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幻のなかで 〜名誉を教えた男は、送り出した教え子の顔を一つも覚えていない〜  作者: 星喰ゆう
第一章 マチルダ

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第六話 退屈な一日

 その日も、ゼーラントは来た。


 丘の下に、青い旗が見えた。

 いつもの様子見だ、と思った。


 矢が何本か飛んで、しばらくして退いていく。


 そういう日を、何度も繰り返していた。


 最近は、誰も死んでいなかった。


 だから私は、いつも通りに、軽い魔法で応戦した。


 いつも通りの、退屈な一日が始まる。


 そう、思っていた。



 ゼーラントは、退かなかった。


 一つ、二つではない。

 目の前の景色が、青い旗で埋まっていた。


 いつのまに、あんな数を集めたのだろう。


 盾を隙間なく並べて、ゆっくりと前進してくる。


 その後ろに、次の列。

 さらに、その後ろにも。


 地面が見えないほどの、人だった。


 矢の雨が降ってきた。


「ふ、伏せろー!」


 誰かが叫んだ。


 盾を持たない私たちは、壁の陰に伏せるしかなかった。


 すぐ近くで、逃げ遅れた兵が、何本もの矢を浴びて倒れた。


 倒れた遺体にも、矢は刺さり続けた。


「やつら、本気だ! いよいよ来やがった!」


 誰かが、叫んだ。


「弓兵は壁上へ! シュタイン隊は、詠唱に入れ! 急いで!」


 アメリーの声が砦に響いた。


 続いて、リモン隊長も指示を飛ばす。


「撃て! 斜面で止めろ! 砦に取り付かせるな!」



 矢の雨が、途切れた一瞬。


 私は、壁から身を乗り出して、撃った。


 「石の牙よ、貫け――アースランス!」


 ゼーラントの隊列に、石の槍が突き刺さる。


 前列が崩れる。

 血飛沫が舞う。


 私の魔法で、また、人が死んだ。


 でも、もう手は震えなかった。


 いつからか、当たったかどうかも確かめなくなっていた。


 確かめなければ、思い出さなくて済むから。


 隣で、マルコも撃っていた。

 その隣で、ゲルナーも。


 シュタイン隊の詠唱が、壁沿いに重なる。


 斜面がめくれる。

 石が飛ぶ。

 地面が崩れる。


 青い列が、いくつも途切れる。


 ――止められる。


 一瞬、そう思った。


 でも、崩れた列を、後ろの列が踏み越えてくる。


 その後ろも。

 さらに後ろも。

 途切れた場所はすぐに、また青で埋まった。


 初めての戦いの、あの日と同じだった。


 数が違いすぎる。


 違うのは――今日は、魔物の気配が、まるでないことだった。



 矢は、絶え間なく降ってくる。


 撃つには、壁から身を乗り出さないといけない。

 乗り出せば、狙われる。


 伏せて、飛び出して、撃って、また伏せる。

 その繰り返しで、腕が鉛みたいに重くなっていった。


「マチルダ、こらえろ! 右の列を先にやるぞ!」


 マルコの声。


 私は右へ、石を叩き込んだ。

 突出していた兵士が、まとめて吹き飛んだ。


「そっちこそ、喋る暇があるなら撃ちなよ!」

「やってんだろ! それに、俺のほうが命中率がいいぞ!」

「うるさい!」


 こんな時に私たちはまだ、そんな軽口を叩けた。


 どこか、余裕があったのかもしれない。

 ここが落とされるわけがないという、自信が。


 私とマルコがそんなことをしていると、左で怒号が聞こえ始めた。


 青い盾がもう、すぐそこまで来ている。


「弓兵下がれ! 白兵戦用意! 登ってくるぞ!」


 リモン隊長の声が、ここまで聞こえた。


 その向こうで、味方の兵士が、剣を抜いて身構えた。


 弓では、もう、間に合わない距離だった。



 最初の一隊が、壁の下に取りついた。


 取り付いた兵士が、盾を上に構えた。

 その上を、よじ登るように後続の兵士が続いた。


 そこから先は、ここからはよく見えなかった。


 剣と剣のぶつかる音。


 悲鳴。


 味方のか、敵のか、分からない。


 ただ、その音が、どんどん近くなってくるのだけは分かった。



 どれだけ、撃っただろう。


 喉の奥が、鉄の味でいっぱいだった。

 指の先が、痺れ始めている。


 それと引き換えに、左のほうは、なんとか持ち直していた。


 壁の上には、攻撃は出来ない。


 だったら、登ってくる兵士の足元を攻撃する。


 マルコと共に、側面から攻撃を集中させた。


 それでも、まだ来る。


 減った気が、まるでしなかった。


 いくら撃っても、いくら殺しても、無限かのように湧いてくる。


 喉の鉄の味が濃くなる。


 指先の痺れが、手首まで上がってきていた。


 少し先で、シュタイン隊の誰かが膝をついた。

 鼻から血を流して。


 撃ちすぎだ。


 でも、誰も止めに行けなかった。

 止めに行けば、そこが空く。


 その人は震える手で、それでも、また詠唱を続けようとした。


 ――止まって。


 私は、胸の中でだけ、そう言った。


 声に出したところで、届かないと知っていた。


「マチルダ! 正面だ!」

「え?」


 目の前で、ゼーラントの兵士が、剣を振り上げていた。


 殺される。


 そう思った。


 その瞬間、横から剣が走った。


 目の前の兵士の喉に突き刺さり、落ちていった。


「大丈夫ですか?」


 ネイトだった。


 この前、ここに来た十七歳の子。


「あ、ありがとう、ネイト」

「いえ、それより早く下がってください!」

「わ、わかった」


 その場をネイトに任せて、私とマルコは後方に下がった。


 振り返ると、ネイトは他の兵士たちと共に、登ってくる兵士と戦っていた。



 アメリーが叫んでいる。


 無理をするな。

 魔法を切らすな。

 危ない奴は下げろ。


 いつも通りに。

 いつも通り、だった。



 その時だった。


 西から、地鳴りがした。


 最初は、気のせいかと思った。


 違った。


 馬だ。


 地面を蹴る、何十頭もの蹄の音。


 誰も、見ていなかった方向。


 私たちが、正面ばかりを見ていた、その横。


 西を守る人数なんて、この砦には最初からいなかった。


「西だ! 西から来てるぞ!」

「騎馬だ! ゼーラントの騎馬隊が来たぞ!」

「固めろ! 誰か、西へ――」


 誰かの声が、蹄の音に飲まれて消えた。


 土煙の中から、馬の列が現れた。


 槍を、前に倒して。


 まっすぐに、砦の横腹へ。


 柵が、木の枝みたいに折れた。


 人が馬に、撥ね飛ばされる。


 悲鳴。

 馬のいななき。


 騎馬は、止まらなかった。


 壁の内側へ雪崩れ込んでくる。


 そこにはさっきまで、矢を運んでいた子たちがいた。


 水を汲んでいた子たちが。


 戦うための場所じゃなかった。


 なのにそこが、いちばん先に踏み潰された。


 半年、守り続けた砦が。


 いちばん柔らかいところから、内側へ裂けていく。


 私は、撃つのを忘れて、それを見ていた。


 正面の敵も、西の騎馬も。

 その全部が、こちらを殺しに来ている。


 ――ここはもう、もたない。

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