10
十
冷えたテントが顔に触れて目が覚めた。外ではすでに誰かが話している声が聞こえる。
「まだ言ってなかったの?」
「だって、タイミングもわからないし、そもそもなんて言えばいいかわかんないし」
内田先輩と渡辺先輩の声がする。
「あ、起きた?」
隣でスマホをいじっていた歩が、俺の顔を覗き込んできた。
「久地先輩は?」
「もう起きてるよ。木を取りに行ってくるだってさ」
上着を着ようと自分のバッグを見ると、一枚上着がなくなっていた。久地先輩が着ていったのだろう。昨日着たのとは別の上着を着ると、歩も上着を着てテントから出た。
「あら、おはよう」
テーブルではジャージ姿の小林先生がコーヒーを飲んでいた。俺と歩の分のコーヒーを作ってくれた小林先生は、着替えると言いテントに入っていった。
そこでちょうど久地先輩が戻ってきた。久地先輩は木をテーブルの横に積むと朝食をせがんできた。
俺はさっそく朝食の準備を始めた。今日の朝食はエッグトーストだ。バーベキューセットを出しそれに持ってきた炭を少しと、先輩が拾ってきた木も少し入れ火をつけた。
焼き網を乗せ、その上で細かいチーズを円状にして、その内側に卵をのせた食パンを焼き始めた。これが俺のキャンプのとき、いつも朝食に食べているものだ。手軽なうえにとてもおいしい。
焼き始めて少し経つと、内田先輩と渡辺先輩がどこからか現れた。
「何していたんですか?」
起きた直後に二人の声が聞こえていたことを思い出した俺は、渡辺先輩にそう聞いた。内田先輩はなぜか渡辺先輩の後ろに隠れている。
「ちょっと花を摘みにな」
渡辺先輩は服を掴んでいる内田先輩の手を引くと、俺の前に内田先輩を差し出した。
「おはようございます」
「お、おはよう!」
なんだか内田先輩が固くなっている気がする。
「どうしたんですか?」
「え!?いや、あの・・・」
やっぱり様子がおかしい。すごくおどおどしている。俺がなにかしたか?
「本当に、どうしたんですか?」
「あ、えっと・・・」内田先輩は俯いた
「・・・朝食食べたら遊びに行きたいな!」
内田先輩は勢いよく顔を上げるとそう言った。
「それだけですか?まあ、いいですけど」
そんなことを言うのにあんなに固まっていたのか?渡辺先輩に視線を送ると、やれやれといったポーズをして、ため息をついた。
内田先輩はさっきからボーっとしている歩のもとに走って行くと二人で話し始めた。
「なんなんですかあれ?」
「困ったもんだよ、美月は」
「はあ」
「気にしないでいいぞ。ちょっと勇気が足りていないだけだから。あと、優しさだな」
謎が深まっただけだ。渡辺先輩の言う通り、気にしないでおくとしよう。どのみち、今知るべきことではないようだ。
小林先生が戻ってくると、全員で近くの川まで行くことになった。水着は持ってきていないが、サンダルがある。転ばない限り大丈夫だろう。
「水鉄砲はないのかよ~」
「お前が持ってくればよかっただろう」
歩は俺の隣で文句を言いながら、石を川に向かって投げた。四回跳ねて着水したのを見て、続いて俺も投げた。六回跳ねて着水したのを見て隣を向くと、歩は悔しそうに平らな石を探していた。数回交互に投げて、歩が十回の記録を出したところで歩の勝ちが決まった。
「私も投げてみる!」
内田先輩と渡辺先輩が石を片手に来た。小林先生と久地先輩は、川から少し離れた場所にレジャーシートを敷き、クーラーボックスに入れてきた飲み物を飲んでいる。
内田先輩が先に投げると、石は二回だけ跳ねて着水した。
「女の子の力じゃこれが限界か・・・ぐぬぬ」
なんだその古い悔しがり方は。久しぶりに聞いたぞ。
「有彩ならきっとよく跳ねるよ!」
「あまり期待しないでよ」
渡辺先輩が力強く石を投げると、十一回跳ねて着水した。記録を抜かれた歩の方を見ると、口を開けてポカンとしていた。
「すごいですね」
「ありがと。こういうのは手首のスナップなんだよ」
それを聞いた歩は平らな石を拾い、また投げ始めた。なかなか記録が塗り替えられない歩を、渡辺先輩と俺は後ろから見ていた。
「テル君はやらないのか?」
「俺はいいです。もう歩に勝ちを譲っているので」
「負けず嫌いだね」
内田先輩は歩の横で平らな石を探してあげている。渡辺先輩と俺は飲み物を取りにレジャー
シートに戻ってきた。
「歩君は何をしているの?」
「悔しいんですよ。女子に負けて」
「渡辺さん負けてあげたらよかったのに」
「あんな簡単に記録を超えられると思っていませんでした」
少し歩がかわいそうだな。
四人分のジュースをもって歩と内田先輩のもとに戻ると、歩は諦めず石を投げ続け、内田先輩はどこからそんなに集めてきたのかわからないくらいの量の平らな石を、歩の横で座って積み上げていた。
ジュースをその横に置くと、渡辺先輩も積み上げるのを手伝った。絶妙なバランスで石は次々と乗せられていった。歩は積み上げられていない石を数個片手に持って、連続で記録の塗り替えに挑戦していた。
十個以上積むとさすがにこれ以上は倒れそうになり、二人はどう積めばいいか立ち上がりじっと積まれた石を見て考えていた。
「ダメだ!全然超せな――」
諦めかけた歩が振り向くと、歩の肩が渡辺先輩の肩に当たった。渡辺先輩はバランスを崩し、川の方に倒れていった。
今それが見えているのは俺だけだ。手も一歩ほど足を出せば届く距離だ。足はすでに」一歩出ている、あとは手を伸ばすだけだ。手を引くだけだ。大丈夫、間に合う。
俺が手を伸ばすと、あっちも手を伸ばしてきた。腕と腕が交差し、お互いの腕を掴んだ。その瞬間、俺の足が滑った。忘れていた。ここは足場が悪い。このままでは渡辺先輩の方に倒れてしまう。歩の横を俺の体が通過した。あ、もうダメだ――
俺と渡辺先輩はともに川の中に倒れた。俺が上で、渡辺先輩を組み敷いている形だ。二人ともずぶ濡れだ。渡辺先輩の目は俺の胸あたりを向いている。川は浅く、先輩は短めの髪の毛が浮いて揺れている。
「だ、大丈夫!?」
「有彩さん!血が!」
内田先輩と歩の声が後ろから聞こえる。途端、伸ばした手と逆の左手の甲に激痛が走った。流れる水に薄い赤色が付き始めた。
渡辺先輩の頭の後ろにまわしていた左手と、腕を掴んだままの右手でそのまま渡辺先輩を起こした。
左手の甲を見ると、血が流れていた。濡れた甲の上を薄くなった血が垂れていっている。
「あの、ありがとう。その手・・・」
俺は倒れる一歩手前で、渡辺先輩の頭の後ろに左手をまわしていた。ここは浅いのはわかっていた。だからこそ危険だった。川の底には石がゴロゴロ転がっていて、中には少し尖っているものもあった。さっき石を拾っているときに、それはわかっていた。
倒れながらも、俺は冷静にそのことに気づいていた、そして、自然と渡辺先輩の頭を保護するため、左手をまわしていた。
「大丈夫!?」
小林先生が走ってきた。その後ろから救急セットを持った久地先輩も走ってきている。
「渡辺さん、頭打ってない!?」
「いえ、私は大丈夫です。怪我したのはテル君の方で・・・」
久地先輩が一番に俺のもとに来た。どうやら俺と渡辺先輩がどうなったか、遠くからでも理解できたみたいだ。
「よくやったテル!とりあえず手を見せろ」
久地先輩はタオルで俺の手を拭くと、傷口を確かめた。
「・・・擦り傷だけみたいだな。止血と消毒すれば何とかなる」
手の甲は全体的に擦り傷ができていた。石が刺さったとかはないようだ。
「はい、消毒して!」
内田先輩は久地先輩から救急セット取ると、俺の手当てを始めた。内田先輩は乱暴に消毒液を噴きかけ、大きな絆創膏を一枚貼ろうとした。しかし、その一枚では傷は覆いきれず内田先輩が困惑していると、小林先生がガーゼを取り出し、それで傷を覆って包帯を巻いてくれた。
「ありがとうございます小林先生。あと、内田先輩も」
ついでのように礼を言ってしまった。内田先輩はしょんぼりと頭をうなだれて小林先生の上着を掴んでいた。
渡辺先輩も内田先輩の後ろで少し泣きそうになっていた。目が潤んできて、口元を両手で隠していた。。
「渡辺先輩も気にしないでください。俺は全然大丈夫なので」
「・・・うん」
渡辺先輩は袖で涙を拭うと、内田先輩と小林先生に連れられてテントに着替えに戻った。俺は幸いにも下着は濡れていなく、木の陰でTシャツズボンだけを着替えた。
「しかしテル、よくと咄嗟に有彩さんの頭守れたな」
「人間、本当にやばいって思ったときはすごいんだよ」
「かっこよかったぞ」
「うるさい」
あまり照れること言わないでほしい。そんなつもりはないのに。
着替え終わると荷物をまとめて、テントまで戻った。内田先輩と小林先生はテーブルで話していて、テントの中からはゴソゴソと着替える音が聞こえる。
「テル君、有彩を助けてくれてありがとね」
内田先輩はすっかり元気が戻っていた。でも、あのニヤニヤした顔はしていない。いつもなら、歩のようにかっこよかったとか言ってくるはずだ。
川に持って行っていた荷物を片付けていると、渡辺先輩が着替えを終えテントから出てきた。
内田先輩はずぶ濡れの服を受け取ると、小林先生を誘ってコインランドリーへ行った。
俺は朝食の準備を始めた。昼食は簡単に焼きそばにすることにした。野菜を切るだけしかやることはないので、手伝うと言ってくれた歩と久地先輩には木を拾ってきてもらうことにした。
野菜を切っていると、隣に渡辺先輩が来てニンジンの皮むきをやり始めた。無言で作業が進んでいく。簡易キッチンにしている狭いテーブルでの作業は、手と手が触れてしまいそうだ。なるべく手が触れないようにしていると、肩のほうに気が行かず、肩から二の腕にかけてしっかりとくっついてしまった。
俺も渡辺先輩も驚いて、一瞬体が固まってしまった。
「・・・さっきはありがと」
「・・・さっきも聞きましたよ」
「さっきは混乱してたし、言った気にはなれてなかったの。言わせて」
渡辺先輩がそう言うと、触れている肩がさらにくっついてきているような気がした。
「・・・どういたしまして」
感謝の言葉を受け取ると、渡辺先輩はありがとうと言い、俺の頭に手をのせてきた。何をされるのかと思いしばらくじっとしていたが、渡辺先輩はただ手をのせただけで何もしてこなかった。
「渡辺先輩、恥ずかしいですし・・・調理ができません」
「私もこんな弟が欲しかったかな」
「なにを言ってるんですか」
渡辺先輩は手を下すと、調理に戻った。
「・・・かっこよかったよ」
そう言葉をこぼした渡辺先輩は、たんたんと野菜を切っていった。俺から見える耳は、赤くはなっていなかった。
「・・・はい」
その言葉は、他の誰かに言われた時よりも素直に受け取れた。




