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幻のなかで 〜名誉を教えた男は、送り出した教え子の顔を一つも覚えていない〜  作者: 星喰ゆう
第三章 フリード

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第四十一話 たった一度

「門が、門が破られます!」


 誰かの声が、遠くで聞こえた。


 遠くで。


 すぐ目の前のはずなのに、その声は、ひどく遠かった。



 目の前で、ゾフィーが落ちた。


 いや。


 落ちたのは、本当にゾフィーだったのか。


 それとも、他の誰かだったか。


 考えたくはなかった。


 でも、ゾフィーが落ちた事実は変わらない。


 泡を吹いて。

 指を紫にして。


 同じだった。


 何もかも、あの日と同じだった。



 あの日もこうだった。


 塞げと言われた。


 持ちこたえろ、限界を超えろ、と。


 そして仲間が、一人、また一人と、泡を吹いて倒れていった。


 その中で、私だけが生き残った。


 取り込める魔素の量が、人より少しだけ多い。


 ただ、それだけの理由で。


 その後私は、それを名誉と呼ぶことにした。


 そう呼ばなければ、仲間を失った現実から目を逸らせなかった。


 耐性があった、ではなく。

 選ばれたのだと。


 そして二十年も、その嘘を子供たちに教えてきた。


 胸を張れ。

 お前たちは選ばれた者だ、と。



「おい、シュタイン隊! なにやってる! はやく――」


 兵士の声が聞こえたと思った瞬間、壁上に轟音が鳴り響いた。


 ゼーラントの魔法が直撃したのだ。


 もう、魔法を防げる人員はほとんど残っていなかった。


 魔法が着弾した周囲の兵士は、衝撃で吹き飛ばされ、石の破片を受けた兵士が、悲鳴を上げていた。


 その奥では、攻城櫓から敵の兵士が流れ込んできていた。


「突破させるな! 持ちこたえるんだ!」

「くそが! 応援はまだか!」

「も、もう無理だ、おしまいだ」


 兵士たちが食い止めているが、時間の問題だ。


 そうか。


 ここで終わりか。


 私の教えを忠実に守って、自分の命が果てるまで、魔法を張り続けた。


 ここで死んだ者たちや、私が教えてきた子供たち。


 みんな、なにかを守って死んでいった。


 ゾフィーがはじめて訓練所に来たときのことを思い出そうとした。


 その瞬間、気づいてしまった。


 思い出せない。


 二十年間、何人もの訓練生を迎えてきた。


 それは私にとって、特別なことではない。


 日々ある業務の一環。


 ただの、仕事だった。


 だが彼らは、卒業したら戦地へ行く。

 自らの命を犠牲にして、なにかを守りに行く。


 たった一度。


 一度の戦場で、たまたま生き残っただけの私が、名誉だとか、栄光だとか、そう言ったことを刷り込んできた。


 そして、新たな訓練生を迎える。


 送り出した本人は、彼らのことを覚えていない。



 ティルの姿が目に入った。


 胸壁に手をついて、ゾフィーの名前を呟いている。


 エミールも、へたり込みながら泣いていた。


 あの時の私と、同じだ。


「門が破られたぞ! 突破される!」



 はっと、我に返った。


 いや。


 本当に、返れたのかはわからない。


「退けぇ! 内門まで退け! 急ぐんだ!」


 どこかでヴィクトルの声が響いた。


 撤退。


 まだ、この子たちは生き残れる可能性がある。



「……ティル。行くぞ」


 私は、ティルの肩を掴んだ。


「……教官」


 その目には、大粒の涙が滴っていた。


 この子のこんな顔を、見たことがなかった。


「エミール……行くぞ、撤退だ」


 エミールは、言葉もなく頷いた。


 外壁はもう、保っていなかった。



 雲が晴れてきて、月明かりが私たちの足元を照らしていた。


 退きながら、私は見てしまった。


 市街地の通りを。


 逃げ惑う、人々を。


 兵は、内門へ退いていく。


「なんだ? なにが起こってるんだ?」

「おい、兵士さん。わしらはどうすれば――」


 アルトに残った住人が、兵士に詰め寄った。


「どけ! 道を開けろ!」

「家に入ってろ! 邪魔すんじゃねえ!」


 兵士たちは、我先にと撤退していく。


 民は置き去りだった。


 内門の奥へ入れるのは、兵士と貴族だけ。


 逃げ遅れた者が、退く兵士の背にすがりつく。


 その手を、兵士は振り払っていった。


 振り払うしかなかったのだ。


 ここに残れば、殺される。


 それだけのことだった。



 足元で、小さな子がうずくまっていた。


 親とはぐれたのか、顔を真っ赤にして、泣きながら誰かの名を呼んでいる。


 誰も、足を止めなかった。


 私も止まらなかった。


 二十年、名誉を説いてきたこの私が、その子をまたいで走った。


 いつか見た、あの貴族と同じように。



 名誉なんて、はじめからなかった。


 それに気づいた私も、教え子を率いて内門に走っていた。


 その時突然、人の波に押し流される。


「教官!」


 エミールの声が聞こえた気がした。


「エミール! 離れるな!」


 振り返って叫んだ。


 だが、声になっていたかどうかわからない。


 ティルの腕を握ったまま、エミールのほうを見た。


 エミールは。


 気づけば、その姿がどこにもなかった。


 さっきまで、すぐ後ろにいたはずなのに。


 逃げ惑う民と、退く兵の渦の中に飲み込まれていた。


 あの子の、覇気のない気弱な顔は、もう見えなかった。


「エミール!」


 今度は、はっきりと声が出た。


 だがその声は、怒号と悲鳴に呑まれて消えた。


 私は人の流れに逆らえず、内門のほうへと押し流されていく。


 探さなければ。

 あの子を。


 これ以上、失うわけにはいかない。


 だが、足は止まらなかった。


 いつもなら、真っ先に動く足が、まるで自分のものではないかのように、進んでいった。


 内門のほうへ。

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