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「秘密」の歌姫-元天才子役の私、負けヒロインに転生したので歌で運命を書き換えます。  作者: A Melon


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大きな図書館に、たった二人きり。

紙をめくる音だけが静寂の中に響いていた。


「……かつてお伝えしたように、貴方はあの学年で最もエトワールに近い。」

「そして貴方は、自分の意思とは関係なく、エトワールへ向かう道を歩むでしょう。」


ユリウスは資料を閉じる。

「現時点で私がお伝えできる、セレナさん自身の情報は以上です。」

(……どういう意味だろう。)

理解できそうで、できないけれど。


(……なんだか。)

(ユリウス様、楽しそう。)


そんなことを思った。

ユリウスもまた、本来はこの世界で主人公を導く側の人物だった。

私が”セレナ”の運命を変えようとしているように。

彼もまた、自分の意思で動こうとしているのかもしれない。


そう考えると、不思議と警戒心が少しだけ薄れた。

(……それなら。)

(運命に抗う者同士、手を組むのも悪くない。)


「……ユリウス様。」

私は背筋を伸ばした。

「それで。」

「この婚約話によって、貴方は何を得るのですか?」


ユリウスが微かに目を細める。

こちらの問いを歓迎しているようだった。


「良い質問です。」

「まず一つ。」

「仮であっても、貴方の婚約者になれる。」

さらりと言う。

私は思わず眉をひそめた。

「……真面目に答えてください。」

「はい、至って真面目です。」


即答だった。

その様子に思わずため息が漏れる。


だがユリウスは続けた。

「ルクレツィア家は音楽界において非常に大きな影響力を持っています。」

「敵に回したい者はいない。」

「私にとって有力な協力者を得ることは大きな利益です。」


そこまでは理解できた。

問題は、その次だった。

「そして。」

ユリウスの視線が遠くなる。


「過去、現在、そして未来のエトワールを、大事にしたい。」


「……どういう意味でしょう。」

私の心臓が、小さく跳ねた。


「ミレイユ・ノクティス先生。」

「本来であれば、あのような芸術家はもっと守られるべき存在です。」

「ですが現実には、誰もあの才能を扱い切れていない。」


静かな声だったが、そこには珍しく感情があった。


「私はもう、優秀な音楽家が不当に消費されるのを見たくありません。」

「ノクティス先生も。」

「ノエル様も。」

「ヴェロニカさんも。」

「アリアさんも。」

そして。

「貴方も。」

図書館の空気が少しだけ重くなる。


私はしばらく考えた後、口を開いた。

「……つまり。」

「私たちをアルディエ家の目の届く場所に置きたい。」

「ええ。」

ユリウスは迷わなかった。

「その通りです。」

潔いほどだった。

だからこそ少し笑ってしまう。


私は毅然と、彼と対峙したまま言い放った。

「条件があります。」

「学院内では距離を保つこと。」

「父の仕事柄、ルクレツィア家が問題に巻き込まれる訳にはいきません。」

「それから。」


私は少しだけ真面目な顔になる。


「私の友人と恩師は、貴方を警戒しています。」

「信頼を得る努力はしてください。」

ユリウスは静かに頷いた。

「構いません。」

意外なほど、きっぱりとした即答だった。

「交渉成立ですね。」


そう言って差し出された手を見て、私は苦笑した。

どこか薄暗い。

けれど妙に頼もしい同盟が結ばれた気がした。



それにしても、アルディエ家の図書館はあらゆる有益な情報の宝庫だった。

音楽史に関する蔵書。

各国の歌劇のフルスコア。

劇場経営に関する情報。

貴族名鑑。

新聞の縮刷版。

聖セシリア音楽院の図書館も十分充実していると思っていたけれど、ここは規模が違う。

「好きに閲覧して構いません。」

「ただし、持ち出しは禁止です。」

「……ありがとうございます。」

私は思わず周囲を見回した。

天井まで届く書架。

規則正しく並ぶ蔵書。

まるで知識そのものを集めた神殿のようだった。


ふと、見覚えのある名前が目に入った。

タイトルは『音楽教育と幼児期の感受性について』


 著者名を見て、私は思わず足を止めた。

「……ノエル様?」


手に取ってみる。

学術論文というよりは新聞への寄稿文だった。

難しい専門用語は少ない。

代わりに、実際に子ども達と音楽に触れ合った経験が丁寧な言葉で綴られていた。

『どんな子どもにも音楽を』

『音楽を学ぶということ』

文章は驚くほど読みやすく、やさしい。

まるで本人の話し方そのものだった。


(……ノエル様は舞台以外にはあまり興味がないと聞いていたけれど)


そんなことは無さそうだと思った。

子ども達の未来について書かれた文章には、不思議な熱量があった。

まるで、自分が歌うことと同じくらい大切なものを語るように。


誰にでも伝わる言葉を選ぶというのは、高度な技術。

舞台の上のエトワールとは違う意外な素顔を見た気がした。


再び資料に意識を戻す。

今度は、こちらが本来の目的だ。


(……カミーユ・ルグラン様。)

新入生コンサートの日に、客席があれだけざわついた理由。

ノクティス先生の反応。


そして、あの不思議な、異国風の衣装の大人びた少年。

私はルグラン家に関する資料を探し始めた。


それは、思ったよりも簡単に見つかった。

工房名鑑。

職人組合の記録。

古い特許資料。

そこから分かったのは、ルグラン家が代々続く工房の一族だということだった。

「ラメント工房……」

聞き覚えのある名前だった。

高級な楽器部品や舞台機構の製作で知られる工房だ。


けれど。

調べれば調べるほど、奇妙な記述が現れ始める。

「……処刑器具?」

その中には明らかに刑罰へ使用された器具の記録も含まれていた。

今は使われていないものばかりだ。

だが確かに存在している。


(音が鳴る仕組みが、処刑器具の構造と同じ……。)


あの美しい音が鳴る鍵盤楽器が、「嘆き」の名を持つ理由がほんの少しだけ、わかった気がした。

私は、さらに資料を追う。


そして。

「あ。」

一つの記述を見つけた。


『カミーユ・ルグラン』


ー養子。それだけだった。


出身地、出生記録、洗礼、実父母の情報は一切無い。

養子縁組の事実だけが記されている。

私は何冊か資料を確認したが、どれも同じだった。


不自然なほど、何もない。

「……。」


あり得ない。

アルディエ家の情報網なら、普通はもっと何か残る。

まして貴族の子弟だ。完全に空白という方がおかしい。


(隠されている。)


情報があるのに見つからないのではない。

最初から誰かが消したような、そんな不自然さだった。


「気になりますか。」

いつの間にか、ユリウスが私の背後へ立っていた。

私は資料から目を離さないまま答える。

「……はい。」

「ずっと彼のことは気になっていましたが、余計に。」


 私はゆっくりとページを閉じた。

それはまるで、誰かが意図的に本当の名前を隠しているようだった。


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