第四話 落ちない匂い
戦いが終わった砦は、静かだった。
静かすぎた。
夜が明けて、ゼーラントが退いて、魔物が森へ帰って。
それきりここは、何の音も立てなくなった。
角笛も、悲鳴も、詠唱も、なにも無い。
昨夜のすべてが、嘘だったみたいに。
でもそれは、穏やかな静けさではなかった。
誰も口をきかない。
ただ、手だけが動いている。
その静けさに、恐怖すら覚えた。
私は、壁の際に座ったまま動けずにいた。
膝の上で、手がまだ少し震えている。
昨夜からずっとだ。
目の前を、兵士たちが行き来していた。
誰かを運んでいる。
布にくるんで、二人がかりで、足と頭のほうを持って。
慣れた手つきだった。
何度もやってきた手つきだ。
それが、こわかった。
誰も泣いていない。
昨日まで、隣にいた誰かを運んでいるのに。
顔だけ見れば、水を汲みに行くのと変わらない。
運ばれていく布の端から、手が垂れていた。
その手に、見覚えがある気がした。
あの人も、昨日見た人の誰か、なのだろうか。
わからない。
わからないことに、少しだけ、ほっとしている自分がいた。
そのことに、ぞっとした。
「……マチルダ」
マルコだった。
いつのまにか、隣に立っていた。
顔色は、まだ悪い。
「手伝ってこい、って。アメリーさんが」
「……うん」
「……大丈夫か?」
「……私のせいかな? 私がもっと上手に出来ていたら、もしかしたらこんなに被害がでなかったのかも」
「かもな」
「え?」
正直、マルコは慰めてくれると思った。
訓練生時代からそうだったから。
「……考えても、あの人たちは生き返らない」
それだけ言って、先に歩き出した。
その背中が、少しだけ震えていた。
もしかしたらマルコも、私と同じことで悩んでいたのかも。
立ち上がると、膝が笑った。
昨夜から、同じ姿勢で固まっていたからだ。
「行こう。マチルダ」
「うん」
私たちは、遺体を運ぶのを手伝った。
運びながら私は、その顔を見ないようにした。
見たら、その顔が忘れられない気がしたからだ。
布越しの背中が、冷たかった。
昨日までこの人にも、体温があったはずだった。
それが、もう無い。
重さだけが、私の腕に残っていた。
砦の外れに、浅い窪地があった。
そこに、布の包みが並べられていく。
脇に、薪が積まれていた。
まだ、火は入っていない。
風向きが変わると、匂いがした。
今朝から砦の隅に、うっすらと漂っていた匂い。
濡れた土と鉄、それから、生臭い匂い。
何となくわかっていた。
その匂いの正体を。
知らない振りをしてきたけど、この場所ではっきりとした。
魔物に喰われた遺体から放たれている匂いだ。
「埋めないんですか?」
私は、その匂いを紛らわせるように聞いた。
近くにいたアメリーが、手を止めずに答えた。
「埋めない」
「……どうして」
「魔物が掘り起こすからね」
私はその意味が、すぐにはわからなかった。
「やつらは、埋めても匂いでわかるんだ。ここに食い物があるってね。遺体が、魔物を引き寄せることになってしまうんだ。実際私も、何度か見た」
アメリーは、それだけ言うと、薪のほうへ顎をしゃくった。
「だから焼く。それが一番ましなんだよ」
一番まし。
死んでもなお、苦しみを味わうなんて。
この人たちは、私たちをどう思っているんだろう。
包みの一つに、剣が添えられていた。
朝、握ったまま動かなくなっていた、あの兵士のものだと思った。
「……せめて、故郷に返してあげることは出来ないのでしょうか?」
アメリーが、こっちを見ていた。
しばらく何も言わなかった。
でも、ようやく口を開いた。
「じゃあ、あんたが全員を運びな」
「え?」
アメリーは続けた。
「ここは、ギリギリの人数でやってるんだ。あんたも昨日見たはずだ。少しでも揺らげば、ここは突破される。そうなったら、故郷どころか、フェルゼンという国そのものがなくなってしまう」
私は、なにも答えられなかった。
「マチルダ、あんたの気持ちもわかるよ。でもね、この人たちの為にも、ここを守らないといけないんだよ」
「……はい」
その声は、突き放してはいなかった。
むしろ、優しかった。
その優しさが、一番応えた。
窪地の縁に、ゲルナーが座っていた。
朝から一言も口をきいていない。
膝を抱えて、火の入る前の薪をただ見ている。
怖いもの知らずの、あの人が。
私は、声をかけられなかった。
かける言葉を、持っていなかった。
マルコが、ゲルナーの隣に黙って座った。
私も、その横に座った。
誰が言い出したわけでもなかった。
ただ三人で、火の入るのを待った。
アメリーが、私の隣に来て腰を下ろした。
「よくやったよ、あんたたちは。特にゲルナー」
「え、俺、ですか?」
ゲルナーは、アメリーのほうを向いた。
「でも俺、倒れちまって、助けられて……それから――」
「初日で逃げずに立ってられた。それだけで十分だよ。次からは、倒れないように気をつけな」
ゲルナーは、下を向いた。
「みんなよく聞いといてね」
アメリーはそう前置きして言った。
「昨日も言ったけど、無理して魔法を続けようとしないで。違和感や疲労感が出たらすぐに後退すること。全員でカバーし合って、絶え間なく魔法を発動し続けるんだ。それでも、無理をしないといけない場面も出てくる。だから常に周りを見ておくんだ。危なそうな人がいたら助ける。いいね?」
「はい」
周りを見る。
たしかに、アメリーは常に周りを見ていた。
危なそうな人がいたら助けたり、指示を出して人を動かしたり。
今の言葉は、経験からくるものだろう。
訓練学校では、そういうことは教わらなかった。
しばらくすると、アメリーが立ち上がった。
「よし、そろそろかな」
「そろそろ?」
「ああ、仲間を弔ってやろう」
積みあがった遺体に、火が入った。
誰かが松明を、薪の間に差し込んだ。
乾いた音を立てて、炎が上がる。
布の包みが、一つ、また一つ、炎に包まれていく。
その中には、シュタイン隊の人もいた。
昨夜、顔を紫色にして、泡を吹いて運ばれていった人たち。
私が「大丈夫ですか」と、声をかけたあの人も。
きっと、この中にいる。
最後まで、結界を張っていた人たちだ。
やるべきことをやった人たちだ。
なにも出来なかった私が、その煙を見ている。
兵士たちが、手を止めた。
そして、少しだけ頭を下げた。
昨日、私にしてくれたのと、同じ敬礼だった。
煙が、まっすぐに昇っていく。
風のない昼だった。
空は、よく晴れていた。
太陽がその煙を、静かに照らしていた。
私は、それをいつまでも見ていた。
煙の匂いが、風もないのにこちらまで流れてきた。
服にも、髪にも、染みついていく。
洗っても、もう落ちない。
そんな気がした。




