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「アリアさん」
順不同に名を呼ばれた彼女は、「はい」と軽やかに返事をして一歩前へ出る。
ざわついていた空気が、どこか期待を含んだ静けさへと変わった。
そして――
歌い出した。
(……あ)
思わず、息を呑む。
やわらかく、あたたかい声。
飾り気のない、まっすぐな旋律。
胸の奥にすっと入り込んでくる。
(……優しい)
「婚礼」の喜びが、そのまま形になったような歌だった。
祝福。喜び。未来への祈り。
どれもが過剰ではなく、自然にそこにある。
アリアは歌うことを楽しんでいる。
彼女が音楽の勉強を本格的に始めたのは音楽院入学後で、
理論の勉強などは正直遅れをとっているところはある。
ノクティス先生の特待生ということもあってやっかまれることも多い。
それでも、歌うことが好き、という純粋な気持ちを持ち続けてる。
私も、かつてはこんな純粋な気持ちで歌を歌っていた頃があった。
6、7歳の頃…どこでも歌ってしまう子どもだった。
それが面白がられて、気がつけば舞台に立っていた。
——あの頃は、ただ楽しかった。
アリアの姿が眩しかったのは、
あの頃の純粋な自分が少し透けて見えたのかも知れない。
眩しくて――少しだけ、目を逸らしたくなっていた。
でも、今はそうじゃない。
何の抵抗もなく弱さを認めている自分に、ほんの少しだけ驚いた。
(こんなふうに、フラットに人の歌を聴けるなんて)
以前の私なら、考えられなかった。
歌い終えたアリアが軽く一礼する。
ぱち、ぱち、といつも通り拍手が広がった。
その様子を見ていたノクティス先生はほんの一瞬だけ、表情を変えた。
(……今の)
柔らかな仮面が、わずかに剥がれたような。
そんな気がした。
「――ええ、結構です」
すぐにいつもの微笑みに戻る。
「次の方は」
そしてその視線が、まっすぐにこちらへ向けられた。
「セレナさん」
胸の奥が、わずかに高鳴る。
(……来た)
一歩、前へと講堂の中心に立つ。
静まり返った空気が、肌に触れる。
ノクティス先生の視線が、逸れない。
逃がすつもりがない、とでも言うように。
(この順序)
(――試されている)
はっきりと、そう感じた。
私はゆっくりと息を吸い込み――
伴奏の音と一体化するように、声を解き放った。




