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幻のなかで 〜名誉を教えた男は、送り出した教え子の顔を一つも覚えていない〜  作者: 星喰ゆう
第三章 フリード

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第二十二話 守ってきたもの

 前線で、ことごとく敗走しているとの知らせは、訓練所の空気そのものを変えていた。


 誰も口には出さないが、誰もが敵軍の足音に耳を澄ませている。



 そんなある日、学院長が教官を集めた。


 円卓に、教官が並ぶ。


 学院長が、戦況を説明する。


 だが、その中身は、驚くほど薄かった。


 ゼーラントがどこまで来ているのか。


 アルトの防衛準備は、どこまで進んでいるのか。


 前線の兵を引いて、首都に温存するのか、それとも。


 どれも、「おそらく」「という話だ」「伝わってこない」ばかりだった。


「学院長。もう少し、確かな情報はないんですか?」


 私が問うと、学院長は首を振った。


「私にも、詳しいことは下りてこん。我々は、言われたとおりにシュタイン隊を育てる。それだけだ」


 ここは、ただの訓練所だ。


 戦況を論じたところで、我々にできることは、何一つない。


 それでもこうして集まって、分からないなりに言葉を交わす。


 そうでもしなければ、落ち着かないのだ。



 会議が半ばに差し掛かった頃、扉が開いた。


 入ってきたのは、見慣れない男だった。


 上等な服を着込み、指には宝石が光っている。


 丸々と肥えた体を揺らし、護衛らしき人物を数人従えて入ってくる。


 血と汗が滲む訓練所には、寄り付きもしないような人物に見える。


「こ、これはエグモント卿!」


 学院長が、慌てて立ち上がった。


 我々も、立ち上がって頭を下げる。


「ど、どうしてこのような場所においでで?」

「はっ。なにを言う、ウィスリー。ここの維持費は、主にわしの私財から出しておるのだ。見に来てなにが悪い?」


 そう言いながら、エグモント卿と呼ばれた人物は、学院長の肩を叩いた。


「悪いなど、滅相もありません」


 エグモント卿は、円卓の上座に、当然のように腰を下ろした。


「して、兵はどれほど仕上がった?」


 兵、と彼は言った。


 シュタイン隊、ではなく。


「は。現在二十八名、教官たちの努力もあって――」

「二十八名? 少ないな」


 エグモント卿は話を遮り、小さく鼻を鳴らした。


「アルトの壁を支えるには、頭数が要る。もっと詰め込めんのか」

「お言葉ですが、エグモント卿。シュタイン隊になるには適性がいります。ですが、ほとんどの若者は戦地へ送り出され、人材を確保できない状態です」


 学院長の話の最中、エグモント卿は、護衛の一人にワインを注がせていた。


「もし新たに人材が到着したとしても、敵がアルトに到着する前に育てられるかどうか……」

「訓練を急がせればよいではないか」

「……今も最大限努力はしています。訓練生には、多大な負荷がかかっており、倒れる者も多く、これ以上は死者を出す恐れもあります」

「死者?」


 エグモント卿は、心底不思議そうな顔をした。


「ただの兵が訓練中に死んだところで、何の問題がある。代わりなど、いくらでも湧いてこよう。国のために死ねるのだ。むしろ誉れというものだろう」



 円卓の端で、クルトが低く息を吐いたのが分かった。


「……恐れながら、エグモント卿」


 まずい、と思った。


「彼らは、まだ子供です。親元から引き剥がして、二カ月やそこらで戦場へ送るなど――」

「クルト教官」


 私は、遮った。


「卿の御前だ」


 クルトは、私を見た。


 その目には見たことのない、冷たいものが宿っていた。


 だが、口は閉じた。


 エグモント卿は、我々のやりとりを、面白くもなさそうに眺めている。


「威勢のいい教官もいたものだ。……まあいい。せいぜい、いい駒を仕上げてくれ」


 駒、と彼は言った。


 私は、頭を下げた。


 この男の言う名誉は、私が二十年、訓練生に説いてきた名誉と、同じもののはずだった。


 なのに、自分の耳で聞くと、どうしてこうも薄汚れて聞こえるのか。



 エグモント卿はその夜、訓練所の一番良い部屋に泊まった。


 夕食には、どこから運ばせたのか、肉とワインが並んだという。


 痩せた子供たちが、同じ屋根の下で、薄い粥をすすっているというのに。



 翌朝、エグモント卿は訓練を見に来た。


 訓練生が中庭で的を撃つのを、満足げに頷いて眺めている。


「よいよい。みな、よい顔をしているではないか」


 そして、訓練を終えた者の前に立つと、両手を広げた。


「諸君。諸君は、選ばれた者だ。アルトの、いや、フェルゼンの盾となる、名誉ある者たちだ。胸を張りたまえ」


 どこかで聞いた言葉だった。


 私が、言い続けてきた言葉だ。


 ゾフィーの目が、ぱっと輝くのが見えた。


 この子は、この男の言葉すらまっすぐに受け取っている。


 ティルは俯いて、唇を歪めていた。


 エミールは、ただ立っていた。



 昼には、エグモント卿は供を連れて、山を下りていった。


 来たときと同じ、豊かな体を揺らして。


 私は門の前で頭を下げ、それを見送った。


 隣で、クルトも頭を下げていた。


 だがその横顔は、見たことのないものだった。


「……あれが」


 クルトが、ぽつりと言った。


「あれが、俺たちが守ってきたものか……」


 私は答えなかった。


 何と答えればいいのか、分からなかったからだ。

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