第三十四話 続きは夕飯のときに
日が落ちても、壁を離れることは許されなかった。
いつ、奴らが攻めてくるかわからない。
私たちは、壁の上で夜を明かすことになった。
篝火が、点々と城壁の上を照らしている。
その灯りの中に、ゾフィー、ティル、エミールが、身を寄せ合って座っていた。
誰も、口を開かない。
昼間の戦いが、まだ体から抜けていなかった。
私は少し離れて、その三人を見ていた。
「……ねえ」
ゾフィーが、ぽつりと言った。
「私たち、守れてるんだよね。これで、いいんだよね」
その問いは、誰かに言ったものではなかった。
答えは返ってこない。
ティルは、膝を抱えて篝火を見つめている。
エミールはずっと、うつむいたままだった。
「……僕は、何も出来なかった」
エミールの声は、震えていた。
「トマが、すぐ隣で死んだのに。僕は、ただ突っ立って、一発も撃てなかった」
誰も、何も言えなかった。
そこへガルズが、どかりと腰を下ろした。
手にした革袋を、エミールに放ってよこす。
「なんだなんだ。辛気臭い面ぁ、揃えやがって。ほら、これでも飲め!」
「え、あ、いただきます」
エミールが、それを飲んだ瞬間、咳き込んだ。
「こ、これ、なんですか?」
ガルズは笑って答えた。
「なにって、エールだよ、エール。戦の後って言えばこれだ」
そう言いながら、エミールの持っているエールを取り上げて、自分で飲み始めた。
「なんだ坊主。撃てなかったことを、気に病んでるのか?」
エミールが、こくりと頷く。
「怖かったんだろ。当たり前だ」
ガルズは、あっさりと言った。
「だがな。お前が怖がって突っ立ってる間、隣の奴がお前の分まで戦う。お前が一発撃てば、他の誰かが朝日を拝めるかもしれないんだぞ」
エミールが、顔を上げた。
「上手くやれとは言わねえ。ただ戦え。仲間のためにな。それだけ覚えとけ」
エミールはしばらく、拳を握りしめていた。
やがて、小さく頷いた。
エミールのその決心が、少し怖くなった。
だがその言葉で、エミールの目に、わずかに光が戻ったのも確かだった。
「それにしても、夜は静かですね」
ゾフィーが、空を見上げて言った。
「昼間の、あの氷……あれも、魔法ですよね?」
「ああ、まさかあいつらも魔法を使うなんてな。だが、数はそんなに多くないだろうな」
ガルズはそう言って、またエールを飲んだ。
「え、どうして分かるんですか?」
「どうしてって、周りの壁を見てみろよ」
ゾフィーたちは、壁を見回した。
「魔法の攻撃を受けたのは俺たちの持ち場だけだ。数がいれば、全方位から魔法を放ってくるはずだ。戦力の分散を避けて、正面に火力を集中してきたんだよ」
なるほど。
さすがは、何年も戦場にいるだけのことはある。
こういうことは、訓練所では教えられないことだ。
なにせ、私も分からなかったのだから。
「まあそれでも、天下のシュタイン隊が守るこの壁は抜けなかったんだけどな」
ガルズはそう言いながら、ティルの肩を何度も叩いて笑った。
鬱陶しそうにしているティルの顔が、篝火に照らされていた。
「俺は魔法が使えねえから、お前たちがどれだけ苦しいかは分からないけどよ」
ガルズはそう前置きして、話し始めた。
「同じ壁を守る仲間だ。苦しくなったら、俺たちを頼ればいい。倒れそうになったら、寄りかかればいい。俺たち大人がしてやれることなんか、それくらいだ」
「ガルズさん……」
ゾフィーが、言葉に詰まった。
「おいおい、だから辛気臭い顔するなよ。そういう顔をする訓練でもやらされたのか?」
ガルズはそう言って、笑った。
それにつられて、三人が笑っていた。
その光景を見ていると、なんだか胸が熱くなった。
この子たちを、生きて故郷に返したい。
本気で、そう思いはじめたのかもしれない。
突然、壁の東側で、誰かが叫んだ。
「て、敵襲! 敵襲だ!」
壁の外。
闇の向こうで、声が上がった。
暗がりから突然、梯子が次々と壁にかかる。
「くそ、来やがった! 起きろ! 剣を抜け!」
ガルズが、跳ね起きて怒鳴った。
昼間と違い、敵の姿がよく見えない。
曇り空の影響で、月明かりも届いていない。
闇の中からぬっと、兜が現れる。
「シュタイン隊! 敵の魔法を警戒しつつ、梯子から上る奴を狙え! 敵の数を減らすんだ!」
誰かの声が、壁上に響く。
私は、アースランスを放った。
闇の中、石の槍がよじ登る兵を突き落とす。
ゾフィーもティルも、詠唱を始めた。
ゾフィーは、昼間の消耗など忘れたように撃ち続けた。
一発、二発、三発。
訓練所の時と同じ。
この子の強い意志のせいか、手が止まらない。
だが、その詠唱が、だんだんともつれ始めた。
「ゾフィー! もういい、休め!」
私が叫んだときには、遅かった。
ゾフィーが、口元を押さえて膝をついた。
指の間から、鼻血がしたたり落ちる。
魔素酔いだ。
取り込んだ魔素が、体の中で溢れている。
「くっ……まだ、やれます……」
「だめだ! 下がれ!」
その隣でエミールが、震える手を闇にかざしていた。
ガルズの言葉が、背を押したのだろう。
「い、石の牙よ――」
初めてエミールが、人に向かって撃った。
石の槍が、梯子の兵の肩をかすめる。
当たったとは言えない。
だが、エミールは撃った。
そしてまた、唱えた。
二発、三発。
怖さを振り払うように、立て続けに。
この子は、加減を知らなかった。
取り込みすぎた魔素が一気に、その小さな体を焼いた。
エミールが、声もなく崩れ落ちた。
「エミール!」
私は駆け寄った。
鼻血が、止まらない。
だが、ゾフィーより、ずっとひどかった。
「ゾフィー! エミールを連れて下がれ! 出来るな?」
「わ、私は、まだ――」
「エミールのことを頼むと言っているんだ! ここで死なせたいのか!?」
私がそういうと、ゾフィーはエミールを一度見て、頷いた。
兵士の間を縫って、ゾフィーがエミールを支えて、階段を下りていく。
ゾフィーが下がりながら、こちらを見ていた。
私は、その視線を振り払うように前を向いた。
「教官」
ティルが、詠唱の合間に言った。
「俺はまだまだいけます。あいつらの分も、撃ちますよ」
声は、いつもの気だるげなものだった。
だがその手は、確かに止まっていなかった。
「ああ、頼りにしているぞ、ティル」
「はい」
私とティルは、背中を預けあうようにして、闇から這い上がる敵を、落とし続けた。
どれほど、そうしていただろう。
ふと、敵の波が途切れた。
「なんとか持ったな。他の壁はどうなった?」
近くの兵士に質問したが、暗くてよく見えない。
誰も状況を掴めていなかった。
ティルが、荒い息をつきながら、独り言のようにぽつりと言った。
「……フリード教官」
ティルは、肩で息をしながら言った。
「魔素は、大丈夫なんですか?」
そうか。
訓練所の頃から、この子は上手く魔素を扱えていた。
実際、訓練所の時に、この子が魔素酔いになるのを見たことがなかった。
戦場に出てはじめて、限界まで魔素を取り込んだのだろう。
「私はもともと、取り込める魔素の量が人より少し多い。耐性が高いと言ってもいいだろう」
私はティルを見ながら続けた。
「その才能を買われて、訓練所で教官をすることになった」
「……才能」
ティルは、ぽつりと呟いた。
「ティル。お前も才能があると、私は思っている」
「え?」
ティルは、一度うつむいた顔をまた上げた。
「だが、才能だけでは戦えない。守れない。私はそれを、嫌というほど味わった」
しばらく、沈黙が続いた。
「……どうすれば」
ティルが、その沈黙を破った。
「どうすれば、教官のようになれますか?」
その目は、訓練所にいたころの、冷めた目ではなかった。
なにかこう、強い意志のようなものを感じた。
まさか、この子がそんな目をするなんて。
「お前はもう、強くなれる扉は開けた。あとは進むだけだ」
「……進む」
「続きは、夕飯のときに話そう」
私はそう言って、壁の外をみた。
まだ、戦いは終わっていない。
いつまで生きていられるかもわからない。
だから、次。
次を夢見ることにした。
ティルがはじめて教えを乞うてきた。
私は今さらながら、教えることの楽しさを、本当の意味で理解したのかもしれない。
これで、明日まで生きていける。
不思議と、そう信じられた。
東の空が、白み始めた。
また、長い一日が始まった。




