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「……ごめんなさい」
アリアの謝罪は、ほとんど反射だった。
彼女は、ずっと謝っている。
(——この子は)
(ずっと、こうやって生きてきたの……?)
胸の奥が、静かに痛んだ。
(私も——)
(この子に、謝らなきゃ)
勝手に羨んで。
勝手に嫉妬して。
何も知らないまま、決めつけていた。
「……いいえ」
「謝る必要はありません」
私は、ゆっくりと首を振った。
人目を避けるように、私たちは練習室へ戻る。
扉が閉まった瞬間——
「……ごめんなさい」
アリアが、再び頭を下げた。
「私、新入生コンサートの出演……やめます」
「——どうして」
気付けば、一歩踏み出していた。
「理由を、聞かせてください」
責めたいわけじゃない。
でも。
「どうして、“やめる”という結論になるんですか」
その瞬間、アリアの肩が小さく震えた。
「……だって」
「私、やっぱり……場違いだったから……」
途切れ途切れの声。
「迷惑ばっかり、かけて……」
胸の奥が、強く軋んだ。
「……違います」
今度こそ、はっきり伝えなければいけない。
「私は一度も、あなたを迷惑だと思ったことはありません」
お願いだから。
(……届いて)
その瞬間、視界が、不意に滲む。
「……っ」
遅れて、涙が零れた。
「どうして……私を頼ってくれないの……!」
自分でも驚くくらい、声が震えていた。
「たった一度の新入生コンサート、一緒に出られるって……」
「嬉しかったのに……!」
言葉が止まらない。
(……違う)
これは、アリアだけに向けている言葉じゃない。
(——私だ)
誰にも頼れなかった。
助けてと言えなかった。
昔の自分へ向かって、叫んでいる。
その瞬間——
(——みるくちゃん)
耳の奥で、甘ったるい声が響いた。
(貴方は、特別な子なの)
(他の子達とは違うのよ)
違う。
私は、“美音”だ。
「商品」の名前で、呼ばないで。
(——みるくちゃんは、いい子)
(お友達なんていなくても、大丈夫)
違う。
私は、ずっと欲しかった。
対等に話して。
本音をぶつけ合って。
一緒に前へ進める——そんな相手が。
もう、後悔したくない。
「……頼ってほしいの」
涙を拭いもせず、私は顔を上げた。
「友達だから」
アリアの唇が、小さく震える。
「……私も」
掠れそうな声。
それでも、確かに。
「ほんとは……嬉しかった」
「セレナさんと、コンサート……一緒に出られるの」
潤んだ瞳が、逃げずに真っ直ぐこちらを見る。
「……出たい、です」
その一言だけでよかった。
胸の奥に絡みついていた何かが、
ゆっくりほどけていく。
「……はい」
自然に、頷いていた。
「一緒に、出ましょう」
少しの沈黙。
どちらからともなく視線を逸らす。
——その空気が、少しだけ柔らかい。
「……あの」
先に口を開いたのは、アリアだった。
「さっきのこと……」
声が、少しだけ小さくなる。
「セレナさんのことを、誰かに言われたのは……本当です」
視線が、一瞬だけ扉へ向いた。
(……警戒してる)
「わかりました」
私はすぐに頷く。
「その件は、また改めて聞きます」
「……はい」
さっきよりも、落ち着いた声だった。
(……よかった)
今は…まずは、それでいい。
その時、廊下に鐘の音が響いた。
一限の終了を告げる鐘。
同時に、この日の練習室使用時間の終わりでもあった。
「……もう時間ですね」
「……はい」
結局、伴奏合わせの初日。
練習らしい練習は、一度もできなかった。
けれど——無駄な時間だったとは、思わない。
私たちは部屋を出て、人の少ない中庭へ向かった。
春の風が、柔らかく頬を撫でる。
ベンチに腰掛けたアリアが、改めて口を開いた。
「……セレナさんが、迷惑してるって言われて」
「正直……すごく、悲しかったんです」
「……」
「でも」
「違うって言ってもらえて……安心しました」
胸の奥が、じんわり温かくなる。
「……それは、こちらの台詞です」
小さく息を吐く。
「あのままで終わるのは、嫌でしたから」
少しだけ間を置いて、私は声を落とした。
「先ほどの“誰か”の件ですが」
アリアの肩が、ぴくりと揺れる。
「無理に今、話さなくて構いません」
「ですが、放置はしません」
私ははっきりと言い切る。
「必要なら、私の名前で先生に相談します」
「実家にも話を通せます」
アリアの目が、少し見開かれた。
「これは、私の問題でもありますから」
そして——
「私のことも、頼ってください」
「その代わり」
「私も、あなたを頼ります」
「……はい」
今度の彼女の返事は、しっかりとした声だった。
ふと、アリアが困ったように笑う。
「……あの」
「呼び方、なんですけど」
「?」
「“様”って……やめてもいいですか」
一瞬きょとんとして、すぐに意味を理解する。
「……では」
少しだけ、意地悪く。
「私も、“さん”をやめます」
「……え」
「アリア、でいいですか?」
アリアは目を丸くして——
それから、小さく笑った。
「……はい」
そして。
「セレナさん」
その響きが、少しくすぐったい。
けれど私は、わざと一歩引く。
「ただし、馴れ合うつもりはありません」
空気が、ぴんと張る。
「あなたのステージマナーも、発言も、歌も」
「気になることがあれば、遠慮なく言います」
そして。
「私も、ソリストを狙っていますから」
静かに告げた。
一瞬の静寂。
けれどアリアは、まっすぐ頷く。
「……はい」
「私も、歌える機会は全部欲しいです」
「だから——全力で歌います」
真正面から、受けて立つように。
その答えに、思わず口元が緩んだ。
「……望むところです」
春の風が、二人の間を吹き抜ける。
張り詰めているのに、不思議と心地いい距離。
(……これが、“対等”)
(——ここから、始まる)




