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幻のなかで 〜名誉を教えた男は、送り出した教え子の顔を一つも覚えていない〜  作者: 星喰ゆう
第二章 ヴィリー

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第十七話 届かない

 黒い塊の正体は、ゼーラント兵だった。


 そう分かったときには、僕たちの周りで戦いが始まっていた。


 剣を抜いた兵士が、すぐ目の前にいた。


 雨と泥をはね上げて、こちらへ走ってくる。


 誰かが、僕のすぐ横で倒れた。


 血まみれの手で、首を押さえながら。


 声にもならない音が聞こえた。


 訓練所で教わった戦いは、どこにもなかった。


 隊列も、号令も、魔法も。


 なにもなかった。


 ただ、人と人がぶつかって、殺し合っていた。


 この雨の薄暗さのせいか、誰が敵で、誰が味方かも分からない。


 誰もが泥まみれで、血まみれで、同じ顔をしている。


 叫び声と、金属のぶつかる音と、濡れた土を踏む音。


 それがあちこちで、一度に起きていた。


 僕はまた、動けなかった。


 ただ、目の前で起きていることを見ているだけだった。


 村での戦いと、同じだ。


 あのときも僕は、なにも出来なかった。



 詠唱をしようとした。


「石の牙――」


 そこまで言って、やめた。


 こんな近くで撃てば、味方も巻き込む。


 いや、そうじゃない。


 そんなことを考える前に、口が止まっていた。


 敵が近すぎた。


 詠唱を終えるより先に斬られる。


 本当の戦場で魔法は、なんの役にも立たなかった。


 シュタイン隊だとか、選ばれた人間だとか。


 そんなものは、この雨の中にはどこにもなかった。



「ヴィリー!」


 声のしたほうに、キリアンさんがいた。


 返り血で、顔が真っ赤だった。


 なにか、こちらへ投げてよこした。


 それが泥の上に刺さる。


 剣だった。


「ぼさっとするな! 身を守るんだ!」


 キリアンさんが叫んだ。


「生きたいなら、戦え!」


 僕はその剣を、泥から引き抜いた。


 思っていたより、ずっと重かった。


 握り方も、構え方も知らない。


 訓練所で、剣なんて一度も習わなかった。


 顔を上げたときにはもう、キリアンさんの姿はなかった。


 人と、木と、雨。


 その向こうに消えていた。


 生きているのか、死んだのかも分からなかった。



「ローデ!」


 僕は叫んだ。


 さっきまで、すぐ隣にいたはずだった。


 でも、どこにもいなかった。


 フードを被った背中が、いくつもいくつも、同じに見える。


 どれがローデなのか分からない。


「ローデ! どこだ!」


 返事はなかった。


 雨の音と悲鳴、剣のぶつかる音。


 その全部が、僕の声を飲み込んでいった。


 一瞬、ローデの横顔が見えた気がした。


 人混みの、ずっと向こうに。


 でも、次の瞬間には、もう見えなくなっていた。


 別の背中が、間に割り込んで。


 それが本当にローデだったのかも分からなかった。


 手を伸ばしても、届く距離じゃない。


 僕とローデの間には、何十人もの知らない人間がいた。


 みんな生きようとして、めちゃくちゃに暴れていた。



 目の前に、敵がいた。


 僕と目が合った。


 考えるより先に、僕は剣を振った。


 めちゃくちゃに振り回した。


 狙うとか、構えるとか、そんなものはなかった。


 ただ怖くて、腕を振り回しただけだった。


 当たらなかった。


 相手の剣が僕の剣を、横から弾いた。


 手が痺れた。


 剣が、手の中で跳ねる。


 なぜかはわからないけど、剣を落とさなかった。


 もう一度振った。


 今度は、相手の鎧に当たって、鈍い音を立てて滑った。


 それだけだった。


 傷一つ、つけられなかった。


 僕の剣は、誰にも届かなかった。


 相手が、剣を振り上げるのが見えた。


 やけにゆっくり見えた。


 僕は逃げることも、受けることも出来なかった。



 横から、別の兵士がぶつかってきて、その人を押し倒した。


 味方か敵かも分からなかった。


 助かったとも、思わなかった。


「押せー! 押し返せ! フェルゼン軍の意地を見せるんだ!」


 近くで、誰かが叫んでいる。


 周りの兵士が、前へと押し返し始めた。


 僕はただ、人の波に押されて、前へよろけた。


 足が勝手に前に出ていた。


 戦うためじゃない。


 どこへ行くのかも分からない。


 ただ押されるまま、前へ。


 言われたとおりに歩いてきた、この足で。


 あの夜、逃げようとしたときは動かなかったのに。


 今はこんなにも、前に出る。


 誰かに命じられたわけでもないのに。


 体が、そういうふうにできてしまっていた。


 もう僕の意志は、どこにもなかった。



 なにかが、僕の横腹を、強く打った。


 なにが起きたのか、分からなかった。


 誰に、どうやられたのかも。


 痛くはなかった。


 ただ、息が急にできなくなった。


 体がぐらりと傾いて、僕は泥の中に膝をついた。


 剣が、手から離れていった。


 どこかへ、転がっていった。


 あんなに重かったのに、なくなると、変な感じがした。


 なんだか、音が遠い。


 あれだけうるさかった悲鳴も、剣の音も、どこか遠くで鳴っているみたいだった。


 そのかわりに、自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえた。


 雨が、顔に当たる。


 冷たい。


 誰かの足が、すぐ横を走り抜けていく。


 泥が跳ねて、僕の頬にかかった。


 立たなきゃと思った。


 立って、前へ行かなきゃ。


 言われた場所は、まだ先のはずだから。


 足に力を入れた。


 入れたつもりだった。


 でも、足はもう、どこにあるのかも分からなかった。


 視界の端で、黒いものが揺れている。


 あれは、なんだろう。


 そういえば、ローデ。

 ローデは、無事だろうか。


 返事は、まだ、

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