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私は朝一番に音楽院の図書館へ向かい、
ノクティス先生が指定した楽譜を出してもらった。
ほんの少し、部屋に残っていた魔石のかけらを使って
譜面の控えもとってもらった。
ノクティス先生の授業は午後だから、
それまで練習室に籠ってこの曲を練習しよう。
ゲーム「秘密の歌姫」の世界の中で、聖セシリアに捧げる古典歌曲は
ラテン語風のオリジナル言語で書かれている。
セレナ役のオーディションでもこの世界の歌を少し歌ったけど…
ちょっと難しかったけど、すごく素敵だった。
Cantus Nuptialis(婚礼)
Lumen oris, in me cadis,
vincula rosae, lenis nodus.
Manus tua, mea fit via—
in uno filo, duo vota.
「あなたの微笑みの光が、私に降りてくる
薔薇のような結び、やわらかな絆
あなたの手は、私の道となり
ひとつの糸に、ふたつの誓いが結ばれる」
結婚式などでも歌われる、古くからの格式高い愛の歌。
鍵盤で音を拾い、すぐにメロディを覚えた。
音域も丁度よく、セレナの繊細で可憐な歌声にも合っている。
(この曲も、上手に歌えそう。)
この花嫁の喜びを、アリアなら伸び伸びと表現するのだろう。
暖かい、明るい春の光のような声で。
(素敵だろうな。)
(あの子の声で、聴いてみたい…)
はっと意識を戻した。
今は、自分の表現に集中しないと。
「君。自分の声、聴いてないでしょ」
昨日のノクティス先生の声が無意識にこだまする。
そんなことはない。
私は、嫌になる程自分の声に向き合ってる。
そう思いながら歌を練習していると、
どんどん声が固くなり、余計な力が入っていく。
(…だめ。)
(少し落ち着こう)
手を止めて、少し目を閉じる。
愛し、愛される喜び…
その感覚を思い出してみよう、愛された記憶を…
愛された記憶…?
(お母さん)
私が"セレナ"になる前、
子役時代の、母親の背中を思い出す。
声が、さらに固くなった。
(お母さん、こっちを見て)
(私の声を聴いて)
(次のオーディションは、絶対に受かるから)
母親は、こちらを振り返ることはない。
仕事をとってこれなかった私を、見てくれることはなかった。
手が完全に止まり、声が出なくなった。
ああ。
そうだ、私には、愛した記憶も、愛された記憶もないんだ。
「自分の声、聴いてないでしょ」
もう一度ノクティス先生の声が響く。
「自分の声」って、「心の声」ってこと?
(私は——)
(誰かに見てほしくて、歌ってた)
それに、
愛されたいばかりで、誰かを愛することもなかった。
あの子は…
アリアは、歌うことが好きで、楽しいから歌っている。
歌のエネルギーが「祈り」であることを本能で知ってる、
人の心に自分の声が届くと本気で信じている。
それは本当に人の心に届いて、感動を生み出す。
そして、関わるもの全てを愛してる。
私とは、スタートラインから違ってる。
(確かに、私…)
(自分の声を聴こうとしてなかった)




