28
聖堂の大きな扉を開ける。
木製の扉がゆっくりと軋み、
重たい音を立てながら閉じていく頃には、
先ほどまで響いていた歌声は、ぴたりと止んでいた。
ステンドグラスから差し込む淡い光が、
聖堂の床に色彩を落とし、
その中央に立つ人影を静かに照らしている。
白い指が、祈るように胸元で重なっていた。
長い睫毛。
陶器のように白い横顔。
ゆるやかに波打つ薄紫色の髪。
「……先生……」
掠れた声が漏れる。
ノクティス先生は、私から視線を逸らさなかった。
まるで私が何に気づいたのか、最初からわかっていたみたいに。
「……。」
対して私は、どう言えばいいのかわからなかった。
ステンドグラスの光が、
先生の横顔へ淡く落ちる。
その姿は、ひどく現実離れして見えた。
「やはり、あなたには聴こえるんだね。」
静かな声。
——初めて聞く、
先生の「本当」の声だった。
「私の、声が。」
胸の奥で、今まで感じていた違和感が一つに繋がる。
先生が、いつも体型や喉元を隠していたこと。
私たちの寮や楽屋へ、決して入らなかったこと。
そして、歌声。
月の光のように優しく、繊細で
夜の湖の底みたいに、静かで深かった。
「……先生、あなたは……」
唇が震える。
けれど、
その先を言う前に、静かに告げられた。
「初代エトワール、伝説の歌姫――“ミレイユ・ノクティス”。」
「それが、かつて私に与えられた名前。」
淡い光の中で、
薄紫の睫毛が静かに伏せられる。
「本名は、ルシアン・ド・リュミエール。」
——ノクティス先生は、
“ミレイユ・ノクティス”。
そして。
ルシアン・ド・リュミエールという名を持つ、
男性だった。
長い沈黙を終わらせたのは、先生の方だった。
「“ルナミリア候補生”。
……エトワール制度の前身みたいなものだよ。」
「…姉がそれを目指していてね。」
「色々あって、実現しなかったけど。」
先生は、一段高い聖歌隊席に視線を上げる。
白い百合が一輪、ステンドグラスからの光を浴びていた。
「私の家庭の事情はなかなか複雑でね…。」
小さくため息をついて、いつもの先生らしい軽い口調になった。
「…と言っても…仕方がなかったとは言え、最終的に皆を騙す選択をしたのは私だから。」
「…私は、歌うことを諦める選択だってできた。でも……。」
「——だから、自分の選択には責任を取るつもりでいる。」
——自分で選んできたこと。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちる。
私も、そう。
母に愛されなくても、オーディションに落ち続けても、挑戦することを選んだのは、私。
この世界で、
自分が報われない役だと知っていても。
それでも努力を続けてきたのは、私だ。
今まで、私は人に認められるために歌っていた、と
そう思っていたけど。
違う。
「——私は。」
「先生が、歌を諦めない選択をしてくれて、嬉しいです。」
「辛かったかも知れません。でも…」
「この音楽院で先生に師事できたことが嬉しいんです。」
「……私も、一緒です。歌を諦められない。……自分の歌を探しているんです。」
無意識に、言葉が溢れて止まらなかった。
「……。」
「ふ…ふふ…」
低く笑い声が聞こえた。
「困ったよ…。本当に、困った。」
「…私にも、まだまだ仕事が残っているなんて。」
困ったと言いながら、
先生は少しだけ笑っていた。
(——ノクティス先生って、本当はこんな顔で笑うんだ。)




