第十四話 選ばれた人間
「おい、医療班! こいつはまだ生きている、治癒魔法を頼む!」
「わかった!」
気づいたら周りで、陣地から来た兵士が、慌ただしく動いていた。
先ほどの戦闘に参加していた人たちは、その場で動けずにいた。
みんな、僕と同じような顔をしていた。
泥と血と、煤にまみれて。
初めて陣に着いたあの日、僕たちを出迎えた古参の兵士たち。
あの人たちと、同じ目だった。
あの時は、なぜあんな目をしているのか分からなかった。
たった数日で、僕にも分かってしまった。
増援の兵士たちが、ここから動かせないほど重症な人たちから、治療を始めている。
動かない者は、そのまま。
僕は、なにをしていいのか分からず、立ちすくんでいた。
「おい、そこの新兵。ぼさっとするな。運ぶのを手伝え」
増援の一人に、そう言われた。
運ぶ。
誰を。
言われたほうを見ると、地面に見覚えのある顔があった。
昨日、一緒に穴を掘った人だった。
名前は知らない。
でも、顔は覚えていた。
その体を持ち上げると、思っていたよりもずっと重かった。
まるで、生きていた頃より、重くなったみたいだった。
綺麗なままだった僕の両手が、ようやく汚れた。
誰かを助けるためじゃない。
死んだ人を運ぶために。
やがて、動ける者だけで陣へ戻ることになった。
ほんの半日前、僕たちは百人ほどいた。
今は三十人もいない。
足を引きずる音と、担架の軋む音だけが、いつまでも続いていた。
歩きながら僕は、ここに来る道中ですれ違った、負傷者の列を思い出していた。
今その列になっているのは、僕たちのほうだった。
あれから数日も経たないうちに僕たちは、あちら側になった。
ローデが隣を歩いていた。
さっきから、一言もしゃべっていない。
僕も、なにも言えなかった。
なにか言わなきゃと思うほど、言葉が遠くなっていく。
「……生きてて、よかった」
やっと、それだけ言った。
ローデは少しだけ、こっちを見た。
でも、返事はなかった。
ただ、さっきよりもほんの少しだけ、僕のほうへ寄って歩いた。
それが、返事だったのかもしれない。
ようやく、陣地に戻れた。
そんなに遠くなかったはずだ。
でも、その道は、とてつもなく長い道のように感じた。
「ほら、新兵。大変だったな。飲め」
「……ありがとうございます」
手渡された水を、僕はゆっくり飲んだ。
その水は、いつも飲んでいる、ただの水。
でもその水が、いままで飲んだ水で一番おいしく感じた。
「ヴィリー?」
ローデが心配そうな顔で、僕を見ている。
「……なに?」
「大丈夫?」
その言葉で気づいた。
僕の目から、涙がこぼれていた。
そんな感覚はなかった。
ただ、体が勝手に、涙を流させた。
僕は、涙を拭った。
「……この水、美味いな」
「……そうだね。本当に、生きててよかった」
「……うん」
しばらくして、キリアンさんを探した。
助けてもらった礼を、言わなければいけない気がした。
キリアンさんは天幕の陰で、一人で座っていた。
「あの、キリアンさん。さっきは、その――」
「礼はいい」
キリアンさんは、こっちを見なかった。
「お前が生きてるのは、運がよかったからだ」
その声は、怒っているようにも、ただ疲れているようにも聞こえた。
「……はい」
キリアンさんが、僕のほうを見た。
「まあ、なんだ。あれだけの戦闘を生き延びたんだ。誇っていいぞ」
「でも、なにも出来ませんでした」
「最初はみんなそうだ。経験を積み重ねて、強くなっていく。お前も、俺くらいの歳になったら、同じようなことを若いやつに言う時がくる。鬱陶しがられながらな」
「いえ、僕はそんなことは……そういえば、さっきの腕章をつけていたシュタイン隊の人は、誰なんですか?」
僕は、村の中で医療班と呼ばれていた人たちのことを聞いた。
「ああ、あいつらは治癒魔法を使う。シュタイン隊の中でも、ごく一部の人間しか使えない魔法だ。なんでも、シルトやブレイクとは、まったく感覚が違うらしいからな」
「初めて聞きました」
「無理もない。あいつらは滅多に表に出てこないからな。アルトの貴族様お抱えの医者ってところだ」
シュタイン隊の中でも、ごく一部。
習得出来た人は、貴族のお抱えの医者。
「……本当の、選ばれた人間ってことですね」
僕のその言葉に、キリアンさんの顔が変わったのがわかった。
「……選ばれた人間? そんなやつ、いるわけないだろう」
「え?」
キリアンさんは立ち上がった。
「いいか、ヴィリー。そんな言葉に惑わされるな。選ばれたとか、必要な人間だとか。戦場は、そんなことを言っていられるほど甘くないぞ」
キリアンさんは、そう言い残して立ち去った。
僕はその言葉を、すぐには理解できなかった。
その夜、天幕の隅で誰かが泣いていた。
村へ向かう前、一人だけ動けずに、膝を震わせていた奴だった。
「帰りたい」
小さな声で、そう繰り返していた。
「こんなところ、いたくないよ」
少し前の僕なら、情けないと思ったかもしれない。
名誉ある任務なのに、と。
でも今は、なにも思わなかった。
ただ、その声を聞いていた。
むしろ、そう言える彼のほうが、まともなんじゃないか。
そんな気さえ、していた。
名誉。
あの言葉を僕は今日、一度も思い出さなかった。
思い出す暇なんて、どこにもなかった。
その夜は、不思議と眠れた。
あんなに眠れなかったのに。
考えなきゃいけないことも、考えたくないことも全部、どこかへ行ってしまっていた。
からっぽの頭で、僕は目を閉じた。
ただ、両手だけがいつまでも、誰かの血の匂いをさせていた。
何度も洗ったはずなのに。




