第二話 静まり返る
角笛は、鳴りやまなかった。
溝の中を、兵士たちが走っていく。
剣を抜く者、弓に矢をつがえる者。
誰もが、同じ方向を見ていた。
丘の上。
松明の灯りが、斜面をゆっくりと下ってくる。
十、二十。
数えられなかった。
あそこにいるのは、間違いなく人間。
私たちを殺しに、あれだけの人数がこちらに向かってきている。
膝が、震えていた。
つい最近まで、私は訓練生だった。
魔法を的に当てて、魔法の盾を作り出して、ここ最近で一番優秀とまで言われた。
その言葉に、私は胸が高鳴った。
やれる。
私は優秀なんだ。
訓練所の的は、動かなかった。
的は、こちらを殺そうとはしなかった。
「すごい数だね。新入りだから下がってろ、とは言えないよ」
アメリーが、私の肩を叩いた。
もう、笑っていなかった。
「マチルダ。ブレイク魔法は習ったね?」
「……はい」
「じゃあ配置について。大丈夫。やつらがここに来るまではまだ時間がある。訓練学校の的と同じだ。考えるな」
アメリーはそれだけ言うと、壁のほうに走っていった。
あちこちで、同じことを言っているのだろう。
こんな状況でもその背中は、焦っているようには見えなかった。
三年というのは、こういうことなのかもしれない。
隣で、マルコが唾を飲む音がした。
「なあ、マチルダ」
「な、なに?」
「おれ、手が震えてる」
「……私も」
それ以上は言わなかった。
言葉にすると、動けなくなりそうだったから。
ゲルナーは、もう詠唱を始めていた。
さすがだ。
今回の卒業生の中で、一番の年上。
怖いもの知らずで、訓練生時代も私たちを引っ張っていってくれた人だ。
こういう時には、頼りになる。
私も、口を動かした。
訓練学校で、何百回もやった詠唱。
「石の牙よ、貫け――」
周囲から、魔素を取り込むイメージで。
喉の奥が、鉄の味になる。
「アースランス!」
魔素が石に変わり、槍のように飛び出した。
他のシュタイン隊の魔法と重なり、一斉に丘に向かって放たれた。
悲鳴が聞こえた、気がした。
私の魔法が、初めて人に当たった。
いや、何人も一斉に放った。
私のが当たったとは限らない。
手が一瞬、止まりかけた。
同じことだ。
誰の魔法が当たったとか、そんなことは関係ない。
「なにしてる! 撃ちまくってくれ!」
剣を持った兵士が、私に叫んだ。
私は、詠唱に戻った。
砦のあちこちで、同じことが起きていた。
シュタイン隊の詠唱が重なる。
石の槍が、丘から下ってくる松明に放たれていく。
魔法が飛んでいくたびに、松明が少しずつ減っている。
いける。
止められる。
選ばれた人間というのは、本当だったんだ。
そう、思った。
だが灯りは、消えた数より多く、途切れることもなく続いている。
倒れた兵士の死体を、次の兵が踏み越えてくる。
次も。
その次も。
数が違いすぎた。
訓練学校では教わらなかった。
こんなに来るなんて、誰も言わなかった。
魔法は、無限には出来ない。
魔素を取り込むたびに、喉の鉄の味が濃くなる。
指先が、少しずつ痺れ始めていた。
その時。
風を切る音がした。
最初は、一本。
すぐに何十本にもなった。
矢だ。
「盾を構えろ!」
誰かが叫んだ。
私は反射で、シルト魔法を張った。
「見えざる壁よ、阻め――シルト!」
薄い防御の結界が、目の前に現れる。
私の周りにいた、兵士ごと包み込んだ。
矢が、来る。
シルトに、届く――
届いて、そのまますり抜けた。
シルトは、魔法を弾く。
魔物を止める。
けれど、魔素のない矢は通す。
知っていた。
訓練学校で習った。
頭では、ちゃんと知っていた。
それでも私の体は、盾の後ろで立っていた。
守られていると信じて、立っていた。
すぐ後ろで兵士が、喉を押さえて倒れた。
矢が深く、刺さっていた。
私は、この人を知っていた。
昼間、胸へ手を当てて頭を下げた――あの顔だった。
咄嗟に、顔を背けた。
私の盾は、何も守っていなかった。
「そこ、シルトは意味ないぞ! 早く撃ち返せ!」
シュタイン隊の人が、私に叫んだ。
「は、はい!」
シルト魔法を解き、詠唱を始めようとした。
腕が震えて、動かなかった。
声も出なかった。
選ばれた人間。
替えの効かない戦力。
そう言われたばかりだった。
でも、矢は防げない。
私も、あの兵士も、同じように倒れる。
胸の紋章は、矢の一本すら止めてはくれなかった。
少し離れた所で、ゲルナーが撃ち続けていた。
顔が赤い。
汗が湯気になって、頬から立ちのぼっている。
あきらかに限界だ。
ああなった人を、訓練学校で何人も見てきた。
魔素酔いだ。
「ゲルナーさん、もう――」
マルコの声は、怒号と悲鳴に飲まれて消えた。
ゲルナーは止まらなかった。
止まれば、敵がここまで到達してしまう。
それを、誰もが分かっていた。
だから、誰も止められなかった。
そのときだった。
東の森から何かが聞こえた。
風でも、人でもない、音。
無数の遠吠え。
羽ばたき。
戦場に、確かに響く足音。
斜面を下ってきたゼーラントの兵が、足を止めた。
振り返っている。
森のほうを。
さっきまで、怒号が飛び交っていた戦場は、背筋が凍るくらい静まり返っていた。
月が、明るかった。
いつのまにか、雲が切れていた。
欠けたところのないまるい月が、森の上に白く浮いていた。
アメリーが、詠唱を止めていた。
空を見上げて、短く息を吐く。
月明かりに照らされたその横顔を、私はたぶん、一生忘れない。
「……来たね」
アメリーが、静かに言った。
「よく見ておきな、マチルダ。この土地の本当の怖さをね」
言っている意味が、すぐには理解出来なかった。
東の森に目を凝らした。
森の闇から、黒いものがこぼれ出した。
十、二十……五十。
もう、数える気も起きなかった。
月明かりだけが、この戦場のすべてを理解している。
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