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幻のなかで 〜名誉を教えた男は、送り出した教え子の顔を一つも覚えていない〜  作者: 星喰ゆう
第二章 ヴィリー

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第十一話 何のために

 馬車に揺られて、どれだけ経ったのか、僕にはよく分からなかった。


 あの列とすれ違ってから、誰も歌わなくなった。


 誰も、しゃべらなくなった。


 外の景色が、少しずつ変わっていく。


 畑が消えて、木が減って、地面がだんだん茶色くなっていく。


 だんだんと空気に、あの匂いが混じりはじめた。


 匂いのある方へ、僕たちは進んでいた。



 しばらくして、馬車が止まった。


「降りろ。ここからは歩きだ」


 御者はそう言うと、僕たちを降ろして、さっさと馬車で引き返してしまった。


 まるで、長居したくないみたいに。



 小高い丘の上に、それはあった。


 僕が思い描いていた戦場は、もっと違うものだった。


 旗がはためいて、鎧が陽を弾いて輝き、兵士たちがまっすぐ並んでいる。


 そういうものだと、どこかで思っていた。


 目の前に広がっている景色は、踏み荒らされて黒くなった地面。


 乱雑に並べられた天幕、泥だらけの兵士たち。


 焚き火の煙がいくつか。


 疲れきった顔の男たちが、のろのろと歩いている。


 誰も、僕たちの方を見なかった。


 いや、一度は見た。


 見てすぐに、興味をなくしたみたいに目を逸らした。



 薄汚れた服の男が、僕たちの前に立った。


 髭も髪も、着ているものも全部、泥と同じ色をしていた。


 胸に紋章がある。

 シュタイン隊だけが付けられる紋章。


 僕たちが、貰えなかった紋章。


 それすらも、泥でほとんど見えなかった。


 男は僕たちを、上から下まで見た。


 それから数えるみたいに、ゆっくりと目を動かした。


「……これで全部か?」

「はい! 総員三十六名、訓練所から派遣されました!」


 列の前の誰かが、胸を張って答えた。


「……三十六名か」


 男は、それだけ言った。


 笑いもしなかった。


 ただ一瞬だけ、僕たちから目を逸らした。


 なぜ逸らしたのか、その時の僕には分からなかった。


「魔法は?」

「ブレイク魔法、シルト魔法、共に履修済みです。ただ、訓練を開始してから、二カ月の者が半数くらいです」

「二カ月、だと?」


 男の表情が、明らかに変わったのがわかった。


「は、はい」


 男は、少しの間黙った。


「っち。上はなにを考えているんだ」


 ボソッと言った言葉が、はっきりと聞こえた気がした。


 そして、顎で天幕の裏の方を指した。


「あいつらと一緒に、あそこの穴を掘れ。塹壕だ。半分は俺と来い。東側の防衛設備を仕上げるぞ」


 僕は一瞬、聞き間違えたのかと思った。


 穴を掘る。


 僕たちは、フェルゼンが誇るエリート部隊、シュタイン隊。


 そう言われたばかりだった。


 そのシュタイン隊に最初に与えられた任務が、穴を掘ることだった。


 誰も、何も言わなかった。


 言えなかったのかもしれない。



 穴掘りは、思ってた以上にきつかった。


 硬い地面に、人が入れるくらいの穴を掘る。


「あ、あの……」

「ん、なんだ?」


 先に穴を掘っていた兵士に聞いた。


「どうしてこんな穴を掘っているんですか?」

「ああ、敵は騎馬隊を投入しているらしいからな。こうやって穴を掘って、槍を据えれば、奴らは簡単には突撃してこれない」

「な、なるほど」


 その言葉を聞いた瞬間、いままで現実とは思えなかったことが、少しだけ形になった気がした。



 ローデが僕の隣で、同じように穴を掘っていた。


 穴を掘る体力なんかないだろうに、肩で息をしながら、黙々と作業している。


「ローデ、大丈夫か?」

「大丈夫だよ。ヴィリーの方が、つらそうな顔してるけど」

「してないよ!」


 ローデは少し笑った。

 その笑顔を見ると、なんだか肩の力が抜けた。



 陣地の奥のほうに、天幕が一つ、他から離れて張られていた。


 その周りだけ、空気が違った。


 中から時々、低い声が漏れてくる。


 うめき声だとわかるまでに、少しかかった。


 穴を掘りながら、僕はなるべくそっちを見ないようにした。



 日が暮れかけても、休めという合図はなかった。


 穴を掘っている少し先で、訓練所で一緒だった人が、通りかかったシュタイン隊の人に声をかけた。


「あの、僕たちはいつ戦うんですか?」


 純粋に、聞いただけだった。


 早く手柄を立てたい。


 たぶん、そういう顔をしていた。


 男は足を止めなかった。


「えらく勇ましいじゃないか」


 それだけ言って、通り過ぎていく。


「すぐだ」

「すぐ? 敵が近いんですか?」

「ああ、もうすぐ全員死ぬ」


 男はそう言い残して、立ち去った。


 その「全員死ぬ」の言い方が、なぜか僕の背中を冷たくした。



 夜になった。


 割り当てられた天幕は、穴だらけで、地面からも冷えが上ってきた。


 毛布は、一人に一枚もなかった。


 ローデや、同期の連中と身を寄せ合って、順番に眠ることになった。


 でも僕は、眠れなかった。


 まただ。


 遠くで時々、音がする。


 何の音かは分からない。


 風のような、悲鳴のような、それが混ざったような音。


 誰もそれについて、何も言わなかった。


 天幕の外へ出ると、僕たちを出迎えてくれた男が、一人で立っていた。


 空を見上げていた。


 つられて、僕も見上げた。


 そこには、こぼれんばかりの星空の海が広がっていた。


「いい景色だろ?」


 男が、ぽつりと言った。


「そうですね。とても綺麗です」

「そうだな。この空の下、今日もどこかで誰かが死んだ」


 僕は言葉が出なかった。


 男の人の顔を見た。


 その横顔は、僕たちを出迎えた時とは、全然違うように見えた。


「俺たちがここで必死になって穴を掘っている間も、向こうにある村々は襲われているだろう。もう誰も生きていないかも」

「……もしかして、故郷、ですか?」


 男は黙った。


 その様子で、僕の言ったことが間違いではなかったとわかった。


 やがて、男が口を開いた。


「お前は、なんのためにシュタイン隊を目指そうとしたんだ?」

「……何のため」


 そんなこと、考えたこともなかった。


「俺はな、家族を守るためにシュタイン隊を目指した。適性があるってわかった時には、村総出でお祝いしてもらったもんだ」


 男は続けた。


「けど、実際には俺たちの力は、上の人間を守るためだけに行使された。目の前にある村を守るのを放棄させて、この丘に陣を築いてる。なんでもこの後ろには、貴族様の領地があるんだと」

「そ、そんな。シュタイン隊は、民を守るためにあるんじゃないんですか?」

「……訓練所では、そう習うよな。実際はこうだ。自分の故郷を見捨てて、家族や知り合いが死んでいくのを見ながら、穴を掘る」


 気づいたら僕は、うつむいて拳を握っていた。


「なあ、坊主」

「……はい」

「名前は?」

「ヴィリー、です」

「そうか。ヴィリー、お前、死に急ぐなよ」


 男はそれだけ言って、天幕の並ぶ方へ歩いていった。


 だけど、途中で振り返った。


「俺の名前はキリアンだ。もし戦場に出ることがあったら、俺のケツから離れるなよ」


 キリアンさんはそう言って、また歩き始めた。


 彼のさっきの話が、頭から離れなかった。


 今日もたぶん、寝られそうにない。

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