからダメなんだよね。『そういうの』はもう卒業したんだから、忘れないと。
ちなみに今はお嬢様の自室まで移動して二人きりだったりする。いやあ、大変だった。顔を赤くして小さくなるお嬢様をみんなが茶化すものだからさ。
仲良しだなって? そうだよ仲良しだよ! 痴話喧嘩見せつけてくれたなだって? 別に見せつけるつもりはなかったわよ!! もう結婚しちゃえって? そっそそっそういう妄想したことないってことはないけど私のような奴はお嬢様に相応しくないというかそもそも結婚ってのがどういうものなのか想像できてないと思うしだからそのだから別にそういうんじゃないんだから!!!!
「ネネ!! もう二度とメイドをやめるなどとっ、わたくしのそばからいなくなるなどと言わないでくださいよ!?」
「うん、もちろん。好きな人から離れられるほど私は弁えられる人間じゃなかったみたいだからね」
「ふ、ふんっ! はじめからそう言っていれば今回のようなことは起こらなかったのですからね!? 反省することですわ!!」
ああ、好き。
私は本当に、心の底からお嬢様のことが大好きなんだ。
そう、今更離れられるわけがなかったのよ。
いくらお嬢様が積極的すぎてキャパオーバーになろうとも『ここ』以外の場所で生きていけるわけないんだから。
お嬢様のおそばが私の居場所。
『ここ』が私が人間兵器ではなくネネという一人の人間でいられる理想郷なんだから。
「お嬢様。私、貴女のことが好きすぎてたまらないみたい」
「……っっっ!? ふ、ふんっ、そんなのわたくしも同じですわよ!!」
そっぽを向いてそう言うお嬢様。
それはどんな意味での『同じ』だったのか。
いいや、そもそも普通の人間ってのを知らない私はこの胸に燃える『好き』をきちんと分類できているのか、自信はなかった。
だけど、これだけは言える。
私の『好き』は町のみんなに向けるそれとも違う、お嬢様だけに向ける唯一絶対の『好き』なんだって。
お嬢様もそうなら、うん、これ以上に嬉しいことはないよね。
「大好きだよ、お嬢様」
刻むように、確かめるように、私はもう一度そう言った。そっぽを向いて、なお、隠せていないお嬢様の真っ赤な首筋を見つめながら。




