独身貴族は素麺を買う
新人の雇用試験で明け方まで付き合わされた翌日。
太陽が中天に差し掛かる少し前に目を覚ました。
睡眠時間がいつもより少ないせいで少しだけ眠いが、ここでさらに眠ってしまうと夜に眠れなくなりそうだ。
そんなわけでやや眠気はあるものの思い切って起きることにした。
昨日は長時間労働した上に、明け方まで工房にいた。
伝言板には休暇をとると記してあるが、さすがに文句を言われることはないだろう。
今日の分のノルマは昨日のうちにこなしているしな。
ベッドから起き上がって洗面台で顔を洗うと、眠気はすっきりと弾け飛んだ。
寝癖を整え、私服に着替える。
いつもなら朝食を食べるところだが、朝食というにはかなり遅かった。
ブランチにしてもいいが、いつも通り家で作るのも味気ない。
こういった休暇の日には王都の外に出て、キャンプなどのアウトドアをしているが、遅くに起きてしまった以上、今から行く気にもなれない。
しかし、ここ最近はずっと工房や自宅に籠って作業をしていた。
家でゆっくりとするよりかは、リフレッシュしたい気持ちだった。
「……少し出るか」
気分転換を行うことに決めた俺は、シャツの上にテーラードジャケットを羽織って外に出ることにした。アパートの外に出ると、厳しい日光が降り注ぐ。
起きたばかりであまり光に慣れていないせいか、いつもよりも眩しく感じた。
それでも歩いていると目が光に慣れてくる。
特に行く場所を決めていない散歩。
しかし、人混みを避けて移動しているうちに自然と、北西区画へと足を進めていることに気付いた。
ゆっくりと道具屋商店街を眺めるのも悪くない。
自然とできた目的を果たすために道具屋商店街へと進む。
道具屋商店街は夏でも活気が失われることはない。
あちこちで商人や職人の丁稚らしき者たちが駆け回っていた。
厳しい日差しが照り付けようが文句を言うことなく、黙々といつも通りの仕事をまっとうしている職人の姿は見ているだけで気持ちがいい。
店先には職人たちの魂の籠った作品が陳列されている。
周囲を眺めながら歩いているだけで退屈しないな。
そんな風に歩いていると、ふと目の前でパシャリと水が弾けた。
咄嗟に足を引っ込めたが靴先に少しだけ水がかかった。
「すみません!」
猛暑に耐えかねて打ち水をしていたのだろう。
丁稚の少年は深く頭を下げて謝っていた。
不意に現実に戻されてイラっとしたが、丁稚の少年も深く反省している様子だ。幸いにして今日履いている靴は動きやすさを重視したもので水に濡れても問題はない。
「気をつけてくれ」
「は、はい」
まったく怒っておらず、軽く注意しただけなのに丁稚は涙目になってしまった。
自分に愛想が悪いのは自覚していたが少しだけショックだ。
これ以上かける言葉も見つからないのですぐにその場を立ち去った。
そのまま真っすぐに進んでいくと、以前やってきた包丁屋が目に入った。
前に包丁を研いでもらってから、それなりに時間が経過しているな。
外で使う包丁の切れ味が気になっていたので、研いでもらうことにしよう。
店の中に入ると、無愛想な男性はせっせと包丁を研いでいた。
「……お前か」
「覚えているのか」
三か月ほど前に一度やってきて包丁を研いでもらっただけなので、覚えてもらっているとは思わなかった。
「料理人でもないのにジーッと包丁を見るのはお前くらいだ」
「そうか」
「で、研ぐのか?」
「ああ、二本頼みたい」
マジックバッグから家庭用の包丁が収まったホルスターを取り出して渡す。
「……これなら時間はかからん。が、他の包丁が先だ。適当に時間を潰してからまた来い」
「わかった」
やはり腕がいいだけあって大勢の客がいるのだろう。
どちらにせよ今日はこの辺りをブラついて過ごすつもりだった。多少時間がかかろうが特に問題はない。
包丁を職人に預けると、そのまま店を出て商店街を練り歩く。
手頃な食器店に入ってみると、大量のスプーンやフォークが並んでいた。
同じ大きさのものではなく、子供用から大人用まで様々なサイズのものがズラリと並んでいる。自分の手に馴染むサイズのものを選べということだろう。
スプーンの持ち手の長さや角度、それに深さ。
フォークは三股だけでなく、四股、五股のものもあって様々だ。
さらに木製、銀、ホーローなどと様々な材質のものまであり、ただの食器とは侮れないような豊富さだな。
『いい靴はその人を素敵な場所へ連れていってくれる』という有名な言葉があるが、食器もきっと同じなのだろう。
『いい食器は、その人を素敵な食事へと誘ってくれる』
店主や職人のそんな想いが見ているだけで伝わるようだ。
そういえば、アウトドアで使っているスプーンとナイフの口当たりが何となく気になる気がする。
どうせ時間はあるのだし、じっくりと探してみることにしよう。
●
「ありがとうございました!」
店主に見送られて食器店を出る。
スプーンだけのつもりが、つい熱が入ってフォークやナイフまで買ってしまった。
だが、自分の手にしっくりくるものが見つかったので悔いはない。
家や外で食事をする時の楽しみが増えたので満足だ。
「さすがは道具屋商店街。他の区画とはレベルが違うな」
買い上げたものをマジックバッグに収納して再び歩き出す。
「そういえば、清酒がなくなりそうだったな」
暑い気温が多いせいか、ここ最近はキリッと冷えた清酒を呑むことが多かった。
そろそろ無くなってしまいそうなので買い足すことにしよう。
大通りから三つほど離れた小さな通りにやってくると、木造式の建物が多く並んでいる。
小さな個人店の多くは暑さのせいか閉めているところばかりだった。
日陰では野良犬が涼をとって眠っていた。
喧騒が途端になくなりのほほんとした空気が漂うこの辺りは嫌いじゃない。
小さな通りを進んでいると、店の前で打ち水をしているホムラの後ろ姿が見えた。
店の前までやってくると、ホムラはこちらに振り返る。
何となく嫌な予感がした俺は少し大回りをした。
すると、振り返ったホムラがさっきまで俺のいた場所に水をまいた。
「ああ、ごめん――ちっ……」
俺が濡れていないとわかると舌打ちするホムラ。
「やっぱり、わざとだな?」
「うん」
誤魔化すかと思いきや、素直に頷いたので怒る。
「おい」
「いや、そんなに怒らないでよ。この時期の極東人の挨拶みたいなものだから」
打ち水をしていると見せかけて、客に水をかけるのが極東人の挨拶なのか?
確かめようにもホムラ以外の極東人を俺は知らないので確かめる術がない。
つまり、煙に巻かれたというわけだ。少し腹立たしい。
「それにしてもよくかけてくるってわかったね? 挙動には違和感がなかったと自負しているんだけど?」
「商店街の丁稚に靴先を濡らされたからな。打ち水には警戒していた」
「くそー、僕よりも前に被害に遭って警戒心が植えつけられていたかぁ」
訳を話すと心底残念そうにするホムラ。
まさか遠くからやってきた俺にいち早く気付いての芝居だったとはな。
「なんだい? そんなにまじまじ僕を見つめて?」
「いや、見事な芝居だと思ってな。こちらに気付いたような挙動や不自然な素振りは一切なかった」
「……昔からこういう悪戯は得意だったからね」
「おい、極東人の挨拶じゃなかったのか?」
「お茶目な挨拶なんだよ」
思わず突っ込むがホムラは飄々とした顔でそんなことを言う。
これ以上突いても極東式の挨拶の真偽はわからないな。
「というか、お前にはクーラーの試作品を渡しただろう。打ち水をする意味があるのか?」
「外からやってくるお客さんや、ご近所さんが涼しく過ごせるようにだよ」
客や近隣の住人などそう頻繁に前を通るわけでもない。
随分と効率が悪く曖昧なことをしているものだ。
ホムラは残った水を通りに撒くと、桶と柄杓を玄関に置いて暖簾をくぐった。
店内に入ると、クーラーが稼働しているお陰で涼しい。
店の奥に設置しているようだが、風通しがいいために入り口にも涼風が届いているようだ。
「君に貰ったクーラーのお陰で快適に過ごさせてもらっているよ。昨日から販売が始まって大人気だってね? 本当にいいものを貰っちゃったな」
「あくまで試作品な上に実験データも貰っているからな」
「それでも五百万円もする魔道具だからね。せめてもの恩返しに極東から届いた食材をお裾分けするよ」
そう言ってホムラは奥から大量の木箱を運んできた。
蓋を開けると、そこにはぎっしりと乾麺らしきものが入っている。
「これは?」
「素麺という乾麺さ。サッと麺を茹でて醤油ベースで配合した麺つゆっていうソースに浸して食べるのさ」
完全に前世と同じ素麺だな。麺の細さといい食べ方といいそれ以外たとえようがない。
蒸し暑くて食欲が落ちてしまうこの季節。
冷たい素麺であれば、スルリと食べられて美味しいだろうな。
「薬味にネギやショウガなんかも入れたら美味そうだ」
「……何度も聞いて悪いけど、君は本当に極東人じゃないのかい?」
「違うな。なんとなく、そうすれば美味しそうだと思っただけだ」
やはり、極東でもそうやって食べるのが一般的なようだ。
「貰っていいのか?」
「ああ、是非貰ってくれると嬉しいよ。なんなら三箱くらい貰ってくれると助かるかな」
そう言いながら続々と素麺の入った箱を取り出してくるホムラ。
チラッと奥を見れば、同じような箱がいくつも積み上がっているのが見えた。
「一体どれだけ買い込んだんだ」
「買い込んだというより祖母が送ってきてね。気持ちは嬉しいんだけど食べ切れないよ」
どこの世界でも家族がお節介を焼きたがるのは共通らしい。
「家族で食べればいいじゃないか」
「生憎と僕は独り身でね」
どうやらホムラはこちらに家族がいないようだ。
その上独身となれば、これだけの量を消費するのも大変だろう。
「そうか。なら、遠慮なく頂こう」
「君はマジックバッグを持っていたね? 五箱くらいどうだい?」
「三箱でいい」
消費期限という概念がないマジックバッグを持っていようとも、さすがにこれだけの麺を抱える気にはなれなかった。
三箱をマジックバッグと、ホムラが持ってきてくれた麺つゆを収納する。
念のために細かい作り方を尋ねてみると、前世の素麺と何ら変わらないものだった。
これなら家で作って食べることができるだろう。
「ところで、オススメの夏酒はあるか?」
細麺と麺つゆを貰えたのは思わぬ収穫であったが、本命の目的も忘れてはいけない。
俺はホムラのオススメの夏酒を二本買い込むのであった。




