71.逃走
とても耳障りな音がすると思ったら、自身の呼吸音と心拍音と体の節々が軋む音だった。
昔だったらこんな道でも簡単に追手を撒けたのに、疲労と加齢で足が、いや、体中が上手く動かない。
動かせない。
思考がついていかない。
ただ、走って逃げるとだけ強く思い、手足をなんとか動かした。
「ゼハァ…ゼハァ…、んぐぅ、クソォオ」
首謀者はケレース王国全土の主要道路と、国の南側の地形を覚えている。
今いる東領もどちらかといえば南側に属しているので、ある程度把握している。
「くっ……」
振り返ると遠くで草が揺れるのが見えた。
まだ追跡されているようだ。
首謀者は追手は一体何者なのだと思った。
ただのセマルグル人だと思ったのに、一緒に馬車にいた人物も只者らしからぬ動きをしていた。
首謀者と殺し屋が手練れだと気付かないほどの腕前を持つ人間がいたとは驚きだった。
馬車を乗っ取り王都ではなく南下させようとしたのに、焦りや疲労からか完全に読み間違えた。
「ッ、クソッ…!」
そろそろ川が流れている場所に出るはずだ。
川を渡らず川を上り、別の道から南東領に入る。
これで犬での追跡も出来なくなる。
そしてしばらく潜伏して出国の機を狙う。
先に南東領に友人が行って待っているはずだ。
殺し屋には悪いが、二人で逃げさせてもらう。
追手をまくために二手に分かれ、自分達は南領から東領に、友人は南領から南東領に入ったのだ。
「はぁ…はぁ…」
川に入ると、棒のようになった足を冷やして気持ちが良かったが、そんな感傷に浸っている場合ではない。
首謀者は絶対に追手から逃げ切ると心に誓った。
オレグは首謀者の後を追っていた。
首謀者はかなり慣れた様子で森の中を走って行った。
「見かけのわりに身軽だし逃げるのが上手いな」
足の速さや持久力ですぐに追いつけると思っていたが、なかなか追いつけなかった。
首謀者は木々の合間を抜けたり、倒木を飛び越えたりしてどんどん進んでいっている。
だが、オレグは見失わないようにしっかりと視界の先に捉えていた。
「お!」
首謀者の服の切れ端があったので、犬に追尾させる時に使えるだろうと思いしっかりと回収した。
「あった方が後ろから追いやすかったか?まぁいいか」
足跡が残されているので問題ないだろうと判断した。
いくら木々が生い茂っていると言ってもそこまで密集していない。
葉を繁らせている草木もあるが、枯れたり、細い木も多い。
国民は食べ物を求めてあらゆる物を口にしたらしいので、木も例外ではなかったのだろう。
「お?」
オレグは視線の先で森が途切れているのに気付いた。
「川か。なるほど。追跡させないためか」
だが、いずれは川から上がらなければならない。
そこから犬を使えばいいが、特定するのは時間がかかるだろう。
その間に逃げられてしまうのは避けたい。
「ん?」
オレグが川に入らずに河岸を走って行こうと思っていたら、どこかから指笛の音が聞こえた。
「イリヤか?」
誰かの指笛によると、この先に進むなと言っている。
「川があるだけじゃないのか?」
穏やかな川のように見えるが違うらしい。
「ケレースは山ばかりだから……崖か滝か?」
考えても実際に見ないと分からないので、オレグは指笛の主と合流することにした。
オレグも指笛を吹き、自分の位置を知らせた。
指笛は後退せよとの事なので、来た道を走って戻っていると馬に乗った人物が見えた。
イリヤが馬車の馬を借りたのかと思ったが、髪色や服が違った。
「お!マクシムじゃないか」
「お久しぶりです」
オレグは元同僚がいたので驚いた。
マクシムは馬に速歩をさせ、オレグはそのまま走って森を移動した。
「嫁さんとは上手くやってるか?」
「そんな話をしている場合じゃないでしょう。敵を追わねばならないのですから」
マクシムの声が思ったより動揺したので、オレグは変わったなと思った。
以前の彼なら鼻で笑うだけだっただろう。
からかう暇はないので、オレグは話を進める。
「心当たりでもあるのか?」
「ええ、イワン殿下とケレース王国内の各地を巡ったので、その時にこの国の地理を覚えました」
「抜け道を知っているってわけか」
マクシムの性格を考えると、細かい道まで覚えているのだろうとオレグは思った。
「ええ。あの川の支流の近くから道が伸びているんです。川から行くより、元の道から行った方が早いでしょう」
「滝か何かがあるのかと思ったが、そうか。先回りか。探しに行く前にこの国の兵を呼ばないとな。出来るか?」
オレグは倒木の下をくぐり、マクシムは馬を飛躍させた。
「はい。念のために陛下から書状を預かって来ましたので、領兵に見せれば協力して貰えるでしょう」
「じゃあ先に行って兵を借りてきてくれ」
「分かりました。オレグさんはイリヤさんと合流してください」
「おう」
オレグはマクシムの背中と馬の尻を見送りつつ、自身もイリヤ達に合流すべく元の道に出た。
オレグが馬車に向かおうとしたら、それらしい馬車がやって来た。
王都方面に向かわずに戻って来たらしい。
「お、オレグ!取り逃がしたのか?マクシムに会ったか?」
オレグが馬車に乗り込むと、先ほどの男が馬車の床にうつぶせに寝かされ、その背中にイリヤが乗っていた。
男は猿ぐつわの他に目隠しもされている。
ピクリとも動かないので気絶していると思われる。
「マクシムは領兵に協力を求めに行った」
「そうか。取り逃がしたなんてことになったら、殿下の顔に泥を塗っちまうから、なんとしてでも捕まえねぇとな」
「ところで、外にいる兵士達とそちらの男性は誰だ?」
身なりが良く姿勢もいい、自分達より少し年上そうな男性がいた。
「護衛対象の恋人だろ」
イリヤが言うとメリッサは小さく頷いた。
「兵士をつれて迎えに来たのか。兵士をつれて来られる身分ってどんなだよ」
しかも傭兵や民兵ではなく、王城勤務の兵だろう。
彼らを護衛につけられる身分となると貴族ぐらいだろう。
「マクシムもいたしな」
現在は一般人であるマクシムをわざわざ呼べる人物とはと、イリヤとオレグは不思議に思っていた。
「私はエドアルドといいます。マクシム殿は彼女を護衛をしているイワン殿下の部下達と顔見知りだろうとのことで、将軍殿が頼んでくださったのです」
「エドアルドさんは将軍とも知り合いなのか?いや、本当に何者なんだ?」
「いえ、今はそんないい身分ではないですよ」
エドアルドは困り笑顔を浮かべた。
「気になるなぁ」
イリヤとオレグはニヤニヤと笑い、メリッサははっきりと言わないエドアルドに首を傾げた。
「本人が言わないなら外の兵士に聞いてみるか」
オレグが馬車から顔を出して、並走している兵士に尋ねた。
「おーい、中の御仁は何者だ?……え?」
「オレグ、どうした?」
オレグが真顔になって戻って来た。
イリヤはオレグの顔色が変わっていたので、何を聞いたんだと不安になった。
「今までの非礼をお詫び申し上げます。まさかこのような場に宰相閣下がお出ましになるとは露程も思っておりませんでした」
「ふぁ?宰相?!」
オレグの言葉を聞いてイリヤは間抜けな声を出した。
そしてもう一人声を上げた人物がいた。
「え?エドアルド、貴方宰相だったの?」
「いやいやいや、なんで恋人が驚いているんですか?」
皆が驚く中、エドアルドはため息をついた。
「言い出しにくくて……。それに今は宰相ではないです。降格させられました」
「降格って何したんだよ……ですか?」
「そりゃあ、宰相のままだと恋人を迎えに行けないから、上の判断でしょう。粋ですねえ」
宰相の上といえば女王と王配しかいない。
「はい。お恥ずかしい話です。今は宰相ではないので敬語でなくていいですよ」
「陛下や殿下も頭が柔らかくていらっしゃるのだな」
「ちょっと待って。えっと、今は違うけど前は宰相だったの?お若い人が宰相になったって噂で聞いていたけど、貴方だったなんて」
メリッサはケレース王国に歴代最年少で宰相になった男性がいると噂で聞いたのだが、まさか恋人のエドアルドだとは露ほど思っていなかった。
しかし思い返してみれば、就任前と後で手紙ではぐらかすような内容が増えていたような気がした。
「黙っていてすまない……」
「言い合うのは後でにしてくれ。町に着いた。悪人を捕まえないとな」
オレグは真面目な顔で言った。
メリッサが馬車内から町の様子を覗くと、東領の領兵が集まって来ているのが見えた。
イリヤとオレグはマクシムの先輩です。なので丁寧語を使っています。
少しでも面白いと思ってくださったら、評価とブクマをお願い致します。更新の励みになります!




