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懐かしい、甘い声が聞こえる。
「——みるくちゃん」
お母さん。
小さな、暖かい手を取る。
お母さんの香水の香りが好きだった。
稽古の後、一緒にご飯を食べに行く時間が好きだった。
「お母さんと一緒なら大丈夫だからね。」
明るい照明、スタジオ。
大ヒットしたあの牛乳のCM。
チャイムの音が聞こえる。
——ここは、小学校?
お友達の顔が懐かしくて、
教室を飛び出して追いかける。
「高瀬さん。」
「日焼けをするから、校庭に出てはいけませんと、お母さまから聞いています。」
先生の声。
遠ざかる学校のお友達。
「…ごめんなさい。」
今度は、子役のお友達の声。
「みるくちゃんとお話しちゃだめ、って。」
誰が、そんなことを言ったの?
廊下の向こうで、知らない大人たちがこちらを見ている。
笑っているのに、誰も助けてくれない。
私だけ、ガラスケースの中にいるみたいだった。
お母さん、助けて。
お母さんは、大人の人に向かって何かを怒っている。
——お母さん、そんな怖い顔をしないで。
私の方を見て。
「舞台の主演」
「グループアイドルデビュー」
「海外進出」
同世代の元子役たちが、どんどん私を追い抜いていく。
私は、焦って階段を駆け上る。
お母さん、待って。
置いていかないで。
必死に伸ばした手は、届かない。
足を踏み外した。
世界が反転する。
——そして私は、暗闇に落ちた。
「………セレナ様?」
明るい部屋。
寮の使用人の声に、ゆっくりと瞳を開く。
(良かった、夢だ。)
(——あの日。
階段から落ちた、“高瀬美音”は。)
(まだ、生きているのかな……)
使用人が部屋のカーテンを半分開ける。
眩しい夏の朝日が、静かに差し込んだ。
「セレナ様が寝坊なんて、珍しいですね。」
「…頑張っておられましたから、お疲れだったのでしょう。」
「夏休みも始まったばかりですし、ごゆっくりお休みください。」
使用人は紅茶を置き、静かに退室した。
夏休みが始まって3日ほど経った。
新入生コンサートが終わってからの日々は、
忙しいまま、あっという間に過ぎていった。
私は期末試験の成績トップをなんとかキープして、
アリアは大幅に成績をアップさせた。
陰湿な嫌がらせを繰り返していた二人の令嬢、
リディア・ハルフェンとエミリア・クラインの動きは、コンサート以降は不気味なほどおとなしかった。
ユリウスとは、コンサート以降妙に距離感が近くなった。
顔を合わせれば、自然と挨拶や雑談を交わす。
アリアは彼を少し警戒しているようだったが、私自身は、まだ彼のことを掴みきれずにいる。
色々とあったが、この音楽院での生活を私は満喫していた。
(夏休みは、寮にいてもいい日数が決まってるのよね…)
使用人の休暇や、学内の施設や楽器の整備のため、
普段全寮制の私たちも帰省しなければいけない。
(セレナの家族って、どんな人たちなんだろう。)
当然、ゲームでの描写があるはずもなく、不安になった。
唐突にユリウスの言葉を思い出す。
「…セレナさんはきっと、耳が良いのでしょうね。」
「わずかな声の高低、速さのブレ、リズム感の癖…」
「それを瞬時に聞き取れる力を持っている。」
ふと、悪い方向に考えてしまう。
私の耳の良さが、もし家庭環境によるものだったら…
家族の足音。
名前を呼ばれる時の声色。
扉を閉める音。
——そういうものを、気にして生きる環境だったのだとしたら。
それで耳が良くなっていたのだとしたら……
使用人が持ってきてくれた紅茶を一口含み、その考えを飲み込んだ。
(——大丈夫。)
(私、そもそも家族への期待値が低いから。)
(どんな家でもきっと対応できる。)
期待しなければ、傷つかない。
——そういう生き方には、慣れている。




