独身貴族は流し素麺を堪能する
「素麺よし、麺つゆよし、薬味よし……」
ザルの中には茹でられた素麺があり、ガラス製のグラスの中には冷えた麺つゆが入っている。水流桶の中心の薬味スペースには、刻んだショウガとネギが入っていた。
水中桶に三リットルほどの水を投入し、スイッチを稼働させると、桶の中で水流が生まれた。
モーターは使っておらず、魔石の力で動いているのでモーター音は響かない。
実に自然な水の流れる音が響き渡る。これだけでなんだか涼やかな気分になれた。
冷凍庫から取り出した氷をカップの中に入れる。
後はプロペラの収まった回転台の中に素麺を投入。
最後に支柱にあるスイッチを押すと、無魔石が稼働してゆっくりとプロペラが動き出す。
水流桶で流れる水が、魔石の力で給水パイプを登って氷カップの中で噴き出した。
カップの底には穴が空いており、氷で冷やされた水が回転台へと落ちていく。
プロペラと水の力で押し出された素麺はするりと流れた。
「おおっ!」
透明なスライダーを流れる素麺と水を見ているだけで不思議と胸が高鳴った。
水の流れに乗って素麺がシュルシュルと移動していく。
そっと箸を伸ばして素麺をすくい上げ、つゆの入ったグラスに浸してすする。
「……美味いっ!」
するりと喉の奥を通っていく爽快感。
暑さで参っていた身体でも、あっさりとした素麺ならば余裕で食べられる。
水が氷で冷やされているお陰で、素麺はとても冷たくて気持ちが良かった。
そして、何より麺の質が良い。
口あたりは滑らかなのにコシが強く、茹でても全く伸びた様子がない。
きっと厳選された小麦粉と清らかな水、不純物の少ない塩で生成されているのだろう。
舌ざわりもとても良く、ほんのりとした小麦の味が感じられた。
これだけ細く生成しながら、これだけの上品さと気品を感じさせるのは、熟練の製造者が手間暇かけたお陰だろう。
明らかに高級品だ。こんなものをあれだけ送ってもらえるのは、ホムラの家はそれなりにいい家のような気がするな。
まあ、あいつがどんな家に生まれていようが俺には関係ないことだ。
今はこの素麺を味わうことを優先する。
一つ目の素麺を食べ終わると、プロペラがゆっくりと回転して次の素麺を押し流した。
スライダーを素麺が流れる。
下の方まで流れるのを観察し、流水桶に到達するギリギリの場所でキャッチ。
つゆの中にネギとショウガを入れて、一緒に楽しむ。
ネギの風味とショウガの風味がつゆととても合う。
繊細な麺がちゅるりと喉へと消えていく。これぞ夏の素麺。
ただ麺を流して食べているだけなのに、普通に食べるよりも美味しく感じるのは何故だろうな。
二口目の素麺を食べている間に、三つ目の素麺が流れる。
食べている最中なので今度はそれを眺めるだけですくいはしない。
食べている最中なのに慌てて呑み込んで、次の素麺を食べるなんて麺に失礼だからな。
落下し、流された先にたどり着くのは、延々と流れる流水桶。素麺が流水桶の中でぐるぐると回る。
細い麺が桶の中で回っている姿は、まるで小さな魚の群れが泳いでいるようで優美だ。
ただ水の中で麺が流れているだけなのに涼しさを感じる。
桶で流れる麺を眺めていると、また次の素麺がスライダーを滑って桶とは加わった。
流水桶の中であっという間に麺が増えていく。
そんな時は桶の中に箸を立ててやると、勝手に麺が絡みついてくるので、つゆに浸していただく。
流水桶の麺がなくなった頃には、ちょうど回転台の麺がなくなっていたので補充してやる。
そして、プロペラが回転し、また一つの素麺が流れた。
スライダーの途中でキャッチしてやり、つゆに浸して食べる。
「一人でも流し素麺は楽しめるな」
これなら誰かに麺を流してもらうなどという面倒な手順は必要ない。
一人で流して、ゆっくりと流し素麺を堪能することができる。
完璧だ。これぞ大人の流し素麺。
また一つ、素晴らしい魔道具を作ってしまったようだ。
そういえば、ホムラのやつも独身だと言っていたな。
一人で大量の素麺を消費するのも大変だろう。
材料と時間も余っていることだし、もう一台くらい作ってやるとするか。
●
「おや、一日に二度も顔を出すなんて珍しいね?」
遅めの昼食を食べ終わり、気温が涼しくなった夕方。またしても俺はホムラの店にやってきていた。
「いい素麺をくれた礼にこれを渡そうと思ってな」
マジックバッグから取り出した流し素麺機を見て、ホムラが首を傾げる。
「なんだいこれは?」
「流し素麺機だ」
「流し素麺機?」
首を傾げている様子を見ると、極東には素麺を流す文化がないようだ。
「素麺を流して食べるんだ」
「ごめん。意味がわからない。どうして素麺を流すんだい?」
そんなもの俺に聞かれてもわからない。
前世での起源は野良仕事の際に野外で素麺を茹でて、竹と冷水を利用して涼を得た光景から思いついたものと言われている。
その後は企業が清涼感を味合わせるために商業的な戦略として広めたものだ。
どうしてやるのかと言われても深い理由などない。
「その方が風情があって楽しいからだ」
強いて言うならばこの一言以外にないだろう。
そう告げると、ホムラは俺の顔を見て笑った。
「人の顔を見て笑うとは失礼な奴だ」
「……ごめんよ。君がそんなことを言うなんて思わなくて」
ホムラの中で俺のイメージがどんなものかは知らないが、どうも彼の中ではツボに入ったらしい。実に楽しげに笑っていた。
「とりあえず、その流し素麺というのを見せてくれるかい?君の言う流し素麺がどんなものか気になるから」
ひとしきり笑って落ち着くと、ホムラは目じりに浮かんだ涙を拭いながら言った。
「わかった。そこのテーブルを借りていいか?」
「いや、そこはカウンターだから僕の私室で広げよう」
ふらりと奥に移動するホムラの後ろを付いて行く。
清酒が保管されている冷蔵室よりもさらに奥に進むと、障子がついていた。
「ああ、靴はここで脱いでくれるかい? 土足は厳禁だからね」
大理石の段差があるのでそこで靴を脱いで中に入る。
ホムラが障子を開けて中に入ると、そこには畳の敷かれた見事な和室が広がっていた。
「下に敷いてあるのは極東にある畳といってね。好きに寛いでくれて構わないよ」
「ああ」
とりあえず、流し素麺機を畳みの上に置いて座布団の上で寛ぐ。
祖父母の家で嗅いだような懐かしい匂いだ。
前世で大人になってからは、帰省することがなかったので随分と久しぶりに嗅いだな。
別に祖父母が嫌いだってわけではないが、顔を出すと結婚しろと言われたり、見合いを勧めてくるので自然と足が遠のいていた。
中央には長方形の火鉢が設置されており、急須や湯飲みが置いてあった。
いつの時代の人間かと突っ込みたくなるが、これが極東の文化なのだろう。
「ほうじ茶と緑茶というのがあるんだけど、どっちがいい?」
「緑茶で頼む」
使い方を説明したらすぐに帰るつもりだったが、緑茶が飲めるのであれば帰るのは勿体ない。
ホムラが着火用の魔道具で炭に火をつける。
赤熱した炭を火箸で持ち上げて、五徳の中へと入れた。
片方の五徳には水の入った薬缶を、もう片方の五徳には水がたっぷりと入った鍋を置いた。
お茶と素麺を茹でるためのお湯を同時に用意しているのだろう。
お湯が沸き上がる間にホムラは台所に移動してネギやショウガを刻み始めた。
特に何をするでもなく俺はボーっと火鉢を見つめていた。
しばらくすると、お湯が沸き上がる音がする。
その頃にはホムラも薬味の用意が終わり、薬缶のお湯を茶器へと注いだ。
お茶の葉をスプーンで取り出し、二杯ほど急須の中に入れる。
程なくして茶器で冷ましたお湯を急須の中に入れ、蓋をした。
二分ほど待つと、急須を手にして茶器へと注いでいく。
淡い透明感のある黄色い液体が注がれ、芳醇な茶葉の香りが漂った。
きちんと濃さが同じになるように少量ずつ注いでくれている。
和室に火鉢に緑茶。どこまでも郷愁感を漂わせるような組み合わせだ。
「雅な生活をしているな」
「君にもこの良さがわかるようだね」
緑茶を注いでいるホムラが嬉しそうに笑った。
俺も前世では、古民家などに住んでこういった暮らしに憧れていたが、結局は都会の便利さに馴染んでしまって、実現には至らなかったな。
こうやってホムラの生活を見ていると、こんな生活も悪くないと思う。
「どうぞ」
最後の一滴まで残さずに入れると、ホムラが丁寧に茶器を差し出した。
茶器を手にして緑茶の香りを堪能。それからゆっくりと口をつけた。
舌の上でトロリと転がり、まろやかな甘みと強い旨みを感じた。
雑味がなくスッキリとしているため実に飲みやすい。
一般的な緑茶とは違ってズズッと飲むようなものではなく、高級ワインのようにチビチビと味わうようなタイプだ。
前世であった玉露のような味に似ている。
「質のいい茶葉だな」
「わかるかい? まあ、僕はこれ以外あんまり飲まないから細かいところはわからないんだけどね」
緑茶を飲みながらあっさりと言い放つホムラ。
上質な素麺といい、この茶葉といい、やっぱり上流階級なのだろうな。
他の極東人を見たことはないが漂う気品や仕草が、王国貴族のような風格を醸し出していた。
「さてさて、素麺も茹でないと」
一口緑茶を飲んだホムラが、沸騰したお湯に素麺を投入した。やがて素麺が茹で上がり、ホムラがつゆの準備をする。
「君も食べるかい?」
「いや、俺はいらない。昼に食べたからな」
さすがに昼に続いて夜も素麺を食べる気にはならない。
断るとホムラは一人分だけを用意し、流し素麺機を設置するための簡易テーブルを広げた。
さすがに火鉢の上には置けないからな。
「それでどうやって楽しむんだい?」
そわそわとしながら尋ねてくるホムラに俺は、流し素麺機の使い方を教えてやる。
冷凍庫から取り出した氷を回転台に入れ、流水桶を水で満たしてやる。
そして、スイッチを押すと流水桶で水が流れはじめ、プロペラが回り出した。
一口分の素麺が押し出され、スライダー滑っていく。
「わっ、すごい! 素麺が流れた!」
「見ればわかる」
初めての流し素麺を目にして、ホムラは驚いていた。
スライダーを流れる麺をホムラは箸ですくいはせず、そのまま麺は桶へと流れた。
「へー、下までたどり着くと、ここで流れるんだ」
「桶の麺をすくってもいいが、スライダーを流れるのを箸ですくうのが趣旨だからな?」
「わかったよ」
頷くと、次の麺が回転台から落ちた。スルスルとスライダーから麺が流れていく。
「ここだ!」
ホムラはサッと箸を差し出して流れる麺をすくう。
しかし、受け止めることができたのはたったの二本だった。
こいつ、極東人の癖に箸を使うのが下手なのだろうか。
「……今のは練習さ」
ホムラは咳払いすると、二本の素麺をグラスに入れて無かったことのようにした。
プロペラが回転し、二つ目の素麺が落ちてくる。
見計らうかのように目で追いかけると、ホムラは今度こそ箸ですくった。
そして、それをつゆに浸してちゅるりとすすった。
「食べ飽きたはずの素麺が新鮮に感じる! これが君に言っていた風情なんだね?」
「そういうことだ」
ただ水と一緒に流すだけなのに不思議と楽しく、より涼しく感じることができる。
それが流し素麺だ。




