独身貴族はベランダにて声をかけられる
翌朝。スッキリとした目覚めを迎えた俺は、むくりと上体を起こした。
二度寝などという非生産的な行動はせず、そのままベッドから出ると洗面台に移動。
設置した魔道具からぬるま湯を出すと顔を洗っていく。
寝癖を直し、最後に冷水で肌を引き締めると意識がさらに引き締まった。
タオルで水気を拭うと、そのままリビングへ移動。
ガラリと窓を開けてベランダへ出ると、爽やかな空気が肌を撫でた。
夏の盛りである季節だが、朝だけは気温も低くて過ごしやすい。
そのため今だけは日差しが気持ちいい。
これがあと一時間もすれば、熱気と湿気を孕んだ不快な空気になるのだから夏というのは残酷だな。
閑静な住宅街ということもあってかアパートの周囲には人の気配はほとんどない。
聞こえる音といえば、軒先に止まっている小鳥のさえずりくらいのものだ。
「やっぱり朝は静かでいい」
ぼんやりと呟くと、そんな俺の言葉を否定するように隣室からドタドタという足音が聞こえた。
……静謐な朝の空気が台無しだ。
早朝なのだからもう少し周りに配慮をしてほしいものだ。
などと思っていると隣のベランダからガラガラと窓を開ける音がした。
向こうも日光浴をするつもりなのか、洗濯物を干すつもりなのかは知らないが、早朝から話す気分にはなれない。家の中でくらい一人でいたいからな。
「ねえ、ちょっと! 起きてるんでしょ?」
そう思っていそいそとリビングに戻ろうとしたところで声がかかる。
まさかと思って振り返ってみると、なにを狂ったのかカタリナがこちらのベランダへと顔を覗かせてきているではないか。
「おい、プライバシーの侵害だぞ」
なんのためにベランダに仕切り板があると思っている。
互いの生活に干渉しないために設置されたものを越えてくるな。
「だ、だって、こうでもしないとまともに話せないじゃない!」
指摘してやるとカタリナは罪悪感があったのか怯みはしたが、すぐに開き直った。
「……用件があるなら普通にチャイムを鳴らせ」
「でも、部屋に通してくれるわけじゃないんでしょ?」
「当たり前だ」
年頃の女を自宅に招き入れることは無しな上に、そもそも他人を部屋に入れたくない。
却下するとカタリナは「じゃあ、チャイムを押しても意味ないじゃない」などと溢す。
それもそうだな。意味がない。
「で、何の用なんだ?」
朝からベランダで押し問答などはしたくないために、奴の面倒な言い分は置いておいて問いかける。
「え、えっと、あなたのお陰でスムーズにクーラーを手に入れられたからお礼を言っておこうと思って」
カタリナをはじめとする楽団の連中には、お世話になったこともあり特別に予約開始日と発売日をリークしてやった。
その甲斐もあって楽団員の連中は朝早くから魔道具店に向かい、早期からクーラーを予約することに成功し、各々の家庭に届いたようだった。
「お前たちにはまた【音の箱庭】への録音を頼みたいからな」
「それでもありがとう。お陰で多くの団員が涼しく過ごさせてもらっているわ」
楽団の連中とは仲が良いわけではないが、今後も個人的に取り引きをお願いしたい相手だからな。恩を売っておいて損はない。
「お前が素直に礼を言うと気持ちが悪いな」
「うるさいわね!」
決して喜んでもらいたいなどという純粋な心で教えてやったわけではないので礼を言われるほどのことではないが珍しく殊勝な態度を見せてきたので気持ちは受け取っておこう。
「で、話はそれだけか?」
「あ、あと! 支配人が歌劇場のために大型のクーラーが欲しいって……」
「さすがに今は無理だな。ただでさえ生産台数が追い付いてない上に、王族や貴族、大商会の連中が追加の発注を催促してきている。それらを突っぱねて優先するのは工房としては難しい」
「そうよね。やっぱり無理よね……」
「ああ、ジルク工房としてはな」
少し強調して言ってやると、しゅんとしていたカタリナがハッとした顔になる。
「工房を通しては無理でも、ジルク=ルーレン個人としては交渉の余地があるわけね?」
「そうだ」
さすがにここまでわかりやすく言えば、俺の意図する意味に気が付いたらしい。
「どういう条件なら引き受けてもらえるのかしら?」
「歌劇場のホールを貸し切り、オーケストラの録音をさせてもらいたい」
前回の録音は協力してくれた一部の管弦楽団員による演奏であって、カタリナが所属している楽団員が揃ってのものではない。
だから今度は管弦楽団全員での演奏を録音してみたい。
それに今度は練習用のホールではなく、歌劇場が普段演奏しているステージでの演奏がいい。
やはり、ただの多目的ホールとステージでは、音響設備などに大きな違いがあるからな。
「ステージを貸し切ってオーケストラの録音!?」
俺の条件を聞いて、カタリナが素っ頓狂な声を上げた。
「ただでさえ忙しい上に、俺の貴重なプライベートな時間を捧げるんだ。これくらいが対価じゃないと割に合わん」
まあ、本当は俺が融通を効かせられるくらいには少しストックがあるのだが、見知らぬ支配人とやらにそこまでしてやる義理はないし、価値のあるものを安売りする意味もないしな。
中々に無茶を言っていると自分でも思うが、大型クーラーは今や王族でさえ手に入れるのが困難な品だ。これくらいの条件は突きつけても構わないだろう。
「さすがにそれは私の一存では判断ができないわね。支配人に聞いてみるわ」
「できれば早めにな。クーラーの発注がさらに増えれば、それだけ対応は困難になる」
今は大人しくしている王族や貴族だが、いずれは痺れを切らしてさらなる増産を迫ってくるだろう。そうなってしまえば今よりさらに余裕はなくなり、個人的に融通してやることもできなくなるからな。
「わかったわ」
注意点を伝えると、カタリナはベランダから自分の部屋へと引っ込んだ。
窓を完全に閉め切っていないのかカタリナのベランダを通じて、こちらへと冷気が漂ってきた。
「朝っぱらからクーラーをつけているのか……」
涼しい早朝くらいはクーラーを稼働しなくていいと思うがな。
●
いつも通りに職場にやってくると、工房の前でなにやら話し声が聞こえた。
塀から覗いてみると、パレットと見知らぬ男性が会話をしている。
魔道具店の関係者でもないし、うちの工房に素材や魔石を卸しにくる業者でもないな。
うちの工房に出入りする関係者の名前までは把握していないが、顔くらいは把握している。
パレットに話しかけている男は見覚えのあるものではなかった。となると外部の者だろう。
「すまないが、うちにもクーラーを売ってくれないだろうか?」
敷地の塀から様子を窺っていると、男からそんな声を上げた。
どうやらクーラーが欲しいあまり俺の工房にまでやってきているらしい。
迷惑な客だ。ああいった奴等は独自の法則で動いており、対応するのも面倒なのでパレットに任せてしまおう。これも従業員としての業務だ。
「申し訳ございません。そういったご注文は魔道具店を通してお願いいたします」
「いや、魔道具店が取り合ってくれないから、こうやって私が足を運んでお願いしているんじゃないか。クーラーを作っているのはここなんだろう?」
「すみません。ジルク工房はあくまで魔道具の生産工房であって、そういったお願いは直接お引き受けしていないんです」
男のめちゃくちゃな主張を聞いても、パレットは綺麗な愛想笑いを浮かべて流した。
そうだ。うちの工房は魔道具を作るための場所であって、注文は承っていない。
そうしないとひっきりなしに魔道具を作れと客がやってくるからな。
まあ、それは基本的な建前で、ルージュが製作依頼を取ってくることもあるが、それは信用できる相手だけだ。信用の一切のない個人を相手にそのようなことはしない。
「はあ? ここで作っているのに発注を受け付けていないっておかしいじゃないか。君じゃ話にならない、上の者を呼んできてくれ!」
しかし、パレットの説明を男はバッサリと捨てて、大声を上げ始めた。
工房の前を通りかかる通行人が何事かと視線を向けるのがわかる。迷惑な客だ。
さすがに俺が出ないとマズいかと思ったが工房からトリスタンが出てきた。
後輩が困っているのを先輩として見過ごせなかった。という正義心ではなく、女の前でカッコつけたいという下心だろうな。
現にトリスタンは勇ましく歩きながらパレットにチラチラと視線をやっている。
奴の浅はかな下心はどうでもいいが、俺の代わりに面倒事を解決してくれるなら別にいい。
「すみませんが、お客様。先ほどうちの従業員が言ったようにうちは直接での注文は受け付けていませんので」
「誰だね君は? ここの責任者か?」
「いいえ、魔道具師見習いのトリスタンと申します」
「魔道具師見習いの上に平民だと? 話にならん! 私は貴族だぞ!」
「うえっ!? 貴族様ですか!?」
「そうだ! 私は貴族だ! お前のような平民が言葉を交わせるような相手ではない! わかったらもっとマシな立場のものをよこせ!」
「いやいやそんなこと言われても困ります!」
「なんだ? 私の言う事に文句があるのか!?」
「いや、別に文句とかっていうわけじゃ……」
貴族とわかって途端に態度が弱々しいものになるトリスタンを見て、パレットが冷めたような顔になっていた。パレットからの好感度を上げようとしたが、小心者な性格が露呈して見事に逆効果となっていた。
トリスタンじゃ収集がつかないと判断した俺は、仕方なく塀から出て男の元へと歩み寄る。
「あっ! ジルクさん!」
俺に気付いたのかパレットが明るい声を上げる。
「工房長のジルク=ルーレンです。うちの工房に何か御用でしょうか?」
「ジルク=ルーレン? ということは貴族か?」
「ルーレン家の長男です。子爵の地位を賜っております」
「フン、ならば伯爵家であるホンフリート家よりも下ではないか。ならば問題ない。我が屋敷のためにクーラーを作ってくれ」
俺がルーレン家の者だと聞いて、ここまで強気に出られるとは相当なボンボンだな。
両親に可愛がられて育った故に無知なのだろう。
「お断りいたします」
「なに? ホンフリート家からの依頼だぞ? 断るというのか?」
「私の作り上げたクーラーは多くの方から反響をいただいており、大変光栄なことに王族をはじめとする大貴族の方にも魔道具店を経由してお待ちいただいている状態です。その状態でホンフリート家の方を優先したとなると、やんごとなき方々が気を損ねてしまう可能性もありますが、よろしいのですか?」
「お、王族や大貴族が順番待ちだと!? わ、悪いがさっきの注文は無かったことにしてくれ!」
王族や大貴族の威光を持ち出すと、ホンフリート家を名乗る男は顔を真っ青にして踵を返した。
無知な奴ではあるが、さすがに王族や大貴族の機嫌を損ねるのは悪手だと理解できたらしい。
「ありがとうございます、ジルクさん。助かりました」
「別にいい。とりあえず、中に入れ」
また外にいると妙な輩に絡まれかねないからな。
「朝からお疲れさまね」
工房に入ると、ルージュが声をかけてくる。
真正面であれだけ騒げば中にいても状況はわかるだろうな。
「そう思うのならルージュが対処しろ」
「だってそろそろジルクが出勤してくる時間だってわかっていたもの。ジルクがくれば、すぐに収まるんだからあたしが出張る必要はないわ」
俺が指摘するもルージュは飄々とした態度で流した。
貴族の相手は貴族にしてもらうのが一番だと言わんばかり。
事実だが、俺の行動を見透かされているようで少しだけ腹が立った。
「にしてもトリスタン、もうちょっとマシな対応はできないのか?」
「それは私も思いました! トリスタン先輩ってば、助けにきてくれたのに何の役に立たないんでもん!」
「ちょ、役に立たないは酷くない?」
「事実ですから」
パレットのハッキリとした物言いにトリスタンが項垂れる。
「しょうがないじゃないですか! 相手は貴族の方ですよ!? それも伯爵!」
「ここにいるのも貴族だが?」
「ジルクさんはジルクさんですから」
ホンフリート家とかいう貴族には弱気になり、ルーレン家の長男である俺にはこのような舐めた態度をとる。小心者なのか度胸があるのかないのかサッパリわからない。
「トリスタンさん、一応注意しておきますが爵位が高い方だけが、大きな影響力を持っているわけじゃないんですよ」
「え? そうなんですか?」
どうやら先ほどの貴族と同じく無知なだけだった。
細かく説明するのも面倒なので、こういった説明はサーシャに任せておく。
彼女は面倒見がいいのでこういった細かい説明もやってくれるだろう。
「パレット。さっきの男は名乗っていたか?」
「ベイリーって名乗ってました!」
パレットがビシッと手を挙げ、生き生きとした表情で教えてくれた。
どうやらパレットには自慢するために名乗っていたようだ。
「ホンフリート家の五男ね。親の七光りであまりいい噂は聞かないわ」
「よく覚えているな」
もしかして、ルージュは王国にいる貴族すべての名前を把握しているんじゃないだろうか。
「家格だけはそれなりだから」
なんて疑うとルージュは肩をすくめて答えた。
どうやら商売で関係のありそうな貴族の家系は記憶しているらしい。
興味のない奴の名前までよく覚えられるものだ。
「ホンフリート家からクーラーの発注依頼はあったか?」
「あるわね。大型が五個に中型が三個、小型が七個ね」
「取り消せ」
うちの工房に乗り込んで迷惑行為をする連中に作ってやる魔道具はない。
「さすがに取り消しまですると面倒事になるし、抗議文と納品の後回しくらいが妥当じゃないかしら?」
「……仕方ない。それでいい」
気持ち的には今後一切の取り引きをお断りしたいところだが、そこまで深刻な迷惑行為をされたわけではない。
事を大きくしてこじれる方が面倒だ。ルージュの提案が落としどころだな。




