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幻のなかで 〜名誉を教えた男は、送り出した教え子の顔を一つも覚えていない〜  作者: 星喰ゆう
第三章 フリード

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第二十話 与える名誉

 訓練が始まって、十日が過ぎた。


 いつもなら、この時期はまだ座学ばかりだ。


 魔素の仕組みを教え、詠唱を暗記させ、体に障りのない範囲で、少しずつ取り込ませていく。


 一年、二年とかけて、ゆっくりと器を広げていくものだ。


 急ぐ理由など、どこにもなかった。


 だが、今年は違う。


 数か月で戦場に出せるようにしろという命令が、何もかもを変えてしまった。


 座学はほとんど削った。


 朝から晩まで魔素を取り込ませ、詠唱を繰り返させる。


 訓練生が休憩しているところに、クルトが魔素の基礎を教えに行く。


 休憩の時間すら、基礎の講義にあてた。


 食堂で、クルトが話しかけてきた。


「フリード。この数日間、みっちりやってきたが、明らかに訓練生の顔色が悪いぞ」

「わかっている。気の休まる時間がないからな」

「そうか、よかったよ。教え子のことを大事に思ってるんだな。見直した」

「そう私に噛みつくな。一年もしない間に、あの子らは戦場に投入されるかもしれないんだぞ。頑張ってもらうしかない」

「そもそも、なんでこんな状況になっているんだ。国境に配備できる資材も人も、十分にあったはずだ」

「……」

「無能どものおかげで、教え子たちが使い捨てにされている。まったく、名誉を与えるのも虚しくなるよな」


 クルトはそう吐き捨て、その場を去った。


 私は、なにも言えなかった。



 十日で、訓練場の空気は変わった。


 初日に目を輝かせていた子たちは、もうほとんどいない。


 詠唱の声は日ごとにかすれ、昼を過ぎる頃には、あちこちで子供が膝をついている。


 鼻血くらいでは、もう誰も顔を上げない。


 倒れた子を踏まないように歩くのにも、私はすっかり慣れてしまった。


 血を吐いて動けなくなる者が、毎日何人も出る。


 魔素酔いだ。


 取り込んだ魔素の量に、体のほうが追いついていない。


 軽微であれば、すこし休めば治る。


 だが、休ませる時間がない。


「フリード教官」


 医務室から出てきたターニャが、私を見つけて足早にやってきた。


 白衣の袖が、血で汚れている。


 声に、いつもの遠慮がない。


「医務室がもう一杯です。寝かせる場所もありません」

「……そうか」

「そうか? 聞いていましたか?」


 ターニャの声が、一段高くなった。


「先ほど、訓練生の一人に、魔素中毒の症状がでました。なんとか回復したからよかったものの、あと少し遅ければ死んでいました。一度中毒になってしまえば、私にはもう、何も出来ないんです」


 彼女の言っていることは、正しい。


 正しいから、聞いていられない。


「せめて、一日おきに休ませてください。体を戻す時間がなければ、治せるものも治せない」

「上が、それを許さん」

「なら上に言ってください! 現場が保ちません!」


 彼女は、私の目をまっすぐ見ていた。


 責めているのではない。


 ただ事実を、事実として突きつけている。


 それが、一番こたえた。


「……最善を尽くしてくれ。ターニャ」

「待ってください! まだ話は終わっていません!」



 私は、その足で学院長の部屋へ向かった。


 言うだけは、言っておこうと思った。


「このペースでは、死人が出ます」


 手に持った書類から顔も上げずに、学院長は言った。


「出たのか?」

「まだです。ですが、時間の問題です」

「ならば、今のままでも大丈夫ということだ」

「学院長。せめて、休養の日を設けてください」


 初めて、その顔が上がった。


 私の知っている学院長の顔とは少し違って、疲れが顔に出ていた。


「フリード教官。ゼーラントは、もうアルトの喉元まで来ている。魔法を使える人材が、一人でも多く必要なんだ。完璧じゃなくても構わない。とにかく、頭数を増やすんだ」

「しかし、彼らはまだ子供です。鍛える前に、潰れてしまう」

「私とて、好きで言っているのではない」


 学院長は、また書類に目を落とした。


「上がそう言っている。不服があるなら、お前がアルトの連中に掛け合ってこい。……私の首も、お前の首も、どうせそう長くはないがな」


 私は、それ以上、何も言えなかった。



 部屋を出ると、少しだけ、体が軽くなっていた。


 言うべきことは言った。


 聞き入れられなかったのは、私のせいではない。


 そう思うと、不思議と肩の荷が下りた気がした。


 気が楽になっている自分に、私は気づかないふりをした。



 訓練場に戻ると、また一人膝をついていた。


 口のまわりが、赤く濡れている。


「立てるか?」

「……はい」

「無理をするな。だが、休むな」


 矛盾している。


 分かっていて、私はそう言った。


「慣れだ。じきに、体のほうが追いついてくる」


 その言葉を、私はもう何度口にしただろう。


 十日のあいだ、倒れる子を見るたびに同じことを言ってきた。


 言うたびにその言葉は、少しずつ軽くなっていく気がした。



 あの三人は、今日も端のほうに固まっていた。


 この十日で、三人の様子も少し変わった。


 ティルは、相変わらず痺れる手前で手を止める。


 だがその目から、入所したときのような退屈は消えていた。


 代わりに、冷えたものが濃くなっている。


 エミールは、要領は悪いが、転んでも、何度でも立ち上がる。


 そして、ゾフィー。


 この十日、彼女は一日も手を抜かなかった。


 誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで残る。


 顔は紙のように白いのに、今日も誰よりも多く取り込もうとしている。


「お前、いい加減にしろよ」


 ティルが、小声でゾフィーに言うのが聞こえた。


「そんなに取り込んだら、ぽっくり死んじまうぞ」

「でも教官が、必要としてくれてるから」

「……教官は、誰のことも必要としちゃいない。頭数が要るだけだ」


 ゾフィーは、その言葉を聞かなかったふりをして、また魔素を取り込んだ。


 私も、そのやりとりを聞かなかったふりをした。


 ティルの言うことのほうが正しいと、どこかで分かっていたからだ。


 それでも、ゾフィーの熱心さが、私の胸を熱くさせた。


 こういう子が、いずれ国を支える。


 そう思った、次の瞬間だった。


 ゾフィーが血を吐いて、前のめりに倒れた。


「ゾフィー!」


 エミールが悲鳴のような声をあげて、駆け寄る。


 ティルが、倒れたゾフィーを素早く抱き起こした。


 そしてその顔が、私を見上げた。


 責めるでも、泣くでもない。


 ただ、あの冷めた目で。


「……これが、教官の言う名誉ですか?」


 私は、答えを持たなかった。


「ターニャを呼べ!」


 そう言うのが、精一杯だった。



 その夜、医務室の寝床は、すべて埋まったと聞いた。


 ゾフィーは、一命を取り留めたという。


 目を覚まして、真っ先に口にしたのは、「訓練に戻れますか」だったらしい。


 見込みのある子だ。


 そう思おうとして、またあの目が、頭をよぎった。


 これが、教官の言う名誉ですか。


 窓の外を見ると、訓練場の石畳に、強い雨が打ち付けていた。

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