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幻のなかで 〜名誉を教えた男は、送り出した教え子の顔を一つも覚えていない〜  作者: 星喰ゆう
第一章 マチルダ

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第九話 今なら

 どれくらい、そうしていただろう。


 朱かった空が、少しずつ藍色に沈んでいく。


 私はまだ、動けずにいた。


 体はとっくに、限界を超えていた。


 一日中走って、戦って、また走った。


 もう指一本動かすのも、億劫になっていた。


 村へ行かなければ。


 マルコが、行けと言った。

 アメリーが、伝えろと言った。


 でも、その村を目の前にして、私の足は地面に張り付いたみたいに動かなかった。


 行ってどうなる。


 砦が落ちたと伝えて。


 それから私は、どうすればいいんだろう。


 また、あそこに戻るのか。

 みんなが死んだ、あの場所に。


 昨日まで確かにあったものが、一日も経たないうちに消えた。


 もう、どうでもよかった。



 その時。


 視界の端を、黒い塊が横切った。


 馬だ。

 騎馬の一団。


 砦のほうから来ていた。


 私を追ってきた様子ではなかった。


 私には目もくれない。


 まっすぐ、村のほうへ向かっていく。


 ――村。


 あそこには、まだ人がいる。


 食事をして、畑を耕して、日が暮れたら眠る、戦とは縁のない人たちが。


 アメリーの、両親と弟が。


 あれは、アメリーの村だ。


 ここに来る時、馬車から見た平和そうな村。

 アメリーが家族のために、何年も守り続けた村。



 私は、地面に伏せていた。


 じっとしていれば、あの騎馬は私に気づかない。


 村のことなど、見なかったことにすれば。


 このまま、やり過ごせば――私は、まだ生きられる。


 心臓の音がうるさい。


 こんな時でも私は、まだ生きようとしていた。


 昨日から、ずっとそうだった。


 みんなに生かされて。

 逃がされて。

 置いていって。


 そうやって、ここまで生きてきた。


 ネイトが庇ってくれた。

 ゲルナーさんが足止めをしてくれた。

 アメリーが残った。

 マルコが私を行かせた。


 みんな、誰かを生かすために、そこに残った。


 私だけがずっと、生かされる側で。

 ずっと、走ってきた。


 体はまだ、生きたがっていた。


 伏せていろと、叫んでいた。


 やり過ごせ、生き延びろ、と。


 その声を、私は初めて無視した。



 立ち上がった。


 誰かに腕を引かれたわけではなかった。

 誰かに命じられたわけでもなかった。


 初めて、自分で決めた。


 一度くらい、私も。

 誰かのために、戦ってもいいはずだ。


 心臓の音が、まだうるさい。



 周りから、魔素を引き上げる。


 その瞬間、自分が限界を迎えているとわかった。


 当然だ。


 あれだけ撃って、あれだけ走って。


 魔素を吸い上げるだけで、全身の筋肉が痺れ始める。


 それでも、まだ立ってる。


 まだ、戦える。


 体中が痺れる。


 その痺れのずっと奥。


 止めろと教わった、その線を。


 私は越えた。


 ここで撃てば、居場所がばれる。


 もう次はない。


 力を残しておく理由が、どこにもなかった。



「石の牙よ、貫け――アースランス!」


 いつも以上に魔素を取り込んだ。


 自分でも見たことがないくらい、大きな槍が目の前に現れた。


 これならやれる。


 そう思った瞬間、口から血が噴き出た。

 目の前が霞む。


 構わない。


 私は、優秀なんだから。


 私の生み出した槍が、騎馬の一団へ降り注ぐ。


 悲鳴。

 馬のいななき。


 人と馬が、まとめて宙に舞った。


 土煙の中、騎馬隊の影が見えた。


 削ったのは半分くらい。


 まだ、いる。


 もう一度、魔素を。



 ゲルナー。

 アメリー。

 マルコ。

 ネイト。


 魔素を吸い上げるたびに、誰かの顔が浮かんでは消えた。


 撃って、撃って、撃ち続けた。


 もうほとんど、なにも見えない。

 景色が、赤く明滅する。


 膝が震えている。


 怖いからではない。

 もう、立っているのがやっとだった。



 最後の一騎。


 その頃には、私の生み出す槍は、普通の槍よりも小さかった。


 その槍が、最後の一騎に命中した。


 もう見えてはいない。

 だけど、音でわかる。


 辺りに、音がなくなった。



 誰も、村へはたどり着かなかった。


 ……守れた。


 私は、初めて守れた。


 選ばれた人間。

 替えの効かない戦力。


 ずっと、その言葉が嘘みたいだった。


 だって私は、何ひとつ守れなかったから。


 初陣で凍りついて。

 仲間が焼かれるのを、ただ見ていて。


 ゲルナーとアメリー、マルコすら置いて逃げた。


 でも、今は。


 私は、村を守った。

 アメリーの家族を。


 やっとその言葉に、追いついた気がした。


 嬉しかった。


 こんな時に、笑えるなんてと思った。

 でも、本当に嬉しかったのだ。



 膝が折れた。


 立っていられなかった。

 地面に、倒れ込む。


 口から、何かがこぼれた。


 ああ、そっか。


 あの日、焼いた人たち。


 顔を紫色にして、泡を吹いて運ばれていった人たち。


 私が声をかけた、あの人。


 私も、同じだった。


 これで私も。


 頬に、土の冷たさが伝わってきた。


 息が、少しずつ浅くなっていく。


 体のあちこちが、もう自分のものじゃないみたいだった。




 視界はほとんどなかった。


 それでも、空を見上げた。


 いつのまにか、夜に変わっていた。


 月が出ていた。


 欠けたところのない、まんまるな月だ。


 ここに来て初めての夜。

 森から魔物がこぼれ出した、あの月と同じ。


 こんなに綺麗だっただろうか、と思った。


 寒くはなかった。

 不思議と、怖くもなかった。



 準備は出来ているか。



 あれ、誰に聞かれたんだっけ。


 準備なんて、出来てなかった。

 覚悟も、目的も、何もないままだった。



 でも、今なら。



 月明かりが、私を照らしていた。

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