第二十七話 それぞれの務め
山を下り、街道を半日ほど進むと、アルトの城壁が見えてきた。
これまで、ベルク山の上から、眺めるだけだったフェルゼンの首都。
私自身、ここに来るのは何年ぶりだろうか。
高い石の城壁が、畑だらけの場所にそびえたっている。
訓練生たちが足を止めて、それを見上げた。
「やっと、帰ってきた」
声をあげたのは、ハインツだった。
「僕の生まれた町なんだ」
「へえ、意外だな。田舎出身かと思ってた」
「へへへ。美味しいパン屋さん、紹介するよ」
訓練生たちの声は、少しだけ弾んでいた。
悪くない兆候だ。
ずっと気が張ってるより、よっぽどいい。
しかしまさか、こんな形で故郷に帰ってくることになるとはな。
門をくぐると、町は騒然としていた。
兵たちが、石材を担いで城壁を補強している。
物資を積んだ荷車が、ひっきりなしに行き交う。
だが、その流れに逆らうように、町を出ていく一団もあった。
家財を山ほど積んだ、立派な馬車の列だ。
御者が、道をあけろと、歩く者を怒鳴りつけていた。
金のある者から、町を離れていく。
その馬車がはねのけた道の隅には、逃げる当てもない者たちが座り込んでいた。
痩せた老人。
子を抱えた女。
ハレンから、流れてきた者たちだろうか。
ニコが、その一団をじっと見ていた。
私はその視線を、見なかったことにした。
城壁の一角に、守備隊の詰所があった。
私たちはここで、アルトの守備隊に合流することになっていた。
古参らしい兵が数人、こちらに目を向けた。
いや、私ではない。
私の後ろに続く、子供たちを見ていた。
何年も戦場にいる者の、乾いた目だった。
値踏みするでも、憐れむでもない。
ただ一度見て、静かに逸らした。
子供が戦場に送られてきたことに彼らはもう、驚きもしないのだろう。
詰所の奥から、一人の男が出てきた。
大柄で、白髪の混じった髪を短く刈り込んでいる。
貴族のような華やかさはない。
ただ、長く兵を率いてきた者の、重みだけがあった。
「ん? なんだ、ここは託児所じゃないぞ」
「シュタイン隊の新兵です。ベルク山より、応援に駆けつけました」
その男は、私の後ろの子らを見た。
「……嘆かわしいな。こんな子供まで戦わせないといけないとは。俺は、アルト守備隊総司令のヴィクトルだ」
「訓練所教官のフリードです」
「はるばるご苦労、フリード教官。おい、彼らを宿舎に案内してやれ」
「はっ」
近くの兵士が、訓練生たちを近くの宿舎に案内した。
「さて、フリード教官。少し話そう」
ヴィクトルそう言って、城壁の階段を上り始めた。
「ハレンが落とされたと情報が入ってから、ここも大騒ぎだ。まったく、もっと早く準備をしておけばよかったものの」
「ハレンに、援軍は出さなかったのですか?」
「……ああ。厳密に言えば、出せなかった。貴族連中がアルトを固めることを選んだからな。ハレンが持ちこたえている間、ここの防備を固める。それが奴らの作戦らしい」
「……」
「せめて、ハレンの戦力をアルトに撤退させておいたら、子供たちを戦場に送り込むようなことをしなくてもよかったかもしれない」
城壁の上に着いた。
「フリード教官。何年この仕事を?」
「二十年ほどになります」
「……そうか」
ヴィクトルは、街の外へ目をやった。
遠い空の一角が、うっすらと、煙っていた。
「俺も長いこと、若い兵を送り出してきた。もう何人送ったか、数えていない」
その声に、誇りはなかった。
「あの煙の下で、フェルゼンの民が焼かれている」
ヴィクトルの拳が、石壁の上で、固く握られた。
「助けに出たい。兵も出たがっている。だが上は、動くなと言う。アルトの守りを固めろ、とな」
民を見捨てて、城に籠もれ。
そういうことだった。
「俺は軍人だ。命令には従う。従うしかない」
ヴィクトルは、自嘲するように、口の端を歪めた。
この人は、苦しんでいる。
私のように、名誉でくるんで飲み込むことも、できずに。
「……民を守るのが、我々の務めです」
私は、言い慣れた言葉を口にした。
「……その言葉で、お前も若者を戦地に送り込んできたのか」
「……え、ええ。それが務めですから」
ヴィクトルは、私を見て少しだけ笑った。
「……俺も、同じだ」
将軍は、短く息を吐くと、顔つきを変えた。
「……話が過ぎたな。ちょうどいいところに来てくれた、フリード教官」
「は?」
「お前の隊から、三名ほど借りたい。魔法を使える人間が要る」
私は戸惑った。
「斥候、ですか。失礼ながら、なぜ斥候にシュタイン隊を?」
「最近、魔物の動きが活発になっている」
ヴィクトルは、低い声で言った。
「おそらく、死体を狙って、住処から出てきているんだろう」
死体。
この辺り一帯に、どれだけの死体が転がっているのか。
そういう意味だと気づくのに、少しかかった。
「こんなところにまで、魔物が……」
「ああ。戦闘の必要はない。必要な情報を集め、ここへ戻る。それだけだ」
「なぜ我々の中から?」
「ここに配備されているシュタイン隊には、別の任務が割り振られている。人手が足りないんだ」
将軍はそう言って、私を見た。
「荷物を置いたら、行く人間を選べ。すぐに北門の前に集合だ」
「……はい」
私は、宿舎から出てきた子供たちを集めた。
先ほど与えられた任務の内容を、簡単に伝える。
「斥候の任務だ。兵士の傍につき、護衛する。おそらく戦闘はないだろう。だが、城の外に出る。志願者はいるか?」
訓練生は、顔を見合わせた。
城の外。
敵軍や魔物と、いつ遭遇してもおかしくない。
誰も、すぐには動かなかった。
その中で一人、すっと手が挙がった。
ゾフィーだった。
「私、行きます」
迷いのない目だった。
役に立てるなら、どこへでも。
そう書いてあるような顔だ。
また、だ。
私が、何か言うより先に、もう一つ手が挙がった。
ティルだった。
いつもの気だるげな様子のまま、しかし、ちらりとゾフィーのほうを見てから、手を挙げていた。
「……俺も」
それだけ言って、またつまらなそうに目を逸らした。
私は少しだけ、意外に思った。
あの子が、自分から前に出るとは。
「よし、あと一人だ。他にいないか?」
私は、訓練生を見渡した。
誰も、目を合わせようとしない。
その中でエミールが、小さく震えているのが見えた。
手を挙げようとして、挙げられずにいる。
膝の上で、拳が固く握られていた。
怖いのか。
当たり前だ。
「……よし」
私は言った。
「あと一人は、私だ」
エミールが、はっと顔を上げた。
その目を、私は見ないふりをした。
「教官が、自ら出るのですか?」
ゾフィーが、驚いたように言う。
「私も、昔は戦場にいた。斥候の一つや二つ、どうということはない」
本当は、戦場にいたのはほんの少しの間だ。
それも若いころ。
二十年、訓練所で子供を教えてきた私が、どこまで動けるのかわからない。
それでも、エミールを行かせるよりは、ましだった。
「残りはクルト教官の指示に従え。ゾフィー、ティル。行くぞ」
「はい!」
「……はい」
私はもう一度、壁の外の空を見た。
今から私は、戦場に行く。
いつ死ぬかもわからない場所へ、教え子と共に。




