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「……ええ!?」
私は思わず立ち上がりかけ、ティーカップがかたん、と揺れた。
フライヤーとマティアス兄様の顔を、何度も交互に見比べる。
雪の聖堂。
白薔薇。
儚げな銀髪の青年。
『白薔薇のカントール』は、少し前に初演された話題の歌劇だ。
美しい歌声と清い心を持ち、教会の“カントール”として子ども達へ音楽を教える青年、レオ。
彼はその美貌と純粋さゆえに、愛と陰謀渦巻く貴族社会へ巻き込まれて…
そして最後には、破滅する。
そんな悲劇の物語だった。
―確か、クライマックスでは。
雪降る大聖堂。
最後の合唱。
血のついた白薔薇。
もしかして、レオニードお兄様は…
私は不吉な予感を感じて、恐る恐る口を開いた。
「……刺客に襲われて消息不明……!?」
「生きてる」
「禁断の恋とか……!」
「してない」
「大聖堂で流血して倒れて……」
「倒れてない」
マティアスお兄様は即答だった。
「じゃあ、何なんですかこのお話!?」
「脚色」
真顔だった。
「兄さんがカントールとして真面目に勤務してたのは本当だ」
「侯爵夫人に惚れられて面倒ごとになったのも本当」
「でも、やましいことはない。逃げるように教会を退職して、今は別の国で就職活動中」
「就職活動……」
その単語と、フライヤーの幻想的な絵面がまったく結びつかない。
今にも雪の中へ消えていきそうな美青年の横で、“就職活動”という現実的な単語だけが妙に浮いていた。
(……レオニードお兄様が帰国できない理由って、これだったのね)
「……どうして、こんな歌劇になったのですか……?」
「顔」
「と、顔」
「あと声」
ひどい理由だった。
けれど、マティアスお兄様は至って真面目な様子である。
「向こうの教会でやたら噂になったらしい。若いカントールが就任して、領主夫妻と揉めた」
「貴族連中も面白がって尾ひれを付けた」
「そこに劇作家が食いついた」
……実際に何があったのかは、もう誰にも関係ないのだろう。
そんな噂が立った時点で、人は勝手に“物語”を作り始める。
「えぇ……」
「兄さん、昔から妙に人の記憶に残るからな」
そう言って、マティアスお兄様はフライヤーへ視線を落とした。
少しだけ呆れたようで、少しだけ懐かしそうな目だった。
ふと、音楽院でのノクティス先生とのやり取りを思い出す。
『相変わらず災難に遭っているようだ。彼らしいけど、お気の毒に』
――“相変わらず”。
ということは、音楽院の頃からレオニードお兄様は似たようなトラブルに巻き込まれていたのだろう。
「まあ、『白薔薇のカントール』も初演は普通の宗教劇だったんだが」
「普通……?」
普通の宗教劇というには、題名からして随分と通俗的な気もする。
「二演目から主演がテノール歌手からメゾ・ソプラノのズボン役になって、設定も演出もどんどん盛られた」
「どんどん……?」
「雪は降るし、刺されるし、白薔薇投げるし」
「投げるんですか……」
「俺は鐘楼を作った」
「兄様が?」
作中の象徴のような鐘楼は、兄の作らしい。
マティアスお兄様は悪びれもせず、焼き菓子を齧る。
「大道具の手伝い頼まれたんだよ。まだ修行中だったし」
「えっ、じゃあ……」
「初演の鐘楼、俺の設計」
さらりと言われ、私は再びフライヤーを見た。
話題作『白薔薇のカントール』。
音楽院でも少しずつ名前を聞くようになった人気の歌劇。
その主人公のモデルが長兄で、しかも大道具担当が目の前で焼き菓子を食べている次兄。
情報量が多すぎる。
「……ルクレツィア家って、何なんでしょう」
「音楽馬鹿の集まりだな。」
即答だった。
それもそうだが、聖セシリア音楽院もなかなかである。
数年前には男性のエトワール――“歌姫”が伝説的存在として君臨しており、その一学年下には男性の“ファム・ファタール”がいたらしい。
(……美しさ、とは)
天啓であって、呪いでもある。
本人の意思を離れて、人を惑わせ、時には自らの人生まで狂わせてしまう。
私は、音楽院の聖堂で見たノクティス先生の姿と歌声、そしてまだ会ったことのないレオニードお兄様へ思いを馳せながら、カップに残った紅茶を静かに飲み干した。




