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幻のなかで 〜名誉を教えた男は、送り出した教え子の顔を一つも覚えていない〜  作者: 星喰ゆう
第三章 フリード

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第三十五話 名誉を知らぬ男

 朝が来ても、戦いは待ってくれなかった。


 昨夜の夜襲で、壁の上の空気は重くなっていた。


 疲労の色が、顔に出ている。


 ゾフィーとエミールが、後方から戻ってきた。


 二人とも、まだ顔色は悪い。


 特にエミールは、額に脂汗を浮かべていた。


「……大丈夫か?」

「は、はい。戦えます」


 エミールのその表情を見ると、胸が苦しくなる。


 だが、一人でも人数が欲しい状況だ。


「無理はするなよ」


 私がそう言うと、エミールは黙って頷いた。


「ティル。お前は下がれ。少し休むんだ」


 その言葉に、ティルは少し驚いた表情を見せた。


「俺はまだまだやれますよ」

「わかっている。だが、戦いはまだ続くんだ。しっかり休んで、完全な状態で戻って来い」


 ティルは不服そうな顔をしたが、それ以上は言わなかった。


 ティルと言葉を交わす最中、ゾフィーの視線が、私から離れなかったのに気づいた。


 昨日の戦線離脱のことを、悔いているのだろうか。


 私はあえてゾフィーに、言葉を掛けなかった。


 この子は、褒めると無茶をする。

 褒められようとして、無理をする。


 私はそれが、怖かったのかもしれない。



 壁上で、朝食を食べていた、その時。


「来るぞ! シュタイン隊!」


 誰かが叫んだ。


 敵陣の奥でまた、あの青白い光が灯った。


「ゾフィー! エミール!」


 座っていた二人は急いで立ち上がり、私たちはすぐに詠唱を始めた。


 今度は間に合った。


 昨日のように、慌てることはない。


 目の前に組み上がった傘が、飛来した氷を受け止める。


 一発、二発。


 だが、三発目を数える前に光は消えた。


 敵の魔法はそれきり、途絶えた。


 やはり、何発も続かない。


 向こうの術者も、長くは撃てないのだろう。


 ゼーラントは、魔法を使わないとの情報があった。


 おそらくどこかの国から引っ張ってきた寄せ集め。


 対してこちらは、国を挙げて育成をしている部隊。


 魔法の打ち合いなら、こちらが負ける道理はない。


 ほんの少し、敵を読めるようになっていた。



 だが、安堵する間もなかった。


 敵陣から、何か巨大なものが、ゆっくりと前進してきた。


 車輪のついた、木組みの櫓だった。


 壁と、ほぼ同じ高さ。


 あれが壁に取り付けば、上から敵が城壁へなだれ込む。


「櫓だ! 火矢に持ち替えろ! 燃やしちまえ!」


 ガルズが怒鳴ると、弓兵が火矢を射かけた。


 何本もの火が、櫓に突き刺さる。


 だが、燃え広がらなかった。


 櫓の表面は、濡れた獣皮で、びっしりと覆われていた。


 火は、じゅう、と音を立てて消えていく。


「くそが!」



「シュタイン隊! あの櫓を壊せ!」


 私は、アースランスを放った。


 ゾフィーもエミールも、櫓の本体へ、石の槍を撃ち込む。


 だが。


 石の槍は、櫓の木組みに突き刺さるだけで、崩すには至らなかった。


 威力が出ていない。


 シュタイン隊のほとんどが、昨日から続く戦いの影響で、魔素を十分に取り込めていない。


 私自身も、一晩中戦い続けた影響か、体が重い。


 いつもなら、柱の一本くらいへし折れるはずだった。


 それを見て、ガルズが叫んだ。


「駄目だ! 櫓は諦めろ! 足元を狙え! 押してる奴らだ!」


 なるほど、と思った。


 櫓は、人が押して進めている。


 その押し手を減らせば、櫓は止まる。


 私たちは、櫓の下、取りついて押す兵へ狙いを変えた。


 弱った石の槍でも、人ひとりなら倒せる。


 一人、また一人と、押し手が崩れ落ちる。


 やがて櫓は、壁の手前でのろのろと動きを止めた。



 だがその間も、敵は手を緩めなかった。


 梯子が、いくつも壁にかかる。


 登ってくる歩兵を、守備隊が必死に突き落としていく。


 どこもかしこも、手が足りなかった。


 そこへ伝令が、血相を変えて駆け込んできた。


「西門! 西門に、攻城櫓が取り付きました! 壁の上に、敵が!」


 西門。


 ラルフの、持ち場だった。


 あの男の持ち場に、敵がなだれ込んでいる。


 私は、西門のほうを見た。


 だがここからでは、よく見えない。


「北門から、三十、西門へ回せ! 総司令の命令だ!」


 伝令が、そう叫んだ。


 守備隊の兵が三十人ほど、西門へと駆けていく。


 その背を、見送るしかなかった。


 ラルフ。

 無事でいてくれ。


 そう願うしか、出来ることはなかった。


 そして、三十人が抜けた北門は、目に見えて薄くなった。



 手薄になった壁へ、敵がここぞとばかりに取りついてくる。


 私は、アースランスを放ち続けた。


 だが、魔素の巡りが鈍い。


 昨夜の無理が、今になって効いていた。


 詠唱が、わずかに遅れる。


 その一瞬の隙に、一人の敵兵が、胸壁を乗り越えて壁の上へ降り立った。


 間に合わない。


 私はとっさに、足元に転がっていた剣を掴んだ。


 誰かが落としていったものだ。


 考えるより先に、体が動いた。


 剣を、敵の脇腹へ突き入れる。


 鈍い、重い手応えが、柄を通して腕に伝わってきた。


 肉を裂き、骨に当たって止まる、あの感触。


 敵兵が、うめき、崩れ落ちた。


 私は、剣を引き抜いた。


 二十年間、魔法で人を殺す方法を教えてきた。


 遠くから、手を向けるだけで。


 だが、これは違った。


 この手が、この腕が、直接人を殺した。


 その手応えが、どうしようもなく気持ち悪かった。


 結果は同じだ。


 なのに、吐き気が込み上げてくる。


 だが、吐いている暇はなかった。


 次の敵がもう、梯子を登ってくる。



 時折、敵の攻撃が緩む間、シュタイン隊は交代で休んだ。


 ガルズや、他の兵士の活躍もあって、北門はなんとか持ちこたえていた。


 ヴィクトル総司令が、なぜあの男を気に入っているのかが、なんとなくわかる。


 周りを励まし、自分から危険な場所に飛び込む。


 それを見て、周りがついてくる。


 信頼は、そういう人間の元に集まるようだ。


 名誉や栄光。


 そういうものを、口にしたことがないであろう男が、ここでは最も信頼されている。


 その事実が、私の心臓を締め付けた気がした。



 陽が沈んできた頃、ようやく、敵の攻撃が止まった。


 西門が持ちこたえたのか、北門の敵が引いたのか、私には分からなかった。


 ただ、今日はまだ、この北門は抜かれていない。


 それだけだった。


 ゾフィーが、荒い息をつきながら、まだ壁の外を睨んでいた。


 その手は、次の詠唱の形に構えられたままだった。


 休もうとしない。


「ゾフィー。もういい。下がって、水を飲め」


 私がそう言っても、ゾフィーは、すぐには動かなかった。


「きょ、教官。あれ……」

「あれ?」


 私は、ゾフィーの見ている方向に目をやった。


 薄暗くなってきた空の先に見えたのは、空を覆うほどの黒い影。


 あれは。


「おいおいおいおい。冗談だろ」

「くそ、なんでこんな時に」


 兵士が口々に言った。


「教官。あれは?」


 私は、その質問に答えるのを躊躇った。


 だが、黙っていても、意味はない。


「ああ、魔物だ」

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