第二十九話 止められないもの
一瞬の静寂は、すぐに破れた。
ゼーラントの兵が、剣を抜いて踏み込んでくる。
「散開だ! 囲め!」
ガルズが、肩を押さえながら怒鳴った。
守備隊の兵が、剣を抜いて前に出る。
私は、ゾフィーとティルを背にかばった。
先ほどまで、風の音しかなかった場所は、あっという間に怒号と金属のぶつかる音で満ちた。
剣と剣が噛み合う。
人と人の殺し合い。
藁の的でも、山の魔物でもない。
目の前で本物の刃が、人を殺そうとしている。
その時だった。
ガルズを撃った弓兵が、弓を構えた。
狙いは、ゾフィー。
「ゾフィー!」
「見えざる壁よ――」
ゾフィーが、とっさにシルトの詠唱を口にした。
矢を、魔法で止めるつもりだ。
止まるわけがない。
私は考えるより先に、ゾフィーの頭を掴んで、地面に押さえつけた。
風を切る音。
矢は、今の今までゾフィーの頭があった場所を、貫いて飛んでいった。
私はすぐに体を起こし、弓兵に手を向けた。
「石の牙よ、貫け――アースランス!」
石の槍が、唸りをあげて飛ぶ。
弓兵の胸を、まっすぐに貫いた。
声もなく、その体が崩れ落ちた。
振り返ると、ゾフィーもティルも立ち尽くしていた。
目の前に、生きた人間がいる。
それに向かって、魔法を放つことが出来ずにいた。
それに、これだけ近ければ、悠長に詠唱している暇もない。
訓練場で嫌というほど撃ってきたのに、彼らは動けない。
「下がっていろ!」
私は、そう叫ぶしかなかった。
教え子を死なせるために、ここへ来たのではない。
守備隊の兵が一人、肩を斬られて膝をついた。
それでも、数ではこちらが勝っていた。
「石の牙よ――」
あと四人。
だが、敵が味方と近すぎる。
「ガルズ!」
「っ!」
ガルズは咄嗟に後ろに飛んだ。
その瞬間、私はアースランスをガルズが対峙していた兵士に撃った。
仲間が魔法でやられたのを見て、一瞬の隙が出来た。
その隙を、味方の兵士たちが突いた。
一人、また一人と、ゼーラント兵が倒れていった。
最後の一人が倒れた時、辺りには荒い息だけが残っていた。
「……っ、よし、片づいたか」
「なんとかな」
「助かったぜ。あんたがいなきゃやばかった」
「これが私の仕事だ」
その言葉に、ガルズがすこし笑った。
「……なんだ、ただの退屈なやつかと思っていたが、違ったみたいだな」
「……どうかな」
ガルズは、また笑った。
「おい、お前ら大丈夫だったか?」
ガルズは、ゾフィーとティルに話しかけた。
「……はい。すみません、なにも出来なくて」
ゾフィーが答えた。
「なあに、気にすんな。ちびってないなら上出来だ」
「……ガルズさん、傷、大丈夫ですか?」
ティルが、ガルズの傷の心配をしている。
ガルズが、肩の傷を布で縛りながら言った。
「大丈夫? はっ、こんなのかすり傷だ。怪我のうちに入らねえよ」
「……」
「お前たちに教えたいことはたくさんあるが、これだけは覚えておけ」
ガルズの言葉に、二人は耳を傾けていた。
ティルのその目は、訓練所では見なかった目だ。
「下を向いても、前には進めないぞ」
二人は、意味がよくわかっていない顔をしていた。
いや、私も入れたら三人だ。
「さてと。おい、お前らも大丈夫か?」
ガルズは、他の兵士の様子を見に行った。
手のひらにまだ、魔法を放った感触が残っている。
二十年ぶりに、人を殺した。
その実感は、なぜか薄かった。
ゾフィーとティルは、倒れた兵士を見つめていた。
この子たちに、見せたくなかった光景だ。
だが、守城戦が始まれば、こんなものでは済まないだろう。
私はこの子たちに、なんと声をかければいいか、わからなかった。
「よし、出発だ。ここは血の匂いが濃すぎる」
「血の匂い?」
「ああ、あんたならわかるだろ?」
「……」
「行くぞ!」
私たちは、その場を離れた。
遺体はそのまま、それがなにを意味するか、私はわかっていた。
ガルズの言葉は、すぐに現実になった。
行きに見た村を通り過ぎたあたりで、低い唸り声がいくつも重なって聞こえた。
「ああ、くそ」
兵士たちが、剣を抜いた。
草をかき分けて、黒い影が現れる。
狼のような獣が、――八匹。
ベルク山で見てきた魔物より、ひと回り大きい。
毛は逆立ち、口からは、よだれを垂らしている。
血の匂いに誘われてきた。
「数が多いぞ! 固まれ!」
ガルズが叫ぶ。
兵士じゃない。
魔物。
今度は、シュタイン隊の分野だった。
魔物が、牙を剥いて飛びかかってくる。
私は、前に出た。
「見えざる壁よ、阻め――シルト」
見えない壁が、前方に生まれる。
飛びかかった魔物の牙が、その壁に当たって弾かれた。
その瞬間、シルトが波打つ。
流石に八匹同時は厳しいか。
私は、後ろを振り返った。
ゾフィーとティルも、今度は怯まず前に出てきていた。
「今だ! 撃て!」
私が叫ぶと、背後で二つの詠唱が重なった。
「石の牙よ、貫け――アースランス!」
シルトにわざと隙間を開けた。
ゾフィーとティルの放った石の槍が、シルトの隙間を通り、魔物の体を続けざまに貫いた。
よし、悪くない。
「そのまま続けろ!」
「はい!」
先ほど動けなかった二人は、今度はしっかりと役目を果たしていた。
「す、すげえ」
「これがシュタイン隊、か」
兵士たちの驚く声が、轟音の隙間を通って聞こえる。
そうだ。
これが、私が育ててきたシュタイン隊だ。
私がシルトで止め、二人がとどめを刺す。
それを繰り返すうちに、八匹の魔物は、すべて地に伏していた。
今回は誰も、傷を負わなかった。
荒い息を整えながら、ゾフィーがぽつりと言った。
「すごいです、フリード教官。シルトってこんな戦い方が出来るんですね」
その目がまた、輝きかけていた。
「そうだ。これが、シュタイン隊が単独で配置されない理由の一つだ。こうやって連携をすれば、魔物相手なら遅れはとらない」
「これから戦うのは、魔物じゃなく、人、ですよね」
ティルがぼそりと呟いた。
私は、何も言えなかった。
魔物は止められる。
だが、魔素のない矢は止められない。
すべてのシュタイン隊が、訓練所で習うことだ。
この子たちはそれでも、あの城壁に立つことになる。
人を殺す兵器として。
私はその現実からも、目を逸らした。
アルトの北門が見えてきた頃には、陽が傾きかけていた。
門をくぐると兵たちが、私たちを迎えた。
負傷者は二人。
どちらも、命に関わる傷ではない。
「助かった。ゾフィー、ティル。それにフリード。感謝している」
「ああ、はやく怪我直せよ」
「酒飲んだら、あっという間よ! 報告はこっちでしておく。ゆっくり休んでくれ」
そう言ってガルズは、詰所のほうに歩いて行った。
持ち帰った情報を、私は頭の中で、もう一度数えた。
あの数の軍が、もうすぐこの壁の前に立つ。
門の内側から見上げた城壁は、来たときよりもずっと低く、頼りなく見えた。




