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幻のなかで 〜名誉を教えた男は、送り出した教え子の顔を一つも覚えていない〜  作者: 星喰ゆう
第三章 フリード

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第二十八話 仕事の時間

 北門の前に、それらしい隊が集まっていた。


 守備隊の兵が、七人ほど待機している。


 一人の男がこっちに気づいて、近寄ってきた。


「おう、あんたらか? 司令の言ってたシュタイン隊の新兵ってのは」

「そうだ。私はフリード」


 そのまま、ゾフィーに目配せをした。


「あ、ゾフィーです!」

「……ティルです」


 男は、私の後ろにいる二人の顔をじっくり見ていた。


「……聞いてた通り、若いな。いくつだ?」

「じゅ、十六です」


 ゾフィーがうろたえながら答えた。


 男は、ため息をついた。


「そうか、そうか。まあいい。俺はガルズだ。よろしくな」

「は、はい!」


 ガルズはそう言って、小隊に出発の合図を出した。


「よし、仕事の時間だ。開門!」


 低い声とともに、分厚い門が、軋みながら開いていく。


 壁の外の、平野が見えた。


 ゾフィーが、ごくりと喉を鳴らすのが、隣で聞こえた。


「緊張すんな嬢ちゃん。この男みたいな、辛気臭い顔になってるぞ」


 ガルズは、私を顎で指した。


 周りの兵士も笑っている。


「緊張すんのは、その時が来たらでいいんだよ」

「は、はい」

「はやくこの空気に慣れることだな。行くぞ」


 慣れる、か。



 平野を、ひたすら歩いた。


 道らしい道はなく、枯れかけた草を踏みしめて進む。


「フリード教官。なぜ街道を使わないのでしょうか?」

「それは……」


 ゾフィーがしてきた質問に、私が答えあぐねていると、前からガルズが答えた。


「街道なんか歩けば、ここにいるぞーって言ってるようなもんだろ?」

「ああ、なるほど」

「俺たちは戦闘をしに行くんじゃない。あくまで偵察。ただの散歩だ」

「散歩、ですか」

「だからって、鼻歌なんか歌うなよ。騒がず、目立たずだ」


 その時、ティルがぼそっと独り言を言った。


「あんたの声は、でかいけどな」


 それを聞いたガルズは、大笑いをした。


「こりゃ、一本取られたな。気に入った!」


 周りもみんな笑っていた。


 こいつら、今自分たちが敵に向かって行っているということを忘れてるんじゃないか、とも思った。


 その場で笑っていなかったのは、私だけだった。


 そういう会話も、目的地に近づくにつれて、少なくなってきた。



 ゾフィーは気負った顔で、遅れまいと足を速める。


 そのたびにティルが、袖を引いて列の間に戻していた。


「……おい、速すぎだ。隊列が乱れるだろ」


 ティルが、ぼそりと言った。


「ご、ごめん」

「大丈夫だ。ちゃんと周りを見ろ」


 今までティルを見てきたが、人に興味がないと思っていた。


 訓練では最低限をこなし、無理はせず、つまらなそうな目をしていた。


 こうやって見ると、面倒見がよく、人のことを気にかけられる人間なのかもしれない。


 訓練所を出てみないと、見えてこないものもあるのだな。


 そんなことを考えながら、私たちは足を進めた。



 ガルズは、ほとんど口を開かなくなった。


 ただ、時折立ち止まっては、遠くの地平や、風の匂いを確かめている。


 二十年、訓練所で子供を教えてきた私など、この男の前では、何の役にも立たないのだろう。



 二時間ほど歩いた頃、前方に小さな村が見えてきた。


 様子が、おかしかった。


 村から、細い煙がいくつも立ち上っている。


 近づくにつれて、焦げた臭いが鼻をついた。


 家々は、焼け落ちていた。


 畑は踏み荒らされ、何もかもが、めちゃくちゃにされていた。


 井戸の脇に、水桶が転がっている。


 ついこの間まで、ここで人が暮らしていた。


 その痕跡だけが、生々しく残っていた。


 そして道の上に、人が倒れていた。


 一人ではない。


 老人も、女も、子供も。


 逃げ遅れた者たちが、そのままの形で転がっていた。


 いくつかの死体は、荒らされていた。


 獣に食われた跡だった。


 死体を狙って、魔物が住処から出てきている。


 ヴィクトルの言葉が、頭をよぎった。


 これが、そういうことか。


 背後で、えずく音がした。


 ゾフィーが、口を押さえてしゃがみ込んでいた。


 ティルは、立ったままだった。


 だが、その顔からは、血の気が引いていた。


 いつもの気だるげな表情も、今はどこかへ消えている。


 私が二十年、訓練所の内側で「戦場」と呼んで教えてきたものと、目の前のこれは、同じ言葉で呼んでいいものなのか。


 分からなかった。


「……弔ってやりたいが、今は駄目だ」


 ガルズが、ティルの肩に手を置き、低く言った。


「任務を済ませるぞ」


 その声に、情がないわけではなかった。


 ただ、慣れていた。


 この男は、こういう村を何度も見てきたのだろう。



 村を抜け、我々は先に進んだ。


 しばらく歩くと、ガルズがなにかを見つけたようだ。


「しっ。全員伏せろ」


 なだらかな丘の茂みに身を伏せた。


 草むらの中を、慎重に前進していく。


 ガルズが顎で、丘の向こうを示す。


 私は、そっと顔を出した。


 息が、止まりそうになった。


 丘の向こうの平野に、天幕がびっしりと並んでいた。


 数えきれない。


 焚火の煙がいくつも立ち上り、鎧を着た兵が、蟻のように動いている。


 ゼーラントの野営地だった。


 これが、フェルゼンを追いつめている軍隊。


 頭では分かっていたつもりだった。


 だが、実際に目にすると、その数の暴力に、体がすくんだ。


 あの壁で、これを止める。


 十九人の教え子がいる、あの城壁で。


 勝てるのか、という言葉が、一瞬、口に出そうになった。


 私は、それを飲み込んだ。


 大丈夫だ。

 シュタイン隊がいる。


 そう、自分に言い聞かせた。


「……嘘、でしょう」


 ゾフィーが、掠れた声で呟いた。


 いつもの、迷いのない目が揺れていた。


「びびるなとは言わん。あんなん見せられたら、普通のやつは漏らしちまうだろうからな」


 ガルズが、小声で言った。


「だが、よく見ておけ。天幕の数、旗の印、兵士の装備。情報を持ち帰るのが、俺たちの仕事だ」


 私たちはしばらく、その光景を目に焼き付けた。


 この軍がアルトの城壁の前に立つのは、そう遠い話ではない。



「よし、十分だ。帰るぞ」


 ガルズの合図で、私たちは丘の陰を、そろそろと後退した。


 来た道を戻る。


 村の煙が、また近づいてくる。


 誰も、口を開かなかった。


 先頭を行くガルズが、ぴたりと足を止めた。


 片手を上げ、全員を制する。


 草むらの向こう。

 風とは違う、何かが動く気配。


 ガルズが、剣の柄に手をかけた、次の瞬間。


 草むらの間から、なにかが飛んできた。


 それが、ガルズの肩に当たった。


「くっ。敵だ!」


 その声とほぼ同時に、人が飛び出してきた。


 ゼーラントの軍服。


 一人ではない。


 二人、三人――五人。


 我々は、敵と遭遇してしまった。

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