第十三話 綺麗な両手
「全員隊列を組め! シュタイン隊は牽制だ! 急げ!」
誰かの言葉に、その場にいた百名が、慌てて動き出した。
僕は、どうしていいのか分からなかった。
「おい、ヴィリー! 歩兵隊の後ろだ! 急げ!」
「は、はい」
キリアンさんに腕を引っ張られ、隊列に加わった。
何百という馬の脚が、一斉に地を蹴る音。
それが、腹の底まで響いてくる。
横にはローデがいた。
顔が青ざめている。
たぶん、僕も。
「一斉射だ! 呼吸を合わせろ!」
キリアンさんが叫んだ。
訓練所で、何百回も唱えた詠唱。
考えるより先に、口が動いていた。
「石の牙よ、貫け――アースランス」
シュタイン隊の声が重なった。
目の前に、石の槍が現れる。
「いいか、十分に引きつけろ! 手前の地面を狙え!」
地面を狙え。
まだ撃たないことよりも、なぜ地面を狙うのかが、僕にはわからなかった。
でも、指示に従うしかない。
そんなことを考えている間に、騎馬隊が目の前まで迫ってきた。
「キ、キリアンさん。まだですか!?」
「……よし! 放て!」
アースランスが、一斉に騎馬隊の目の前に放たれた。
ものすごい轟音と共に、悲鳴が聞こえた。
土煙で、よく見えない。
だが、騎馬隊の足音がしない。
「は! ざまあねえな」
「なめんなよ! こっちにはシュタイン隊がいるんだ」
前方の歩兵から、喜びの声が聞こえた。
僕はその言葉を聞いて、胸が高鳴った。
やった。
シュタイン隊として初めての魔法で、誰かを救うことが出来た。
「や、やったの?」
ローデのほうから、声が聞こえた。
振り向くと、ローデはまだ青い顔をしていた。
「そうだよ、ローデ! 僕たち、やったんだよ!」
「そ、そっか」
ローデが、少し暗い顔をしていた。
無理もない。
まさか、こんなに怖い思いをするなんて、思ってもみなかっただろうから。
「キリアンさん、やりましたね!」
僕は、キリアンさんのほうを見た。
しかし、彼の表情は、思っていたのと違った。
じっと、騎馬隊のほうを見ていた。
「キリアン、さん?」
「……っ! 次、来るぞ!」
その言葉に驚いて、彼の見ているほうを見た。
土煙の中から、騎馬隊が飛び出してきた。
まだ、終わってない。
「自由射撃だ! 各自撃ちまくれ!」
彼の言葉に、シュタイン隊が再び詠唱を始めた。
動いていなかったのは、先日着任した僕たちだけだった。
「なにやってる! はやく詠唱を始めろ、新兵!」
「は、はい」
同期の一人が、そう叱責されていた。
それを見て、僕も詠唱をしようとした。
目の前の光景が目に入った。
シュタイン隊の魔法が、敵の騎馬隊目掛けて飛んでいく。
今度は地面を狙っていない。
人を狙っている。
突き刺さる槍。
飛び散る血飛沫。
断末魔のような悲鳴。
訓練所で嫌というほど唱えてきた詠唱が、出てこなかった。
狙って、撃つ。
今度は、人に。
いろいろなことが、一斉に頭の中に流れ込んできた。
僕はまだ、動けなかった。
「来るぞ! 構えろ!」
気づいたら、歩兵隊の目の前に、騎馬隊が押し寄せていた。
そう思った瞬間、歩兵隊が騎馬隊に飲み込まれた。
さっきまで、笑っていた人たち。
初めてシュタイン隊として、守れたと思った人たちは、もう見えなくなっていた。
「よし、騎馬の足が止まったぞ! ありったけ撃ちまくれ!」
キリアンさんの声が、戦場に響いた。
それを合図に、全員が一斉に槍を放った。
訓練所で一緒だった人たちも、続く。
僕は、それを見ていた。
疑問に思ったからだ。
「キ、キリアンさん。まだ、あそこには味方が――」
「構うな! 彼らの命がけの行動が無駄になる!」
「で、でも――」
「じゃあここで一緒に死ぬのか!?」
僕はその問いに、答えることが出来なかった。
「いいか、ヴィリー。ここでやらないと――」
「き、来たぞー!」
前で誰かが叫んだ。
騎馬隊が数騎、突破してきた。
その目の前には、膝をついている同期の人がいた。
魔素酔いだ。
訓練所でも、こんなに一度に魔法を使ったことはない。
周りを見ると、シュタイン隊の人たち全員が、白い顔をしている。
一緒に訓練所から来た人たちは特に。
最初の一人が敵に斬られたのが見えた。
あの人。
出発の前日、みんながシュタイン隊になれるのを喜んでいた食堂で、一人下を向いていた人だ。
話したことはない。
僕よりも、何年も先に訓練所にいた人だから。
でも初めて、知っている人が、斬られた。
「ヴィリー! なにしてる、撃て!」
「は、はい」
手が震えていた。
もう目の前に、敵がいる。
悲鳴が、あちこちで上がっている。
剣の音。
馬のいななき。
肉がえぐられるような、鈍い音。
その全部が、一度に押し寄せてきて、頭の中が真っ白になった。
「ヴィリー!」
襟首を、後ろから強く掴まれた。
キリアンさんだった。
僕を、地面に叩きつけるように伏せさせる。
その頭のすぐ上を、馬が風みたいに越えていった。
蹄が、耳のそばで鳴った。
「伏せてろ! 頭を上げるな!」
キリアンさんが怒鳴る。
彼は手に、剣を握っていた。
魔法じゃない。
剣だ。
馬が近づくたびに、身を低くして、その脚を狙って斬りつける。
シュタイン隊は、魔法使いのはずだった。
訓練所でも、剣なんて一度も振るったことがない。
なのにキリアンさんは、剣を手に戦っていた。
たぶん、それが正しかった。
どれくらいそうしていたのか、分からない。
伏せて、揺れる地面に爪を立てていた。
僕は、なにもしていなかった。
武器も持っていない。
魔法も役に立たない。
助けを求める声にも、動けなかった。
ただ、生きようとして、地面に伏せていた。
その間にも、僕の周りで、たくさんの人が死んでいった。
昨日、一緒に穴を掘った人たち。
訓練所で、一緒に汗を流した人たち。
名前も知らない人たち。
みんな同じように、消えていった。
――ローデ。
その名前が頭に浮かんだ瞬間、血の気が引いた。
顔を上げようとして、キリアンさんにまた押さえつけられた。
「伏せてろと言っただろう!」
でも、と言いかけた声は、蹄の音にかき消された。
角笛が、鳴った。
さっきの、敵のものとは違う。
もっと低くて、長い音。
振り返ると、丘の上から――僕たちが下りてきた、あの陣から。
フェルゼンの兵が、雪崩のように駆け下りてくるのが見えた。
増援だ。
その旗を見た瞬間、ゼーラントの騎馬は、潮が引くように向きを変えた。
まるで、もう用は済んだとでも言うように。
最初から、僕たちを皆殺しにするつもりなんて、なかったのかもしれない。
ただ削るだけ削って、去っていった。
気づけば、あたりは静かになっていた。
馬の音も、剣の音も、悲鳴も、全部が遠ざかっていく。
残ったのは、燃える村と、死んだ仲間と、僕の荒い息だけだった。
キリアンさんが、ゆっくりと立ち上がった。
その体は、返り血で真っ赤だった。
僕は、自分の手を見た。
武器もなく、傷もなく、綺麗なままの両手。
この手は結局、なにも出来なかった。
誰も助けられなかったし、誰も倒せなかった。
戦いを終わらせたのは、丘の上から来た増援で、僕じゃない。
僕がいてもいなくても、たぶん、何も変わらなかった。
それでも、僕は、生きていた。
「……ヴィリー」
声のした方を向くと、ローデがいた。
泥と、誰のものか分からない血にまみれていた。
でも、立っていた。
生きていた。
僕は、なにか言おうとして、何も言えなかった。
ローデもそれ以上、何も言わなかった。
二人で、ただ突っ立っていた。
燃える村の音だけが、いつまでも、ぱちぱちと鳴っていた。




