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幻のなかで 〜名誉を教えた男は、送り出した教え子の顔を一つも覚えていない〜  作者: 星喰ゆう
第三章 フリード

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第三十九話 静かな夜

 翌朝から、私は持ち場に戻った。


 三人は、もうすこし宿舎で休息を取るように命じた。


 シュタイン隊の人数は足りないが、ここで無理をすれば、最悪死ぬことになる。


 せめてあの子たちだけでも。


 訓練所で教えてきたことを、私自身が否定しはじめていた。



 私はまた、壁の上に立った。


 そこに、ガルズはいない。


 ここにいるのは、くたびれた顔をした兵士たちだけだった。



 それから数日間は、奇妙なほど静かな日々だった。


 ゼーラントは、毎日のように兵を寄越した。


 だがどれも、申し訳程度のものだった。


 矢を何本か射かけ、梯子を二つ三つかけて、こちらが反撃すれば、すぐに引いていく。


 魔法は、一度も来なかった。


 あの、青白い氷の光を見ることは、もうなかった。


「……やはりな」


 まばらな敵影を見下ろしながら、私は思った。


 先日、魔物に襲われたのが、思っているよりも効いているようだ。


 敵陣の奥深く、補給をするにも一苦労だろう。


 時間が経てば経つほど、こちらに戦況は傾いている。


 敵の術者も、もしかしたら全滅したのかもしれない。


 だとすればもう、あの魔法は来ない。


 この戦も、じきに終わる。


 戦に詳しくない私でも、なんとなくそんな気がしていた。



 ただ、一つだけ引っかかることがあった。


 これだけ攻撃が緩いのに、敵陣の天幕の数は、ちっとも減っていない。


 普通なら、落とせないとわかっていたら、少しずつでも兵を引き上げさせるはずだ。


 ここで時間を費やすのは、敵にとって何か利があるのだろうか。


 平野を埋めた黒い影は、最初に見たときと、ほとんど変わらない。


 気のせいだろうか。


 考えすぎかもしれない。


 私はそう結論づけて、それ以上は考えなかった。



 壁の張り詰めた空気も、少しずつ緩んでいった。


 兵たちは交代で、まともに眠れるようになった。


 その日の夕方、私はゾフィーたちの様子を見に、宿舎のほうへ寄った。


 ゾフィーが洗濯をしていた。


 血と泥にまみれた布を、黙って洗っていた。


 ゾフィーはもうすっかり、いつもの調子を取り戻していた。


「あ、フリード教官! 私、もう平気です。明日にでも、持ち場に戻れます」


 顔を輝かせて、そう言う。


 その元気さが、私には恐ろしく感じた。


「無理はするな」

「無理なんかしてませんよ。もう慣れました。次は上手くやります」


 慣れた、か。


 訓練所で教えていた頃、何度口にした言葉だろう。


 慣れろ、と。


 この子は慣れてしまったのか。


 人と人が殺し合う、戦場に。



 宿舎の中に入った。


 我々が来たときと、随分変わったな。


 あの時は、訓練生たちでごった返していた。


 今は、ティルとエミール。

 それと他に二人。


 荷物だけが、あの時のまま置かれていた。


 ここにいない教え子たちは、まだ生きているのだろうか。


 それともただ、持ち場から離れられないだけなのだろうか。


 ここで私にわかることは、なにもなかった。


「教官。どうしたんですか?」


 エミールが、ベッドの上から起き上がった。


「体調はどうだ?」

「はい。だいぶ良くなりました」

「そうか。ティル、お前はどうだ?」


 私が声をかけると、ティルはだるそうに答えた。


「俺はもともと大丈夫ですよ。それよりも、敵はまだ引いてないんですか?」

「ああ、だが時間の問題だろう。ここ数日、たいした攻撃はなかった。もう余力がないのかもしれないな」


 私のその言葉に、エミールが少し笑った。


「エミール、油断するな。まだ終わったわけじゃない」

「は、はい」

「とにかく、休める時に休んでおけ。お前もな、ティル」

「……はい」


 私はそう言って、宿舎を後にした。


 東門のほうを見た。


 あの壁の上に、クルトがいるはずだ。


 もうすぐ戦は終わるはずだ。


 無茶はするなよ、クルト。


 私はまた、壁に戻った。



 翌朝も、敵は申し訳程度に攻めてきた。


 だがその日は、少しだけ違った。


 攻めてくる場所が、昨日と違ったのだ。


 東。

 西。

 南。


 日によって、的を変えてくる。


 まるで、こちらの反応を確かめているように。


「嫌な攻め方だな」


 近くの兵士が、矢を拾いながら呟いた。


「毎日、違う門をつついてきやがる。何がしたいんだか」

「消耗させる気だろう。いちいち相手にするな。大したことはない」


 別の兵士が、そう答えた。


 そいつは、腑に落ちない顔をしていたが、それ以上はなにも言わなかった。



 その夜は、月が出ていた。


 久しぶりに、まともに眠れそうな夜だった。


 見張りに立ちながら、私はふと思った。


 このまま、終わってくれないだろうか。


 奴らが諦めて、引いてくれないだろうか。


 そうすればこの子たちを、生きて故郷に返してやれる。


 ゾフィーも、ティルも、エミールも。


 ガルズがいたら、笑うだろう。


「相変わらず辛気臭い顔だな」とでも、言うに違いない。


 もう、その声は聞けない。


 静かな夜は、死んだ者のことばかりを思い出させた。



「……あれ? なんか数が減ってる気がしますね」


 一緒に見張りをしていた兵士が言った。


 ふと、敵陣に目をやった。


 いつもより、篝火が少ない。


 暗い。

 やけに暗い。


 なぜだろう。


「あいつら、いよいよ引き上げる気かもしれませんね」

「……かもしれんな」


 私も、そう思いたかった。


 月明かりが照らす戦場は、いつも以上に静かに感じた。


 それと同時に、言葉に出来ない不気味さも感じた。


「お前ならどう読む、ガルズ」


 私は、ぼそりと呟いた。


「え、なんですか?」


 兵士が答えた。


「なんでもない。交代の時間だ。後を頼むぞ」


 私はその場を離れ、胸壁を背にして腰かけた。


 ここから、アルトの街がよく見える。


 真っ暗な居住区。

 灯りに照らされた、貴族たちの区画。


 もうすぐ帰れる。


 あの訓練所に。


 だが帰ったところで、以前のように教えられるのだろうか。


 私に、その資格はあるのだろうか。


 その夜私は、この戦が始まって以来、はじめて深く眠れた。

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