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「秘密」の歌姫-元天才子役の私、負けヒロインに転生したので歌で運命を書き換えます。  作者: A Melon


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夏休みに入り、実家へ帰ってから更に数日が経った。

そして今日、私はとある場所へ向かっている。

ルクレツィア家の小さく質素な馬車とは正反対の、大きく豪華な馬車。

深い紺色の座席は柔らかく、揺れもほとんど感じない。

窓枠には細やかな装飾が施され、香木の落ち着いた香りまで漂っている。


 ……乗り心地が良すぎて、逆に居心地が悪かった。

(どうして、こんなことに……)


私は小さく息を吐き、向かいの座席へ視線を向ける。

そこには、当然のような顔で本を読んでいる人物がいた。


優雅で、自然体。

この空間に馴染みすぎている。

この馬車も、この空気も、彼にとっては日常なのだろう。

一方の私は、未だに落ち着かない。


その原因は、二日前の夜に遡る。


あの日。

夕食後、私は珍しく母の寝室へ呼ばれた。

「……お母様?」


 部屋へ入ると、母はソファへ腰掛けたまま静かに微笑んだ。


「いらっしゃい、セレナさん。どうぞ座って」

寝室だというのに、室内はどこか仕事部屋のように整然としていた。


譜面。

書きかけの手紙。

開いたままの楽譜。


化粧台には最低限の装飾品しかなく、代わりに古いメトロノームが置かれている。


―お母様らしい部屋だな、と思った。


私が向かいへ座ると、母は少しだけ言葉を選ぶように沈黙した。

「……セレナさん」

「はい」

「驚かないで聞いてちょうだい」


その時点で、少し動揺してしまった。


母は基本的に回りくどい言い方をしない。

 

だからこそ、前置きがある時は大体大きな話なのだ。


「アルディエ家から、お手紙が来ています」

「……お手紙?」

「婚約の打診よ」

「…………え?」

一瞬、意味が分からなかった。

婚約。

今、お母様はそう言ったのだろうか。

「こ、婚約って……誰と…でしょうか…」

聞き返した瞬間、お母様がほんの少しだけ困ったような顔をする。

「ユリウス様、とのことだけれど」

「……。」

頭が真っ白になった。


「安心して。まだ正式な話ではないわ」

「向こうも“候補として”という段階だそうよ」

「候補でも十分大事だと思うんですが……」


「それはそうね」


 あっさり肯定された。


 私はしばらく言葉を失ったまま俯く。

 アルディエ家は、音楽、芸術、劇場、出版、投資――様々な事業へ関わる子爵家だ。


一応、家格としては釣り合っている。


けれど正直、家の規模も影響力も、ルクレツィア家とはかなり違う。



「知っている方?」

 お母様は少し意外そうに首を傾げた。


「……はい。音楽院の先輩です」

「まあ」

 その一言だけだった。

けれど、お母様は何かを察したように小さく目を細める。

私はなんとなく居心地が悪くなって、視線を逸らした。


「断ってもいいのよ」

「……え?」

「あなたの人生だもの」


 その言葉に、私はゆっくり顔を上げた。

 母は真っ直ぐ私を見ていた。


「音楽家として生きることも、結婚することも、本来は誰かに決められるものではないわ」


「我が家は今、家長が不在でしょう?」

「成人済みの後継者も、帰国の目処が立っていない。」

「……断る理由なら、いくらでも作れます」

静かな声だった。

けれど、その奥に強い実感があるのが分かる。


かつて、“女性作曲家”としての道を閉ざされた人の声だった。


私は顔を上げ、馬車で迎えに来てくれたユリウスへ視線を移した。

家格も妥当。

年齢も近い。

結婚によって、両家にとっての利点もある。


(……これが、“ご縁”っていうものなのかもしれないし……)


(ユリウス様も、悪い方ではない)

(むしろ、良い方だけど……)


今だって、私が緊張しないよう気を遣っているのだろう。

彼はまだ、婚約の話題へ一切触れてこなかった。


(……でも)

(アリアは、妙にユリウス様を警戒しているのよね)

(私とユリウス様が話した日は、ノクティス先生も通信で機嫌が悪いし……)


(でも、お母様を安心させたい気持ちもある…)


いくら考えを巡らせても、「私」がどうしたいのか、わからなかった。

馬車は静かに揺れ続ける。

向かう先は、アルディエ家。

まるで、答えの出ない未来へ運ばれていくみたいだった。


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