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「白薔薇のカントール」が、音楽院で上演される。
それも聖セシリア祭で。
「主要キャストは既にほぼ決定しています」
「一応オーディション形式は取りましたが、レオ役は満場一致でノエル様に決まりました」
――確かに。
ノエルのレオ役は、あまりにも似合いすぎる。
ほとんど、“彼女のために演目が決まった”と言われても納得してしまうくらいには。
「……ええ。きっと素敵でしょうね」
「あの方の舞台姿が、簡単に想像できます」
ノエルの歌声。
柔らかな微笑み。
そして、人を惹きつける不思議な清らかさ。
確かに“白薔薇のカントール”そのものだ。
「私としては、少なからず複雑な気持ちですが……」
実の兄がモデルとなった歌劇を、自分の通う音楽院で上級生達が演じる。
私は思わず本音を零してしまった。
「……ふふ」
ユリウスが肩を震わせる。
「ははは……それは、そうでしょうね」
どうやら我慢できなかったらしい。
声を上げて笑う姿が、少し意外だった。
笑うと目尻が大きく下がることも、普段との落差がある。
――この人も普通に「人間」なんだな。それも、年相応な。
そんな妙な感想が頭をよぎった。
もっとも、アルディエ家は国内公演や劇場興行にも関わっている。
レオニード兄様の件も、外国の話とは言え“音楽界の小さな醜聞”として既に耳へ入っていたのだろう。
「……そして」
ユリウスは、いつの間にか再び静かな声音へ戻っていた。
「レオの相手役――侯爵夫人エレナ役には、ヴェロニカさんが選ばれました」
「……!」
私は思わず息を呑む。
「ヴェロニカさんは、入学以来ずっと優秀でした」
「ですが同時に、“どこか本気を出していない”ようにも見えていた」
「人前へ出ることも、意図的に避けている節があった」
ページをめくりながら、ユリウスは静かに続ける。
「……ですが、今回は違います」
その言葉だけで、空気が少し変わった気がした。
「聖セシリア祭では、エトワールが代替わりします」
「ヴェロニカさんは、ほぼ確実にノエルさんからそのバトンを受け取るでしょう」
(……なるほど)
(でも、それがどうして……)
自分と関係してくるのか。
そう思った、その時だった。
「……アリア・フェリスさん」
不意に、ユリウスの口から意外な名前が出てくる。
「彼女の前期期末試験の成績上昇は目を見張るものがあります」
「新入生コンサートでの抜擢、その印象も大きい」
急に話が身近になり、私は目を見開いた。
「何より、彼女自身に“歌劇へ出たい”という強い意欲がある」
「夏休み明けに行われる『白薔薇のカントール』の追加オーディションで、上級生に混ざって役を得る可能性は十分あります」
そう言いながら、ユリウスは『白薔薇のカントール』のフルスコアを机へ置いた。
重い。
物理的にも、この話の意味としても。
「結果次第では、レオの教え子である少年ミハイル役に」
「少なくとも、孤児や修道女など、何らかの役は得るでしょう」
アリアが舞台へ立つ姿を想像する。
きっと、彼女は喜ぶ。
あの子は本当に舞台が好きだから。
けれど同時に、胸の奥に、説明しづらい不安が生まれた。
「……婚約者候補のご友人、という立場であれば」
「私もアルディエ家の人員と情報網を使い、彼女を様々なトラブルから守ることができます」
ユリウスの声音は、どこまでも穏やかだった。
私は固く閉ざしていた唇を、ゆっくりと開く。
「……確かに」
「ヴェロニカ様が“良い意味で”本気を出してくるのであれば、ノエル様も変わろうとするでしょう」
ノエルは優しい。
あれだけ華のある空気を纏いながら、どこか受け身でもある。
だからこそ、ヴェロニカの情熱は、きっと彼女を変えてしまう。
「公演そのものは、素晴らしいものになると思います。」
「……でも、稽古はきっと……」
そこまで言いかけたところで、ユリウスが静かに頷いた。
「ええ」
「少なからず、“白薔薇のカントール”の稽古は荒れるでしょうね」
断言だった。
けれど、その口調には面白がるような色はない。
ただ淡々と、“起こりうる未来”を確認しているような声音だった。
「ご友人の心配が先に来るあたり、貴方らしいですが」
ユリウスが、ふとこちらを見る。
瞳が静かに細められた。
「……何より、私は貴方が心配です」
「セレナさん」
「貴方もまた、聖セシリア祭で確実に注目を浴びることになるでしょう」
その瞬間。
図書館の空気が、少しだけ冷えた気がした。




