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静かな伴奏の音に集中して、響きに身を委ねた。
ノクティス先生の視線は、私を真っ直ぐに捉えている。
(怖くない)
私の気迫と、先生の迫力で
教室の空気がしん、と静まり返った。
禊を終えた夜の森のように、
音がすべて吸い込まれていく静けさの中で
私は口を開き、
愛と、別れの歌を紡いだ。
「Lumen oris, in me cadis,」
ー
ー
ー
伝えたい表現を優先して、
響きを完璧に揃えることを、やめた。
4番まである歌を、
先生はいつまで経っても止める合図を出さなかった。
そして
私は最後まで、「婚礼」を歌い切った。
伴奏の最後の音の響きが収まると、
教室は再び静寂に包まれた。
誰も、
拍手をしなかった。
息をする音さえ、聞こえない。
しばらくして、小さな話し声が聞こえ出した。
「セレナ様の、いつもの歌声と違うような…」
「婚礼って、こんな歌だったっけ…」
「でも、なんか、素敵」
「うん、素敵よね」
小さな拍手がどこからか聞こえてきて、
その拍手が大きくなる。
拍手の音は、講堂の高い天井に届くまで大きくなった。
私はいつものように完璧な礼をしてピアノの前を去ろうと思っても、
拍手が止まず、いつ礼をすれば良いかわからずに、オロオロと皆の前で立ち尽くしてしまった。
恐る恐るノクティス先生に視線を向けると、
何も言わずニコニコと拍手をしていた。
先生は再び完璧な淑女の仮面を装着していて、
その笑顔が意味するところはわからない。
それでも、私はあの鋭い視線を忘れることができなかった。
私は、今まで、
「歌」を歌ってたのだろうか?
演奏って、
勝つとか、負けるとか、
——そういうものじゃ、なかったんだ。
愛に満ちた幸せを歌うのも良ければ、
別れの寂しさを歌うのも良い。
どちらが良い、正解ということではないけど、
自分で正解を見つけに行かないといけない。
今日はたまたま私の表現が受け入れられたけど、
その日の観客、会場、空気感によっては、
受け入れられなかった可能性だってあるのだろう。
(…難しい。)
(本当に、厳しいんだ。この世界。)
(…でも、楽しい)
胸の奥が、遅れて震えた。
(——初めて、自分で歌った気がした。)




