14
驚く私の反応を見て、
ノクティス先生が意外そうにする。
『えっ…て、そんなに驚くこと?』
『セレナさんって、"ラメント"弾くのも上手でしょ』
ラメントーー
"ラメント・クラヴィーア"この世界の鍵盤楽器の名前。
ピアノよりも音量や機体が小さく、どちらかというとチェンバロなどに近い。
ーでもどうして、「嘆き」の名前がついているんだろう。
「…はい。」
「私は鍵盤の曲を弾くことも、歌の伴奏をすることも、好きです。」
上手、と言われて私は否定しなかった。
正直、ピアノは小さい頃に少し習ったくらいだったけど、
“セレナ”になってからは、不思議なほど鍵盤が弾けるようになっていた。
それに、伴奏を弾くことや鍵盤の練習は、歌や耳の訓練に活かすことができる。
(“セレナ”には本当、感謝しないと)
『あ、あと』
『作曲のカミーユ・ルグランさん、鍵盤曲と歌曲を作っていてね』
『今回は鍵盤曲を採用したけど、歌曲の採用だった場合、歌手の起用にセレナさん、君を指名してたよ』
嬉しい報告だった。
同級生が作った楽曲を歌う機会も、これからあるのかも知れない。
(…一生懸命やって、良かった)
(頑張ろう)
そのまま、アリアが歌う楽曲と楽譜の版、
新入生コンサートのために割り当てられた練習室の番号、部屋を使用できる時間などを共有して、
通信を終えた。
ー次の日。
アリアとの伴奏合わせのために指定された練習室で待ち合わせをしていた。
(…来ない。)
練習室は、朝の空気をまだ少し残していた。
窓から差し込む光が、鍵盤の上で静かに揺れている。
(……少し早く来すぎたかしら)
セレナは椅子に腰掛け、ラメント・クラヴィーアの蓋にそっと手を添えた。
譜面台に置かれた楽譜を開き、ゆっくりと指を走らせる。
伴奏部分だけをなぞるように、静かに。
音は控えめに。
けれど、歌が乗る余白を意識して。
(ここで息を受けて——次で支える)
頭の中で、まだいないアリアの声を想像する。
その声に合わせて、テンポを揺らす。
——しかし。
(……遅い)
一曲通し終えても、扉は開かない。
(集合時間、過ぎている…よね)
時計に目をやると既に、約束の時刻から二十分経っていた。
(……何かあった?)
もう一度、同じ箇所をさらいながらも、意識は扉に向いたままだった。
その時——
バンッ!と、勢いよく扉が開いた。
「っ、ご、ごめんなさい!!」
息を切らして立っているのは、アリア・フェリス。
頬は赤く、肩で息をしている。
「……大丈夫ですか?」
セレナが静かに声をかけると、アリアはびくりと肩を揺らした。
「ひっ……あ、えっと、その……!」
「……やっぱり、私…迷惑、かけた……」
(……?)
怯えている?
(どうして?)
「……まずは、落ち着いてください」
セレナは椅子から立ち上がり、距離を少しだけ取る。
威圧にならないように。
「水、飲みますか?」
「だ、大丈夫です……すぐ、やります……!」
明らかに余裕はないのに、無理に背筋を伸ばしている。
まるで、叱責されるのを待っているように。
「では、始めましょうか」
「はい……!」
二人はそれぞれの位置につく。
セレナが軽く前奏を弾き、アリアが息を吸う。
——入る。
「——♪」
(……あれ?)
一小節目から、違和感。
噛み合わない。
セレナはすぐに演奏を止めた。
「……少し待ってください」
「えっ……?」
「楽譜、見せていただけますか?」
アリアは慌てて譜面を差し出す。
セレナはそれを受け取り、自分のものと見比べた。
(……やっぱり)
「版が違いますね」
「……え?」
「こちら、古い版です。和声進行と装飾が違っています。」
「そ、そんな……」
アリアの顔から、血の気が引いていく。
「今回指定されている版は、私の方…こちらだったと思うのですが。」
「……っ」
言葉を失っている。
「図書館に行きましょう。正しい版の控えを取れば、すぐ対応できます」
「……は、はい……」
その返事は、どこか力がなかった。
——図書館へ向かうと、該当の楽譜はすぐに見つかった。
「これです」
セレナが差し出すと、アリアは小さく頷く。
控えを取るため、複写機の前へ。
「魔石を——」
アリアがポケットに手を入れる。
……止まる。
「……あれ」
もう一度、別のポケット。
鞄の中。
「……あれ……?」
声が、震えている。
「どうしました?」
「な、ない……魔石のかけら……ない……」
(……紛失?)
アリアの指先が、小刻みに震えていた。
「さっきまで……あったのに……」
今にも泣きそうな顔。
周囲の視線を気にして、必死にこらえている。
(……これは)
私は、静かに自分の魔石のかけらを取り出した。
「……こちらを使ってください」
「……え?」
「控えを取るだけですから」
「で、でも……」
「構いません」
淡々とした声でそう言うと、アリアは何度も小さく頭を下げた。
「……すみません……ありがとうございます……」
(……様子がおかしい)
控えを取りながら、セレナは考える。
遅刻。
楽譜の版違い。
そして、魔石の紛失。
(……出来すぎている)
控えが終わり、静かに紙を受け取る。
その時。
セレナは、ふと口を開いた。
「……昨日」
「……はい」
「時間、部屋、楽譜の版。ノクティス先生と確認しましたよね?」
「……しました」
「では、どうしてこの版を?」
アリアは、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。
「……その……朝、変更になったって……」
「誰から、そう聞いたのですか?」
「それは……」
口が止まる。
言葉が、出てこない。
(……やっぱり)
セレナは、静かにアリアを見つめた。
客観的に二人を見たら、困っているか弱いヒロインと、問い詰める悪役令嬢。
そんな構図に見えるかもしれない。
(……でも)
違う。
(これは、本当にアリア?)
(ちやほやされて、人が変わった?)
——いや。
(違う)
(この子は——違う)
(音楽に関してだけは、嘘をつけない)
私は彼女に一歩、近づく。
「……アリアさん」
びくり、とまたアリアの肩が揺れる。
「……誰かに、」
「“私が、あなたを迷惑に思っている” など——そう聞いたのですか?」
「……答えてください」
「……っ」




