独身貴族は生温かい視線を向けられる
面倒な客を追い返して仕事に取り掛かっていると、工房の出入り口が開く音がした。
つい先ほど工房の敷地までやってきた迷惑な貴族がいたために、思わず警戒の視線を向ける。
「え? なんか視線が怖いんだけど」
「なんだ。アルトか……」
しかし、それはすぐに霧散させることになる。
入ってきた人物は俺の弟であるアルトだからだ。
「逆に誰だと思ったの?」
「またクーラーを売ってくれとかいう迷惑な貴族かと思ってな」
「ああ、それで微妙な空気だったんだ」
今朝の出来事を語ると、アルトは納得と安堵の混ざった表情になった。
身内の経営している工房で不審者扱いされれば、アルトが困惑するのも無理はない。
「あの、あちらの方はもしかしてジルクさんの弟さんですか?」
「ええ、ジルクの弟のアルト様」
おずおずとルージュに尋ねたのはサーシャだ。
彼女はアルトとは面識はないので、この場で会うのがはじめてとなるだろう。
「あっ、もしかしてルージュさんの紹介で入った新しい人かな?」
「はい。経理と雑務を担当していますサーシャと申します」
「はじめまして、アルトといいます。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
「いやー、ようやく他の従業員も雇ったんだね」
サーシャを見て、アルトがしみじみと呟く。
「まあな」
元からルージュの仕事量は明らかに多く、彼女の負担が大きいのはわかっていた。
従業員を増やすのが、彼女の負担を軽減する手っ取り早い手段だ。
見知らぬ者が増えるのはストレスだが、またルージュに倒れられて工房が無茶苦茶になるのも困るからな。
「ところで、今日は何のためにきたんだ?」
「イスカとパレットが兄さんの工房で正式に採用されたと聞いてね。様子を見にね」
「そんなことでわざわざ来たのか?」
ルーレン家にはルージュを通して、イスカとパレットの採用は手紙で通知してある。
こちらの工房に採用されただけで、アルトが顔を出す義理があるとは思えなかった。
「兄さんの工房を紹介したのは僕だしね。正式採用されたら祝いに顔を出すのは当然だよ」
「そういうものか?」
「そういうものだよ」
アルトがきっぱりと言い張るということは一般的な感覚ではそうらしい。
「なにはともあれ、二人とも正式採用おめでとう」
「「ありがとうございます」」
アルトに祝いの言葉をかけられて、パレットとイスカが嬉しそうに顔を綻ばせた。
「いやー、二人が採用されてよかったよ。厳しい兄さんのことだから厳しい課題を課せられて落とされるんじゃないかってヒヤヒヤしていたよ」
「ああ、ええっと、別にそこまで無茶ってわけではなかったですよ?」
「ただ僕たちが未熟だっただけです」
アルトの呟くにパレットとイスカが曖昧な表情を浮かべて答えた。
二人の沈痛な表情を目にして、アルトは思うことがあったのか神妙な顔で尋ねてくる。
「……ちなみに兄さんは二人にどんな課題を?」
「クーラーに使う氷魔石の完全均一化をやらせた」
「氷魔石の完全均一化!? ただでさえ、氷魔石の加工は難しいっていうのに、それを完全均一化って……見習いの二人にさせる課題のレベルじゃないよ?」
「よそではどうかは知らんが、うちで働く以上はその程度の基礎くらいこなせなくては話にならんからな」
「紹介した僕が言うのもなんだけど、二人ともよく受かったね」
「本当に大変でした」
「辛かったです」
同情したアルトがイスカとパレットの肩に手を置くと、二人は素直に心境を吐露した。
「ですが、トリスタン先輩やジルクさんがアドバイスをしてくださったので、なんとか合格することができました」
「えっ! 兄さんがアドバイスをしてくれたのかい!? どんな風に?」
イスカの言葉を聞いて、アルトが途端に前のめりになった。
「え、えっと、私たちにも理解できるように理論を説明しながら、目の前で何度も実演してくれました」
「それだけじゃなく、魔力制御の練習をするために貴重なマナボルテクスの角まで貸していただきましたよ」
「へー、兄さんが丁寧にアドバイスした上に、練習のための道具まで貸してあげたんだ」
「提出ギリギリの朝方まで付き合ってでもあげたものね?」
「二人が消費してしまった氷魔石についてもジルクさんが負担していました」
「へー!」
ルージュとサーシャからの追い打ちを聞き、ことさらアルトが驚きの声を上げた。
「その不愉快な視線をやめろ」
どこかの誰かがわざわざ山にまで押しかけてきて、若者なんだから長い目で見てあげろとか言うからしてやったというのに。こんな視線を向けられるのなら面倒を見るんじゃなかった。
「さて、仕事中にあまりお邪魔するのもなんだし、僕はそろそろお暇しようかな」
「えー、もう行っちゃうんですか?」
アルトが帰る素振りを見せると、パレットが甘えたような声を上げる。
たとえ、既婚者が相手でもその技はやるんだな。
「ごめんね。ゆっくり話したいところだけど、この後に打ち合わせがあるから」
さすがに二人の様子を見るためだけにわざわざ王都までやってきたわけではないらしい。
領主の上にルーレン家の工房長でもあるからな。さすがにそこまで暇ではないか。
きっちりと王都での仕事があるらしい。
「でも、夕方以降は空いているからお祝いも兼ねて二人とも食事はどうかな?」
「え、えっと、行きたいんですが……」
アルトが提案すると、パレットとイスカが伺うような視線を向けてくる。
早く帰れるかどうかは俺の裁量にかかっているからな。
ルージュやサーシャのように家庭があるわけでもなく、従業員になったばかりの二人にとって早上がりを決めるのは難しいだろう。
「……今日は早めに上がっていいからアルトの相手をしてこい」
「ありがとうございます! そんなわけで行かせていただきます!」
「よろしくお願いします」
「わかった。こっちの仕事が片付いたら工房に迎えにくるよ。兄さんもくるかい?」
「いかん」
「あはは、兄さんならそう言うと思った」
つい最近、歓迎会とやらに付き合わされたばかりだったので、またしても他人との食事に付き合わされるのはごめんだった。
「見送りは必要ないから。それじゃあ、また後で」
きっぱりと断るとアルトは苦笑しながら工房を出ていった。
自分の工房を離れた部下なのに面倒見がいいことだ。
こういったマメで優しい奴だからこそ誰からも慕われるのだろうな。
俺には到底無理だ。他人にそこまで興味が持てないし、優しくなれない。
改めて実家の工房はアルトに任せてよかったと再認識する俺だった。




