7.蓄音機
サブタイトルは蓄音機ですが、子狼の話から始まります。
獣医達は子狼に狩りを教えようと四苦八苦していた。
何とか釣り竿もどきの先につけた肉片に興味を抱いたのは良かったのだが、やはり玩具だと思っているようで前足で押さえ込んでも食べようとしなかった。
「それは玩具じゃないぞー」
若い獣医が笑いながら言った。
食べないのなら猫じゃらしならぬ、狼じゃらしを作ればいいのではないかと思えてきた。
「お腹は空いていると思うんだがなぁ…」
獣医は腕組みをして首を傾げた。
「あっ、厩舎にいる猫の狩りを見せてみたら変わるかもしれませんよ!」
いつの間にか住み着いていた猫だ。
この猫は馬の餌を食べてしまう鼠を退治してくれるので、そのまま住まわせている。
「ちょうど鼠もいるしな」
あれ以来、鼠を飼育している。
いつもなら駆除するのに、何故餌をやらねばならないのかと思っていた。
「早速、捕まえて来ますね!」
若い獣医は張り切っている。
「怪我しないようにな」
獣医は張り切る若者を見送った。
眠たいらしい子狼の様子を見ていたら、若い獣医は思っていたより早く帰って来た。
なかなか手強い相手だと思っていたのに、上手く捕まえられたようだ。
若い獣医に捉えられた猫はかなり機嫌が悪そうだった。
現に袋の中で暴れまくって袋の形が次々に変化している。
「痛っ!こら、脇腹を蹴るな!ただいま戻りました。寝ているところを捕まえました!」
「まずはおやつをあげて機嫌をとろう」
猫の顔だけを袋から出し、おやつを与えた。
たまに体調を診たりしていたので、思ったより反抗的ではないが、恨めしそうに睨みつけてきている。
寝ていた所を無理矢理連れてこられて不機嫌なようだ。
「なんちゅう顔してるんだ…」
「あの、思ったのですが、女王陛下に猫がいるのを教えたらお喜びになるのではないですか?」
猫は貰える物は貰う主義らしく、ムシャムシャとおやつを食べている。
「多分だが、女王陛下は猫アレルギーなんじゃないかと思う。前に厩舎にいらした時に何回かくしゃみをしてらしたんだ。馬アレルギーなのかと思ったが、乗馬している時はくしゃみをしてらっしゃらなかったんだよ」
「おおぅ、猫がいると知ってお喜びになってもアレルギーで近寄れないとなると…」
「まだそうだと決まったわけじゃないが、悲しそうなお顔をなさるのは見たくないよなぁ…」
二人はため息をついた。
「ワゥッ!」
子狼がうたた寝から寝覚めたようだ。
猫は子狼の吠え声に驚いたのか、また暴れ出した。
「いててっ!」
「もう自由にしていいんじゃないか?」
「部屋を荒らされませんか?」
「その時はその時で」
獣医は若い獣医が猫に攻撃され続けるのを気の毒に思ったので、猫を部屋に放つことにした。
獣医は苦笑いをし、それを見た若い獣医もつられて苦笑いをしながら猫を袋から出した。
猫は一目散に机の陰に隠れ、子狼から逃げた。
「あんなに大きな馬達と一緒にいるのに、自分と大して変わらない大きさの生き物に怯えるのか?」
「見た事のない生き物に怯えているんでしょうかね?」
猫はちらりと顔を出して周囲、主に子狼の様子を伺っている。
相変わらず目つきは悪い。
「あ…」
子狼が猫がいる机に歩いて行った。
子狼の歩きに効果音を付けるとしたら、ぽてぽてだろうか。
何の迫力もない。
それでも猫は強ばった顔つきになった。
「ワゥッ!」
子狼は遊ぼうと言っているのか、とても嬉しそうに猫の前に姿を見せた。
自分と同じくらいの大きさの生き物を見つけて嬉しいのだと思う。
対する猫はこっちに来るなと威嚇している。
「フシャーッ!」
毛を逆立てた猫は子狼を先ほどよりも悪い目つきで睨みつけている。
「ハッハッハッ」
子狼は決して怯むことなく猫に遊んで欲しそうにしている。
「大丈夫ですかね?」
「多分…」
子狼がぴょんと猫の前に跳ぶと、猫は怒った。
「フニャーゴ!!」
猫は牙をむき出しにしている。
今にも噛みつきそうだ。
「駄目ですね…」
「…いや、待て」
子狼はごろんと転がり白いお腹を見せた。
猫に対して敵意はないと言っているのだろう。
そうすると猫の様子も大分落ち着いてきた。
少なくとも毛は逆立ていないし、牙もむき出しになっていない。
まだ警戒はしているが、怒ってはないようだ。
子狼はまだお腹を天井に向けている。
「大丈夫そうですね」
猫は子狼の匂いを嗅いでいる。
子狼は匂いを嗅がれている間じっと大人しくしていた。
「ああ、大丈夫みたいだな」
猫と子狼は遊びだした。
「二匹をもう少し慣してから、猫に狩りを見せて貰おう」
二匹は遊んではいるが、猫からしたら遊ぶのに付き合ってやるといった感じだ。
猫は狼がまだ子どもだわかったらしい。
「師匠が出来てよかったな」
若い獣医は子狼に向かって言ったが、子狼は遊ぶのに夢中だ。
「ははっ!じゃあ猫師匠、子狼を頼んだよ」
猫師匠は子狼と遊んであげている。
仕方ないなと思っているのだろう。
少し経つと猫師匠は飽きたような顔をして尻尾を左右に動かしていた。
子狼は飽きることなく尻尾に飛びかかるが、すれすれで躱される。
「上手いですねぇ。あの動きを会得すれば、私でも狩りを教えられるかも?まず、狼じゃらしを作らないと」
「釣り竿もどきは駄目だったか」
獣医達は笑った。
すると二匹が動きを止めて首を傾げた。
笑い声に反応したのかと思ったが、どうやら違うらしい。
笑うのを止めたのに首を右に左に動かしている。
「何か聞こえるのか?」
「まさか遠吠え?」
若い獣医が外に出て周囲を確認したが、それらしき音は聞こえなかった。
「別の音みたいですよ」
「今日はデザイナーの他に商人だかも来るらしいから、彼らが何か音がする物を持って来たんじゃないか?」
若い獣医は納得したらしく頷いた。
「すごい…本当に音楽が聞こえるわ…。この円盤に音楽が記録されているのね」
「そうでございますヨ」
褐色の肌に黒い髪をした中年男性が言った。
彼から香辛料の香りがした。
顔や喋り方だけでなく香りからも遠い所から来たのだと窺える。
そう、この商人は北の大陸ノーブセーラシアから来たのだ。
「サンジェイ殿、この金管楽器のベルみたいなので音を拡大しているの?」
女王は商人の名を呼び、蓄音機を覗き込きながら尋ねた。
彼女は遠い国の音楽を聞き、不思議な気分にされられていた。
「ええ、ホーンと言いますヨ」
商人のサンジェイはにっこりと笑っている。
「…俺が前に見た物となんか違うな」
王配はくるくる回る円盤を見ながら言った。
「はい、王配殿下がご覧になったのは円筒型だと思いますヨ。おそらく蝋で出来た物でしょうネ」
「蝋って蝋燭の蝋なの?」
「ええ、蝋管と言いますヨ。王配殿下がご覧になったのは何十回か聞くと摩耗して駄目になっちゃう奴でしたか?」
「そう言えばそうだったな。柔らかいから削ってまた録音してってのを何回かしたらしい」
「それはかなり初期のですネ。実は円盤型と円筒型は同時に発見されたのですけど、再現するのに円筒型の方が材料も集めやすいからと円筒型から作られましたネ。昔はもっと進歩した物があったそうですけど、再現する技術や材料がないのですヨ」
北の大陸ノーブセーラシアは遺物大陸や遺構大陸とも呼ばれている。
昔の人間が残した物が沢山発掘されるのだ。
女王が王女時代に塔内で幽閉されていた時に読んだ本の中にも、ノーブセーラシア大陸からきた本がいくつかあった。
「昔の人は凄かったのね…。遠くにいる人とも話が出来たとか…。手紙も送れたって本に書いてあったわ」
「手紙は元々送るものだろう?」
「すぐに届くんですって。あっという間なんですって」
女王は目を輝かせて前のめりになっている。
「…情緒の欠片もないな」
そんな女王に対し、王配は眉間に皺を寄せる。
「そうかしら?大切な人からの手紙はいち早く読みたいと思うわ」
「んまぁそうだが…。その話はまた今度にしよう」
「はい、天変地異さえなければ今頃はもっと便利な世界だったでしょうネ」
大昔、恐ろしい天変地異があったそうだ。
大嵐が多発したり、地形が大きく変わる地震や隆起と沈降が多発したそうだ。
大昔は北側の大陸に多くの人間が住んでいたそうなので、遺物や遺構も多く残されている。
「んー、便利なのはいいが、情報が一瞬で飛び交うのならば嘘もつき放題だな」
「ええっ?」
「敵対する国や組織、団体が不利になるように流言飛語すればいい」
「そんな事をしたら混乱が生じるじゃない」
「そこで甘い言葉を吐く奴が現れたら?綺麗な言葉だけ並べる奴がいたら、さぞかし人気が出るだろう」
「そんな考えなしに飛びつくかしら?」
「弱っている時に聞いたら、藁にも縋る気持ちで信奉するだろうな」
「心身共に弱っていたらそうなってしまうのかしら?」
「あり得なくはないさ」
王配は思った。
国内に扇動する危険性がある人物がいる。
女王が即位した際にも反乱を起こしそうな奴らはいた。
しかし連合国軍の兵士達の巡回を増やしていたし、王配の叔父であるイワンが反乱分子を見つけ次第、説得等を行っていたため反乱と呼べるほどの物は起きなかった。
今回の地震が起こりそうな状況で再び反乱が起きそうな危険性が出て来たので、将軍と相談して全領に警戒するように伝えた。
「おっと、すまない。脱線してしまった。話を進めてくれ」
「はい。今回は録音用の機械も持ってまいりましたヨ」
「ごめんなさい。それはとても嬉しいのだけれど、うちの国はお金がないから買えないのよ」
とても面白い機械だが、これを買うのなら食糧を買いたいと女王は思った。
「いえ、今回は前回のお礼なのですヨ。前回、陛下のお父上から絹糸を譲って頂きましたヨ。その絹糸は我が国の姫様の婚礼衣装に使用いたしましたヨ。とてもお喜びになりましたネ。今回は姫様からのお礼を持って来たのですヨ」
「ああ、それで絹糸を見せて欲しいと言ったのか」
王配が言うと商人が頷いた。
絹糸は女王が即位後に復活させた。
女王の父が弑逆される十二年前まではパランゲア大陸中ならそこそこ出回っていた。
しかし蚕の餌になる桑の葉が採れなくなってしまったため養蚕が出来なくなってしまった。
皆、桑の実を採り尽くすだけでなく、食用や薬にするために葉や根、樹皮も取ってしまったため木が枯れてしまったのだった。
なので辛うじて残っていた桑の木の保護と、外国から桑の木を輸入したのだ。
「父が譲ったの?」
「はい。姫様の婚礼の衣装のための材料を探しに来た時に、港付近で素敵な刺繍が入った服を着たご婦人がいましたネ。刺繍自体も素晴らしかったのですが、絹糸の輝きが特に良かったのですヨ。どこの物かと尋ねたらケレース王国の絹糸だと言いましたネ。こちらの大陸には全然入って来ていなかったのですヨ。帰国する日にちが迫っていたので慌ててお願いしに行ったら、是非と言って譲ってくださったのですヨ」
サンジェイは懐かしそうに目を細めながら言った。
「その頃も流通量は多くなかったはずよね」
「そうですネ。元々は陛下のお父上の装束のために用意された絹糸だったのですヨ。それでも、おめでたい事に使うのだからと快く譲って下さいましたヨ」
「そうだったのね…」
「はい。今までお礼が出来ませんでしたので、今回蓄音機を持参いたしましたネ」
商人はにこやかに言った。
「では、これらは頂いていいのね」
「ええ、もちろんでございますヨ。ご即位やご結婚のお祝いも兼ねてですので、全領に置けるように他にも持って来ましたヨ」
「いいのか?運ぶのも大変だっただろう?」
「私は商人ですヨ。きちんと相手に届けるのが仕事ですネ」
「そう、ではこちらの絹糸もお姫様に届けてね」
女王が微笑んで言うと、侍女が絹糸を持って来た。
「おおっ!これですヨ。前に私が見たのと大差ありませんネ」
「ええ、細々と続けている人がいたから、彼らに指導してもらったの。こちらが生糸でこちらが練糸ね。これしか用意出来なくてごめんなさい」
女王がそれぞれの糸を手で示した。
生糸は蚕の繭から取ったままの絹糸のことで、練糸は生糸を精錬したのもだ。
セシリンという膠質成分を草木灰から作った灰汁などで取り除いたのだ。
この精錬をすると絹糸に光沢が出るのだが、取り過ぎると光沢が劣ってしまうので注意が必要だ。
「いえいえ、そんな事はよいのですヨ。ほう…この練糸はまるで女王陛下の御髪のように艶やかですネ!」
「え?」
「そうだろう。俺も常日頃思っている」
「え?」
「流石王配殿下!よく分かっておられますネ!陛下は何か特別な髪油でもお使いでらっしゃるのですかネ!」
サンジェイは鼻息が荒くなっている。
「侍女に聞いてくれれば分かるわ。今は髪担当の侍女はいないけど後で来て貰うわね」
「ありがとうございますネ。女王陛下御用達の髪油は売れると思いますヨ」
サンジェイは完全に商人の目付きになっていた。
先ほどのデザイナーと通ずる物があると思う。
サンジェイは女王が使用している髪油の情報を得て、喜んで帰って行った。
もちろん絹糸も忘れずに。
「…あの喋り方は商売用だな」
王配は苦笑いをしながら言った。
「あ、やっぱり?」
女王も同じように思っていたようだ。
「あの方が受けがいいからだろうな」
「相手によって喋り方を変えているのかしら?王族や貴族相手なら異国の雰囲気を出していた方が特別感が出て、買って貰いやすくなりそうだものね」
「だな。それにしても蓄音機や円盤の作り方の説明書までくれたがいいのか?」
「もしかして、もっと良いのがすでにあるとか?あるいは流通段階に移っているとか…?」
二人は顔を見合わせる。
「ありそうだな…」
「まだ売れそうな物の作り方を流したりしないものね。この大陸で作らせたいのね」
「で、あちらは新しい商品を作ると」
「こちらも何かあったらいいのだけど…」
あったらいいが、今は考えている暇はない。
迫りくる災害に備えねばならないのだ。
ノーブセーラシアはラテン語で新しいという意味のnovusとユーラシアEurasiaを合体させました。名前を考えるのって大変…。