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「秘密」の歌姫-元天才子役の私、負けヒロインに転生したので歌で運命を書き換えます。  作者: A Melon


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2

目が覚めたとき、最初に感じたのは軽さだった。

体が、やけに軽い。

痛みもない。あの階段の感触も、もうどこにも残っていない。


 ゆっくりと息を吸うと、知らない香りがした。

甘くて、柔らかくて、どこか現実味がない。


天井は高く、淡い色で塗られている。

実家の天井でも、大学の寮の部屋でもない。

(……ここ、どこ)

声に出そうとして、やめた。代わりに、視線だけを動かす。


 壁、カーテン、家具。

どれも整いすぎていて、舞台の大道具みたい。


ゆっくりと体を起こすと、驚くほど、楽に動いた。

(怪我……してない?)

あれだけ転がったはずなのに。

 違和感の正体を探すように、私はベッドから降りた。


 足音が、軽い。

 ——自分のものじゃないみたいに。


 部屋の奥に、大きな鏡があった。

 吸い寄せられるように、近づく。

 そこに映っていたのは——

 見知らぬ少女だった。


淡い銀色の髪。

 光を含んだような、青い瞳。

 陶器みたいに整った、白い肌。

(……誰)

 

問いかけたはずなのに、鏡の中の少女が同じように口を動かした。

当たり前のことなのに、ひどく現実感がなかった。

指先で、自分の頬に触れる。


そのときふと、名前が浮かんだ。


セレナ・ルクレツィア。


 心臓が、強く鳴る。

(……え?)

知っている名前だった。

 

ついさっきまで、資料で見ていた名前。

自分が演じたいと思った、あのキャラクター。

優等生で、才色兼備で、完璧で。——そして。


——最後まで、

誰にも選ばれない役。


 あの子は、いつも正しい。

誰よりも努力して、誰よりも整っていて。

それでも、選ばれない。

最後に選ばれるのは、


決まって——


ノックの音がした。

 私は反射的に振り返る。

「セレナ様、失礼いたします」

扉が開き、数人の女性が入ってきた。

揃いの服装。落ち着いた所作。

……たぶん、使用人。


そのうちの一人が、安心したように微笑んだ。

「お加減はいかがですか。ご無理をなさらないでくださいね」

「……はい」

自然に、言葉が出た。

 

声が違う。

やわらかくて、澄んでいて、——綺麗すぎる。

(……これが、“セレナの声”)

 胸の奥が、ざわついた。


「本日はお休みいただきますが、明日には登校も可能とのことです」

「登校……」


「はい。音楽院へ」


 音楽院。

 その単語だけで、景色が浮かぶ。

 聖セシリア音楽院。

 広いホール。整然と並ぶ生徒たち。

 楽器の音、数々の譜面、歌声。

 ——そして。


 ひとりの少女。


 明るい髪。

 飾らない姿。素朴な声。

 なのに、目が離せない。


(……アリア)


名前が、自然に浮かぶ。

 ヒロイン。天性の歌声。

 そして——“選ばれる側”。


胸の奥が、ちくりと痛んだ。

 小さく、息を吐く。視線を落とすと、白い手が目に入った。

 細くて、綺麗で、何もかもが整っている。完璧な子だけど…


答えは、知っている。この物語の中で、セレナ・ルクレツィアは——


(報われない)


 でも。


「負けるからって、何」


 言葉にしてみると、少しだけ軽くなった。


(この子は、ちゃんとやってる)

 セレナは、すごく努力をしてる。

 正しいやり方で。誰よりも、きちんと。


(それで負けるなら)

それが私の役割なら、

(逃げずに、やろう)

(結果が変わらなくても、後悔しないように)


 鏡の中のセレナが、静かにこちらを見ていた。


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