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幻のなかで 〜名誉を教えた男は、送り出した教え子の顔を一つも覚えていない〜  作者: 星喰ゆう
第三章 フリード

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第二十五話 覚悟を決めろ

「フリード教官。ハレンが落ちたって、本当ですか?」


 訓練生の一人、ニコが突然質問してきた。


「……どこでそれを?」

「昨日、食料の搬入で来た人に聞きました。本当なんですか?」

「……心配ない。アルトはまだ健在だ。防備も固めているだろう。ハレンのようなことは、アルトでは起こらない」


 ニコは下を向き、しばらく黙った。


「……ハレンは、僕の故郷なんです」


 私は、言葉に詰まった。


 まさか、彼がハレン出身だったとは、思いもよらなかった。


「両親は、逃げれたでしょうか?」

「……ああ、おそらく民間人は逃げられただろう」


 私は、嘘をついた。


 本当のところは、まったくわからない。


 民間人を逃がしてやれるほど、ハレンの守備隊の数は多くないはずだ。


 おそらく、兵として徴用されただろう。


「……そう、ですか」


 ニコは振り絞るように言った。


 たぶん、私がついた嘘を見抜いている。


「ニコ。訓練に戻れ」

「……はい」


 それしか、言えなかった。



 訓練場の空気は、はっきりと変わった。


 子供たちはもう、戦争のことを話さなくなった。


 訓練は続いていたが、仕上げというより、ただ日を数えているように見えた。


 入所のとき二十八人いた訓練生は、十九人まで減っていた。



 その夜、ラルフの声掛けで、教官たちが一つの部屋に集まった。


 誰が言い出すでもなく、酒が出た。


 戦が始まってから、こうして顔を揃えるのは、久しぶりだった。


「総動員は、もう時間の問題のようですね」


 ラルフが、杯を手にしたまま言った。


「全員がアルトに向かうのでしょうか?」

「……その件ですが」


 オストが重く口を開いた。


「学院長からの指示で、私が残ることに……」

「……そう、ですか」


 部屋の中に、重い空気が流れた。


「残念です。私も、教え子たちと国を守りたかったのですが」

「……いや、誰かが残って、次の訓練生を教えないといけませんからね」


 ラルフは、軽い口調で答えた。


「そうですね。ラルフの言う通り、いずれ新しい訓練生も来ることでしょう。フリード教官が戻るまで、留守は私が引き受けます」


 次の訓練生。


 その言葉が、やけに遠くに聞こえた。


 この戦況で、ここに送られる人間はいるのだろうか。


 そもそも、自分が戻ってくるのか。


 誰にも分からないことをオストは、いつもの調子で口にした。


「次の訓練生、ねえ」


 クルトが、杯を置いた。


「そこまで国が残っていれば、な」

「これはまた、縁起でもないことを」


 オストが、顔をしかめる。


 クルトは、それ以上は言わなかった。


 ただ、酒を一息にあおっただけだった。



「ターニャ。お前も行くのか?」


 私が聞くと、彼女は酒を飲み干した。


「そうですね。治癒魔法を扱える術者は、貴重ですから。私の友人も、戦地へ駆り出されたようですし。もう、なりふり構っていられないのでしょう」

「……その友人は、まだ生きているのか?」


 ターニャは、酒を注ぎながら答えた。


「わかりません。流石に最前線に送られることはないでしょうから、おそらく無事でしょう」


 ターニャは、また酒を飲み干した。


 口にしなくても、彼女が不安になっているのがわかる。


 私は、彼女を慰める言葉を持たなかった。



 宴が白けてきた頃、オストが、私の隣に来た。


「……フリード教官」


 声を、落としていた。


「あなたが戦場に行って、私が残るっていうのは、なんだか、据わりが悪いですね」


 いつもの楽観的な顔が、少しだけ剥がれていた。


「それぞれの役割というものがある」


 私は言った。


「それに、私も昔は戦場に出ていた。活躍して、すぐにここに送られたがな」

「……そうでしたね」

「訓練生のひよっこ共に、名誉あるシュタイン隊というものを見せてやるつもりだ」


 オストは、何か言いかけて、やめた。


 そして、いつもの顔に戻って笑った。


「それは頼もしいですね。ご武運を」


 長年、ここで教えてきた者同士、酒を酌み交わす。


 次があるかどうかなんて、考える必要はない。



 翌日早朝、訓練が始まる前の中庭で、あの三人を見かけた。


 ゾフィーが、まっすぐに寄ってきた。


「フリード教官。わたしたちも、アルトへ行くんですよね」

「ああ」

「やった」


 その目が、輝いていた。


「やっと、誰かの役に立てるんですね」


 やっと、と彼女は言った。


 血を吐いて、指先が紫になっても、まだ誰かを救いたいと思っている。


 頼もしい、とまた胸が熱くなりかけた。


「……無理はしなくていい。生き延びることを考えろ」

「……え?」


 結局、それしか言えなかった。


 少し離れて、ティルが壁にもたれていた。


「お前は、どうだ?」


 私が声をかけると、ティルは肩をすくめた。


「どうもこうもないでしょう。行けって言われりゃ、行くしかないですよ、俺たちは」


 その声に、怯えはなかった。


 ただ、冷めていた。


「……次は、人か」


 ぽつりと、そう言った。


 私は、何も返せなかった。


 エミールは、ティルのすぐそばに立っていた。


「エミール」

「……教官」


 その声が震えていた。


「俺、ちゃんと、戦えるでしょうか?」

「怖いか?」

「……はい」


 正直な子だ。


 藁の的や、山の魔物とは、違う。


 これから送り出される場所では、人殺しを行う。


 ここでは、決して訓練出来ないことだ。


「怖くても、逃げる場所はない。覚悟を決めて、前に進むしかないんだ」

「……はい」


 私は、それだけ言った。



 その日の夕方、伝令が山を登ってきた。


 正式な、総動員令だった。


 明日、アルトへ発つ。


 私は、窓の外を見た。


 訓練場は、静まり返っていた。


 明日、訓練生を連れて、山を下りる。


 何人が、生き残れるのか。


 私自身、生きて帰れるのか。


「……覚悟、か」


 私は一口、酒を飲んだ。

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