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その日の夜は、静かだった。
寮の灯りがひとつ、またひとつと消えていく。
残るのは、窓から差し込む月の光だけ。
眠れなかった。目を閉じるたびに、あの声が蘇る。
アリアの歌声。
リズム感は独特だし、
発声はまだ安定していないけど、
素直な声。素朴で、柔らかい。暖かさ、優しさも感じる。
等身大の少女らしさも母性も併せ持つ、魅力的な歌声。
(……わかってる)
技術じゃないことも。正しさだけじゃ届かないことも。
かすかに、光が揺れた。
視界の端で、何かが瞬く。
顔を上げると、鏡の表面に淡い光が浮かんでいた。
波紋みたいに、ゆらりと広がる。
そして。
「……起きてるね」
声が聞こえた。
月の光のような、静かな声。
鏡の中に、人の顔が映る。儚げな印象の、女性…?
ラベンダー色の柔らかそうな髪。
女神のような美貌。
そして、少しだけ眠たそうな目。
「ノクティス先生……」
ミレイユ・ノクティス先生。
ゲームでは、「伝説の元歌姫」としてチュートリアルやステータス画面に登場しプレイヤーを導いてくれる優しい先生キャラだ。
「うん。こんばんは、セレナさん」
軽い調子。ノクティス先生の口調って、もっといかにも女性らしかったような。
「……先生、どうして」
「通信。」
「元”エトワール”の特権」
私の部屋の鏡に先生が映っている状況を聞いても、このあっさりとした答え。
それ以上説明する気はないらしい。
淑女キャラのノクティス先生のイメージ、何か狂う…。
開発途中のゲームだから、セリフはまだ箇条書きのままなのかな?
「眠れない?」
「……はい、少しだけ」
「ふーん」
興味があるのかないのか、わからない相槌。
でも。
視線だけは、まっすぐこちらを見ている。
「今日、歌ったでしょ」
「……はい」
「上手だった」
先生の言葉に、何故かほっとして、
「それだけだったけど」
心臓が、わずかに跳ねた。
「……聴いていたのですね。」
思わず、口をついて出た。
自覚があるから、分かっているから、刺さってしまう。
「うん。君の歌、“正しい”よ」
「好きだよ。」
思わずドキッと心臓が鳴った。
「君の声。」
「でも、届いていない。」
淡々とした声。
一瞬視線を落とした私に気づいてか、先生は話題を変えた。
「明日、3限に合唱があるよね。」
「ちょっと、教えに行くから。」
「えっ」
聖セシリア音楽院の元”エトワール”、あらゆる特権と羨望を集める「選ばれた歌姫」、
伝説とも呼ばれるその初代エトワールのノクティス先生が指導をしてくれる…?
「あ、勘違いしないでね。」
「みんなの指導をしに行くってこと。」
期待した分、ほんの少し肩が下がる。
「みんな」、つまり、アリアのことも…
それも、そうだ。
特待生はあの子。
一般家庭に生まれたアリアが、名門の音楽院に特別な待遇で入学したのは、
教会で歌っているところをノクティス先生が見つけて、その歌声の可能性を見出されたから。
私じゃない。
夜中に個人的に魔石で通信してくれたからって、
こんなにすごい人が目にかけてくれるわけなんかない。
「Cantus Nuptialis-婚礼-」
「この曲、持っていくから。勉強しておくといいよ。セレナさんは賢いから期待してる。」
暗い部屋の中、曲名を急いでメモ書きした。
明日、朝一番に図書館で譜面を探そう。
「あ、君」
一拍。
「自分の声、聴いたことないでしょ」
息が止まる。
胸の奥で、何かが軋んだ。
「おやすみ、セレナさん」
光が消える。




