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女子生徒用の楽屋が慌ただしくなっていた。
伴奏者の私は、ドレスを着用するアリアの着替えを手伝おうと、先に身支度を終えた。
私の衣装は、白いブラウスと、黒いスカート。
どちらも無地で、装飾性を排したものを選んだ。
長い髪の毛は後ろに一つにまとめ、演奏のしやすさを最優先にしている。
——今日より数週間前の、ノクティス先生との通信を思い出した。
「……と言うことで、ソリストには自分で衣装選びもしてもらうんだけど。」
伝達事項を淡々と伝えていた先生の声色が引き締まった。
「アリアさんとセレナさん…」
「君たちの演奏は心配してないけど、衣装まわりはちょっと、心配だね。」
「まぁ、用心して。私は楽屋にまでは入れないから。」
その時はそう告げて、私が返事や質問をする間も無く、通信をプツンと切られた。
本番を迎えた今日、そのことを思い返す。
(…確かに、衣装は重要。)
(曲と衣装が合っているか、とか…)
(コンサートの趣旨…アクセサリーや肌の露出度などが時と場合に合っているか、とか。)
あとは、会場の壁の色と同系統を避ける、とか…
——そして。
コンコンコン、と規則正しいノックが聞こえた後、
やや乱暴に楽屋のドアが空いた。
「失礼、します。」
「アリア・フェリスさん、今よろしいでしょうか?」
聞き覚えのある、硬質な声。
エトワールの楽屋入りで一緒だった、2年生の上級生だった。
出番に向けて着替えをしている女子生徒たちは、唐突に扉が開いたことに動揺していた。
「は、はい…!」
アリアは呼ばれて、扉へと向かう。
まさに今、着替えようとしていた空色のドレスを抱えている。
その上級生は、アリアが持っているドレスを凝視していた。
「その色——エトワールと被せてきましたね。」
——やはり始まった。
——衣装の色被り。
同じ色は、同じ位置に立とうとする意思表示。
舞台では、それは“役割の衝突”を意味するため、「色の被り」は暗黙の了解として避けられる。
もし被れば、それは無言の挑発になる。
転生前、芸能生活で嫌になる程経験した、女性同士の揉め事の一つ。
「あ、あの…すみません、私…」
「ノエル様は今日、空色のお衣装を着用する、と教員を通じてあなた方にも伝えております。」
謝ろうとするアリアを遮って、先輩は捲し立てる。
(…私達は、エトワールが「赤」の衣装だと聞いてたけど。)
その上で、アリアのドレスカラーに空色を勧めてきた女子生徒がいた。
(…やっぱり、罠だったみたい。)
(彼女達は、わざとこの状況を狙っていた。)
すると軽やかな足音と共に、低く優しい声が聞こえた。
「ヴェロニカちゃん、いいよ。」
「私、今日はドレスじゃないし、アリアさんとは出番も離れているでしょう?」
「衣装の色が近いくらい、気にしないさ。」
すぐ後ろにいたのか、駆けつけてくれたのか、エトワール本人がアリアをフォローしてくれた。
(…あの2年生の方はヴェロニカ様、とおっしゃるのね)
ふと今日のプログラムに目をやる。
ヴェロニカ・エーデル…今日はノエルの伴奏を務めるらしい。
ただよく見ると、彼女も鍵盤の専攻ではなく、本当は歌が専攻であることがわかった。
(…私と一緒、ね……)
少し複雑に感じた。
ヴェロニカのような人は、苦手なのだ。
芸能生活でも、よく目にした。
誰かの光の“近く”に立ち続ける人。
——その行動によっては、その光の持ち主の評価を下げるということにも気付かずに。
ステージママで有名だった私の母親も、
周囲から見たら、きっと彼女のようだったのかも知れない。
「ノエル様はお優しいですから。」
「ですが、“エトワールに恥をかかせた”という事実は消えません。」
冷静を装ってはいるが、確実にヴェロニカの怒りの段階は上がっている。
(…先輩のこの態度、なんだか懐かしいな…)
(もちろん、悪い意味で。)
「私はそちらの伴奏者に…教員づてでお伝えしたはずですよ。」
「貴方がドレスを持っていなくて、伴奏者から借りる、と聞きましたから。」
「全く、アリアさんの伴奏者は…使えないのですね。」
ヴェロニカは遠慮なく楽屋に踏み込んできた。
眼鏡の下のギラギラとした瞳が、僅かに見える。
「…セレナさんを、そんな風に言わないでください。」
今まで大人しく小さくなっていたアリアの態度が変わった。
(…アリアが、怒ってる。)
(理不尽な話には謝っておいて、私を貶める発言には怒るなんて。)
(…見事なくらい、最悪の手を選び続けている。)
(でも、庇ってくれてありがとう。)
(…私が守るから。)
すっと立ち上がり、私はヴェロニカの前へ立ちはだかった。
「申し訳ございません。ヴェロニカ・エーデル様。そして、ノエル・フォン・アルシェール様。私の確認不足で不測の事態を招いてしまいました。」
「アリアさん、先輩方への謝罪が不十分です。」
「私たちはエトワールにご足労いただいた上に、ご迷惑をおかけしたのですよ。」
そして背筋を真っ直ぐに伸ばし、
視線だけでヴェロニカの動きを縫い止めた。
——場の空気が、僅かに変わる。
「整いすぎている」セレナの姿と声は、
このような場面で真価を発揮する。
「はい…セレナ様。そして両先輩方、本当に申し訳ございません。」
アリアはおそらく納得しないまま、行儀良く謝罪の言葉を述べた。
純粋なこの子が、このような仕草を覚えていくのかと思うと僅かに胸が痛む。
ヴェロニカが少し気圧されている雰囲気を感じ取ると、私はそのまま言葉を続けた。
「——申し遅れました。」
「アリア・フェリスの伴奏者、セレナ・ルクレツィアと申します。」
「本日のアリアさんのドレスはこちらなのですが…伝達が上手くいかなかったようで。」
私は、自分の席に掛けていた襟付きの薄ピンク色のドレスを広げて見せた。
アリアも目を見開いて驚いている。
「勘違いのまま伝わっていたようです。ノエル様のお衣装と被せる意図は全くございません。また、先輩方へのお伝えも、私が怠っておりました。重ねて、申し訳ございません。」
(…皮肉ね。)
(なんとも思っていない時ほど、謝罪の言葉がすらすら出てくるなんて。)
「……そう。」
「こちらこそ、確認もせずに悪かったわね。」
「セレナ・ルクレツィアさん。」
「覚えておくわ。」
ヴェロニカは一瞬だけ言葉を失い——
やがて、静かに微笑んだ。
その後
張り詰めていた空気をほどくように、
再びノエルの声が響いた。
「皆さん、お騒がせいたしました。」
「では失礼します。」
女子楽屋内の皆へ謝罪をし、二人でエトワール専用の楽屋へと戻った。
私は、去り際のヴェロニカの独り言を聞き逃さなかった。
——『アリア・フェリスは空色のドレスを着る』って、リディア・ハルフェンとエミリア・クラインが言ってたのに……
——やはり、そういうこと。
罠にかかってみた甲斐はあった。
胸の奥で、静かに何かが冷えていく。
感情が引き、代わりに思考が澄んでいく。
その二人の名前——ようやく、線が繋がった。
もうすぐ尻尾が掴める。




