第七話 血みどろの英雄たち
――ここは、もう、もたない。
そう思った、その時。
正面の壁から、大量の兵士がなだれ込んできた。
今まで、じりじりと進んでいた連中が。
西の騎馬に気を取られた、その一瞬に。
勢いよく進み始めた。
――嵌められた。
最初から、これが狙いだったのだ。
ゆっくり進軍してきたのも、騎馬隊が西から来たのも。
私たちの注意を正面に向けて、側面から強襲する。
まんまと私たちは、敵の作戦にはまってしまった。
正面の壁から、止まることなく、敵が侵入してきている。
ゲルナーは、正面に残っていた。
撃って、撃って、また撃った。
私もマルコも、その少し後ろで撃っていた。
でも、押し返せなかった。
「ゲルナーさん、下がって! もう正面は――」
「うるせえ! ここで止める!」
私が言いかけた時には、ゲルナーは、退く気がなかった。
退けば、そのぶん、後ろで逃げる者たちに追いつかれる。
誰かがここで、足を止めなければいけなかった。
ゲルナーは倒れなかった。
指先が痺れる、その手前で必ず止める。
あの日、アメリーに言われた通りに。
――次は、倒れるな。
あの言葉をゲルナーは、ずっと守っていた。
守り続けていた。
でも、倒れないということは、死ぬまで戦い続けるということでもあった。
敵の兵士が、彼のところまで届いた。
「ゲルナー!」
マルコが叫んだ。
ゲルナーは、こっちを見なかった。
最後の一発を、正面へ撃ち込んで。
それから、剣が振り下ろされるのが見えた。
目の前が、赤く染まった。
「ゲルナーさん!」
私は、ゲルナーの近くにいた兵士に向けて、魔法を放った。
ゲルナーを斬った兵士の胸を貫いた。
私はその、苦痛に歪んだ顔を見た。
でも、なにも感じなかった。
むしろ、胸の中に怒りの感情が湧いたのを感じた。
その後も撃ち続けた。
ゲルナーの遺体が、視界にある。
彼は勇敢に戦った。
みんなを守るために、命を賭けて戦った。
本当に、戦場に英雄がいるとするなら、彼のよう――
「——ルダ! マチルダ!」
マルコに肩を掴まれた。
「おい! やりすぎだ! 少し下がるぞ!」
「で、でも、ゲルナーさんが――」
「わかってる。でも、ここにいたら俺たちまで死ぬぞ! ゲルナーが、そんなことを望んでると思うのか?」
ゲルナーは、必死に戦っていた。
国のため。
家族のため。
仲間のため。
理由はわからない。
けど、少なくとも彼は、私たちが死ぬのは見たくないはずだ。
彼はいつでも、誰かを守るような人だったから。
立ち止まって泣く時間なんて、どこにもなかった。
私とマルコは、彼を置いて下がるしかなかった。
ゲルナーが最後まで立っていた場所はもう、青い兵で埋まっていた。
叫び声が誰のものなのか、もうわからない。
砦はもう、ただ逃げ惑う人の群れに変わった。
どこが前線で、どこが後ろかも、分からなくなっていた。
「マチルダ!」
腕を強く掴まれた。
アメリーだった。
いつのまにか、すぐ隣にいた。
全身が、返り血で汚れていた。
「あんたとマルコ。それと、そこの三人。伝令だ」
「え……」
「後ろの村と、本国に伝えな。砦が破られた、って。今すぐ」
「そんな、アメリーさんも一緒に――」
「いいから!」
その時だった。
騎馬隊の一騎が、アメリーの背を斬った。
一瞬の出来事だった。
「アメリーさん!」
アメリーは、膝をつきかけて、こらえた。
振り向きざま、斬った兵士に、石の槍を突き込む。
胴体に命中して、馬から落ちた。
でも、アメリーの口の端から、血が垂れていた。
背中の傷は、浅くなかった。
それでも、アメリーは笑った。
いつものあの、軽い笑い方で。
「……大丈夫。はやく行きな」
「で、でも、アメリーさんが――」
「はやく行けって言ってんだろ!」
その顔を見て、私は分かってしまった。
この人は、逃げる気なんて最初からない。
私たちを逃がすために、伝令だと言ったのだ。
いちばん若い、いちばん助かりそうな順に。
アメリーは、もうこっちを見ていなかった。
次の敵へまた、石の槍を構えていた。
私は一歩、アメリーのほうへ踏み出しかけた。
置いていけない。
その腕を、マルコが強く引いた。
「行くぞ、マチルダ!」
「でも――! アメリーさんが!」
「あの人が、行けって言ってるんだ!」
マルコの声も、震えていた。
分かっていて、それでも引いていた。
「——」
アメリーが何かを言った。
でも、その言葉は聞こえなかった。
私は走り出した。
走り出してしまった。
砦の中は、地獄だった。
逃げ惑う兵。
倒れる兵。
馬。
血。
土煙。
どこが出口かも、分からなくなりかけて。
私はただ、マルコの背中だけを追った。
一緒に走り出したはずの三人の兵の姿は、いつのまにか見えなくなっていた。
ゲルナー。
アメリー。
昨日まで、同じ火を囲んでいた人たち。
くだらないことで言い合っていた人たち。
それが、こんなにあっけなく。
やっと、後方への出口を見つけた。
そこを、抜ければ。
抜ける間際、一度だけ振り返った。
ネイトが見えた。
あの、十七歳の子。
まだ戦っていた。
壁から降りたところで、兵士と戦っていた。
生きていた。
まだ、生きていた。
――よかった。
本当に、そう思った。
助けてもらった礼も、ちゃんと言えていなかったから。
次に会ったら、ちゃんと言おう。
そう思った。
その瞬間だった。
横から馬が来た。
ネイトは気づいていなかった。
こちらを見て、何か言おうとして。
その口が動きかけて。
騎馬の剣が、一振り。
それだけだった。
声を上げる暇もなかった。
ネイトも。
私も。
英雄になって来い、と送り出された子は。
混乱する戦場の真ん中で、死んだ。
「マチルダ、来い!」
マルコの声で、私は前を向いた。
もう、振り返らなかった。
振り返っても、そこにはもう、誰もいないと知っていたから。




