88.雑談
「ああ。全ての人が納得するなんてあり得ないだろう。あったとしたら洗脳に近い事でもされたのかと疑うべきだな」
夜になり、女王は王配に悩みを打ち明けていた。
「分かっているけど、私は王様だから国民全員が暮らしやすいようにしたいのよ」
二人は寝室の長椅子にくっついて腰掛けており、王配は女王の肩に腕を回していた。
「例えば?」
「え?」
このように返されるとは思っていなかったので、女王は目を丸くして驚いた。
「暮らしやすいってなんだ?」
王配は女王が思ったより良い反応を示したので、思わず笑顔になって聞き返した。
「……そうねぇ、ご飯があって、雨風凌げる家があって、着る物にも困らない……かしら?」
「衣食住か。ならもう解決してないか?」
食べ物は少ないながらまだ配給が行われているし、住居もあるし、衣類も各国、主にモコシュ大公国から格安で届けられている。
「後は娯楽……?」
「すでに楽団と劇団がいるだろう?なんだ?まさか賭博場でも考えているのか?」
「それは流石に……」
女王は王女時代に読んだ小説に賭博で身ぐるみ剥がされた人がいたのを思い出していた。
そんな人が出たら恐ろしいとも思ったようだ。
「んー、まぁ、分からなくもない。もう一段階上を目指したいんだろ?」
「ええそう。そうなの」
女王は他の国に訪問した経験はないが、聞く話によると、どの国もケレース王国よりも発展しているそうだ。
十年間も国を閉ざしていたのだから当然といえば当然なのだが、たった十年でこんなに世界が変わるのかと驚いた。
人にとっての十年は長いが、文化や文明での十年はあっという間ではないだろうか。
なのでこれほど変化があるとは思わなかったのだ。
「まだ早いんじゃないのか?」
「……そうかしら?」
女王は出来れば国民にはもっといい暮らしをして欲しいと思っていた。
「身の丈にあった贅沢でないと身を滅ぼす、だろう?」
王配は口角を上げてニヤリと笑った。
そんな彼の顔を見て、女王はハッとした表情になった。
「私ったら、自分で言ったことを忘れていたなんて。恥ずかしいわね」
女王が生存公表したときの言葉にあったのだ。
際限なく贅沢をし、国民を苦しめた前王への言葉と、自身らへの戒めでもあった。
「エレオノーラは考えすぎなんだよ。何も考えずにボーッとしてみよう」
王配は目を細め笑顔で言った。
女王は王配の笑顔につられて微笑み返した。
「ふふっ、ボーッとするのね。よし、やってみるわね」
「目も閉じてみるんだ」
「ええ」
女王は深呼吸した後に目を閉じて何も考えないように、頭を空っぽにしようとした。
自身の呼吸にだけ意識を向けた。
女王が数回呼吸をした時、隣から王配の体温が消え、何かが彼女の唇に触れた。
「!」
慌てて目を開けると、目の前に王配の顔があった。
彼は悪戯に成功した子どものような顔をしている。
「なっ、何するの……!」
女王は慌てて逃げようとしたが、目の前に王配がいるし後ろには背もたれがあるので動けない。
横に行こうにも、いつの間にか王配の手が背もたれへ伸びているので不可能だ。
「口吸いだな」
「今じゃなくてもいいでしょう?」
女王は自分の顔が熱くなっているのが分かった。
「あまりに可愛らしかったから、ついな」
「私は真剣なのに……」
王配はクククと笑いながら女王の正面から横に移動し、長椅子に座り直した。
「俺だって真剣に口吸いしたいんだけどな」
「はぁ……」
王配はまったく悪びれる様子がないので、女王はため息をついた。
「もっとしても良いだろうか?」
「断ってもするのでしょう?」
「当然だ」
「はぁ……」
王配が爽やかな笑顔で答えるので、女王はもう一度ため息をついた。
「何度もため息を吐かないでくれると助かる」
「毎日しているのに」
女王は思い出すだけで顔が熱を帯びてしまうようだ。
「俺からしたらまだ足りないんだ。いつでも、どこでも触れあいたいと思っているからな」
「……そう考えると、寝室だけだから我慢しているのね」
もしかしたら食堂にいる時や執務室にやって来た時や、廊下ですれ違った時も触れあいたいと思っているのだろうかと女王は考えた。
笑顔の下にはどんな欲望が隠されているのか分からないのだ。
王配を信用しきっているので、笑顔の裏や下はあまり考えていなかった。
「偉いだろう」
「そうね。偉いわね。偉い偉い」
女王は王配のゴツゴツした手を撫でた。
「もう少し感情を込めてくれ。でないと泣きそうだ」
「泣きたい時は沢山泣いた方がすっきりすると思うわ」
「ん、では今から泣くから胸を貸してくれ」
王配の顔は真剣そのものだった。
どうやら冗談ではないようだ。
「え、ハンカチではなく胸なの?」
「そうだ。胸だ」
「ハンカチの方がいいわよ」
「いや、胸でなければいけないんだ」
王配はじりじりと女王の胸に顔を近づけている。
「……私だけだと不公平じゃないかしら?」
「ということは、エレオノーラも俺の胸で泣きたいのか?」
「物は試しね」
「いつでも胸を貸そう」
「なんだかリキシみたいね」
「ん?リキシ?東の島国の何かか?」
女王が言う不思議な言葉は大体がそうだ。
「そうよ。体がとても大きいそうよ。武器を使わずに戦うのよ。拳も駄目なんですって」
「大きいのか。それで、拳を使わないとなると柔道みたいなものか?」
王配は自分も大きい方だが、自分よりも大きいのだろうかと考えた。
「寝技はないみたいよ。なんでも、足の裏以外が地面についたら負けなんですって」
「足の甲も駄目なのか」
「髪の毛もいけないんですって。ちなみにマゲって言う伝統的な髪型をするそうよ」
「チョンマゲか?確か結うという言葉を使っていたから、髪は長いんだろうな。……それで胸で泣くのはどうするんだ?」
「うーん、流されてくれなかったわね。流石ねアレクセイ」
「ふふふ、当然だろう。俺だからな」
「アレクセイだものね。ふぅ、明日も早いからもう寝ましょうか」
王配は返事をすると同時に、女王を優しく抱きかかえ寝台に向かった。
「う……んんっ」
女王が朝目覚めると、目の前に王配の大胸筋があった。
「!」
それも何故かはだけている。
寝返りを打ったからはだけたのだろうかと思ったが、それにしては肌が見えすぎなので、筋肉を見せつけていると考えていいだろう。
ということは、王配は寝たふりをしているのだろう。
「……アレクセイ、起きているでしょう」
女王が視線を大胸筋から王配の顔に移すと、彼の深い色の目が見えた。
「バレたか。もう少し凝視したり撫でてくれてもいいのになぁ」
「しっしないわよ。……それってもしかして私が寝ている時にやっているの?」
「バレたか」
王配は照れた笑顔を見せた。
「凝視はともかく、撫でられても気付かないって……。私大丈夫かしら?」
女王は王配の行為を咎めるより、自身の鈍さが心配になってしまった。
「一応、くすぐったがってはいるようだ」
王配は女王の顔にかかった金色の髪を払った。
「もう……恥ずかしいからやめて欲しいわ」
「可愛いのに」
王配は昨晩のように悪びれる様子もなく笑った。
「いや、美しいのだが……可愛いんだ」
「?よく分からないけど、アレクセイが言うのならそうなのね」
「エレオノーラは俺のことをどう思う?」
女王はなんと答えたら正解なのか考えた。
「か、かっこいいと思うわ」
女王は考えてもよく分からなかったので、王配から言われた言葉を同じように返すようにした。
ただ、可愛いと美しいだと女性に向けた言葉である場合が多いので相応しくないと思い、かっこいいを選択した。
「後は頼りになるし、優しいし、温かいし、…………」
「他は何かあるのか?」
王配はワクワクしている。
子どもがおやつを待っている時の表情になっていた。
「もう少し触れてみたいと思うわ」
「!!」
王配は驚いた表情になった。
「遠慮せずに、どんどん触れてくれていいんだぞ?」
「えっと、じゃあ撫でればいいのよね」
「別にガッツリと触ってくれて構わない」
「じゃあ、さっきから見せつけている大胸筋をガッツリといくわね」
「どんとこい」
女王はガッツリと言ったのに、実際は手をピタッと王配の大胸筋につけただけだった。
「まさか、それでおしまいか?」
「え?ああ、じゃあ抱擁を」
女王はより近づき腕を伸ばして王配に抱きついた。
王配の太い首に腕を絡めてみた。
「はぁ、素晴らしい」
「上手く出来たかしら?」
女王は上手く抱きつけたのを誉められたのだと思った。
「素晴らしいと言ったのは、エレオノーラが進んで俺に抱きついて来てくれたのに関してだ」
王配は訂正しながら、女王の腰に腕を回した。
「今までもしてきたと思うわ」
「その時は大体俺からも抱きついている」
「……そうだったかしら?」
女王は言われてみればそうかもしれないと思った。
「俺のどこでも触れあいたいという気持ちは分かってくれたか?」
「私は羞恥心があるから、どこでもっていうのは分からないわ」
つい人の目を気にしてしまうのだ。
「そうか……。はぁ、抱きしめ合いながらする会話じゃないな」
「そうなの?どんな話をするの?」
「愛を語り合うんだ」
「ハニー、愛してるわ。ハニー、今日も素敵ね」
「うん。心がこもっていない気がするが、慣れていないだけだな。そうだなきっと」
王配の目つきが悪くなったので、女王は心をこめて言い直した。
「アレクセイ、愛しているわ」
「俺の美しい女神……」
「前から思っていたのだけど、私は人間よ?神様じゃないわ」
女王には王配と出会ってすぐにも女神と言われた記憶がある。
「比喩だ」
「ハニーって呼ぶのも比喩ね。愛する人は名前を直接呼ぶのではなく比喩で呼ぶのね」
「あ、うん」
「アリョーシャと愛称で呼ぶのもいいけど、アレクセイを表現する何かがあるといいわね」
「何かいいのはあるか?」
「髪の色から夜空と思ったのだけど、それはもう前にも言ったしあんまり甘くないわね」
「私の素敵な夜空ちゃん、じゃ駄目なのか?」
「え、変よ。そうねぇ……、黒いワカムシャはどうかしら?」
女王は自分で甘い物をと言ったのに、言った側から忘れているようだ。
これは王配から甘い物が想像出来なかったのも大きいだろう。
「却下だ」
王配が真顔で言うので、女王はがっかりした表情を見せた。




