62.南領の騒乱
広場は大騒ぎになっていた。
最初は爆発音か何かがしたと思った直後、馬が両前足を上げて嘶いた。
人が慌てて宥めようとしたが、馬は後ろ足だけで立ち上がって鳴くのをやめない。
皆が大きな音と暴れ馬に混乱していたら、今度は何処から来たのか分からない鼠の大群が足元をうろついた。
音や馬で大して驚かなかった人達も、これには悲鳴を上げた。
そして、人々の悲鳴を聞き、また馬が暴れ出す。
「よし、逃げるぞ!」
「ええ」
中年女性と痩身男性は人混みをかき分けながら走り出した。
小柄な男性や他の者達も走り出した。
ただヴィオレッタは訳も分からず取り残された。
「ごめんなさいね……」
中年女性は自身でも聞き取れないような、とても小さな声で呟いた。
ヴィオレッタを見捨てて逃げると決意したのだ。
少なくとも次の光景を見るまでは。
「あ……」
中年女性の目には暴れる馬と、その先にいる小さな男の子が映った。
金髪の男の子だ。
このまま行くと馬と少年は確実に衝突する。
中年女性は自分でもよく分からないが、どうしようと思う間もなく体が勝手に動き、少年の方に向かっていた。
たった今、逃げると決心したのに足が動いてしまったのだ。
「おい!」
痩身の男性に制されたが、彼女はそのまま少年に向かって走っていた。
彼女にも理由は分からないが走っていた。
ただ、誰かと少年の姿が重なって見えたが、誰なのか彼女にも分からない。
「チッ!」
痩身の男性は彼女を振り返りもせず、雑踏の中に消えていった。
「やはり南領で騒乱があったのね」
知らせが届いたのは女王と王配が就寝する直前だった。
南領領主は早馬を出したのだ。
本来ならどんなに頑張っても丸一日はかかるのだが、予め東領側に連絡してあり有事の際に馬を貸して貰えるように言ってあったらしい。
大噴火による降灰の警戒をケレース王国内全土に知らせた事による、残党らの動きは予測していたので、驚きはしなかった。
「騒ぎは収まりましたが、虫や鼠は捕らえ切れていないようです。人間は何人か捕らえたそうです」
火急の用事であれば、宰相だと王族の寝室に入れる。
女王と王配は上着を羽織り長椅子に腰掛け、宰相は普段着のような服を着て立っていた。
「おそらく実働部隊で、首謀者や黒幕じゃないわよね」
「ええ、そうでしょうね。中には人相書きの人物もいたようです」
捕まった者の中には、身代わりの人物に食事などを運んだ者もいるようだ。
「必ず全て吐かせてね」
「もちろんです。すでに南領で厳しく取り調べられていると思います。取り押さえる際に何人か怪我をしました。それでですね、そのうちの一人はかなり酷い怪我をしているようです」
「そんなに抵抗したの?」
犯人が激しく抵抗したのなら、負傷しても仕方がないと女王は思った。
出来れば誰も怪我をして欲しくないが、こればかりはどうしようもない。
「違うようです。馬と衝突した際に、何でも頭を打ち付けたようで意識不明のようです。他にも何ヶ所か骨折をしたようですね。最初は無関係の人物を思われていましたが、変装をしていたようで、化粧を落とすと元劇団員の女性でした。通行人の子どもを庇ったとの証言があります」
「子どもを?」
「目撃証言では。それで、南領ではこの女性を死亡と発表しました」
「そうね。女性に計画をバラされたと思い、計画を変更されたら大変だもの」
女王は中年女性の意識が回復したら、計画を聞きたいと思っている。
後は首謀者達が中年女性が生存していると知ったら殺しに来るかもしれないので、死んだと言っておいたほうがいい。
中年女性の命を守るためでもあるが、他の誰かが巻き込まれないためでもある。
「意識が回復したら、人相書き作成を手伝わせるそうです」
「素直に協力するかな?」
「子どもを助けたのだから、何か心境の変化があったのかもしれないわよね」
女王はそうだと信じたかったが、王配は納得していないようだ。
「各国境は閉鎖しているはずですので、首謀者と黒幕はまだ国内にいるでしょう」
「捕らえた者達を徹底的に絞って、洗いざらい白状させてくれ」
「司法取引をしてもいいから、何が何でも聞き出して」
「………」
女王がこう言うと、王配は黙ってしまった。
「私は拷問は推奨しないわ」
「俺は仕方ないと思う」
「セマルグルではやるの?」
女王はじろりと王配を見た。
「表向きではしていないし、したと報告されていない」
「拷問まがいをしているってことね」
「……南領領主に判断を任せましょう」
女王と王配が言い争いになりそうだったので、宰相は止めた。
宰相は王配からセマルグル王国で拷問が行われているともとれる発言されたので、冷や汗が出てきた。
「ええ、そうね。彼なら懸命な判断をしてくれると信じているわ。それで不審死した遺体は調べ直した結果はどうなったの?」
「はい。西領と南領に依頼しましたが、調査に時間がかかると予想されているため、降灰に備えたいとの理由で遠回しに断ってきました」
「もっともな意見だわ。負担をかけるわけにいかないわよね。捕まえたいからって突っ走ってしまったわね」
「……腐敗や白骨化しているだろうしな」
残党達は何ヶ月なのか何年なのか分からないが、ずっと水面下でこそこそと動き回ってきたと考えられるので、そのくらい前から邪魔者や不要になった者は消されていただう。
と言うことは遺体もそれだけ腐敗および白骨化している。
しかし、最近処分された者なら遺体が損壊していないかというと、今は夏なので腐敗がかなり進んでしまっているだろう。
殺された男を見つかりやすくしたのは、顔の判別がしやすいようにしたと考えられる。
「完全に骨になっていればいいけど、骨になるまでの途中だったら想像しただけでゾッとするわね」
「宰相は骨になる途中の遺体を見たことあるのか?」
「ええ、一部白骨化していたご遺体の検死を見学した事がありますよ」
宰相は表情を少しも変えず、いつも通りの顔で言った。
女王と王配はその様子を想像しそうになって、慌てて止めた。
「……ねぇ、学生の時に使っていた教科書や専門書ってまだ持っている?」
女王は小説で出ていた専門知識を知りたかった。
「ええ、持っております。時々読み返したりしております」
「もしよかったら、今度私に貸してくれないかしら?」
「構いませんよ」
王配は二人の会話を黙って聞いていたが、その表情はやや険しかった。
その後、話は終わり宰相は彼の屋敷に帰って行った。
彼が去るのを無言で見送り、一分ほど経った時だった。
「ああそうだ。宰相に確認したい事があったんだ。ちょっと追いかけてくる」
王配が何かを思い出したようで、長椅子から立ち上がり寝室の戸へ向かって行った。
「確認?ええ、いってらっしゃい」
女王は疑問に思いながらも、王配を見送った。
王配は寝室から出ると廊下の奥に宰相がいるのが見えたので、早足で追いかけた。
「待ってくれ」
「殿下、いかがなさいましたか?」
「エレオノーラに教科書類を貸さないで欲しい」
「……何故です?」
「分かっているだろう。エレオノーラがマルゲリータ王妃の死因を知ってしまったら、どれだけ悲しむか。俺はそんなの見たくない」
王配は女王の両親の遺骨を見た時に、王妃の死因を推測していた。
「陛下はもうご存じですよ」
「なっ、死因を伝えたのか?」
「違います。ご自分で気付かれたのです。おそらくですが、骨に残された傷で判断なさったのでしょう」
宰相は辛そうな表情をした。
宰相は自身が女王に彼女の母親の死因を伝えなかったことで、彼女自身に見つけさせてしまったのを悔いていた。
少しでも女王の苦痛を和らげようと思ったので、あえて死因を言わなかったのだが、結果として女王は自分自身で探し出してしまった。
その時の気持ちを考えれば考えるほど、胸が痛くなる。
「そんな……」
「陛下からの願いなので、私は明日渡そうと存じます。王配殿下、破いたり焼いたり埋めたりなさらないでくださいますよう、何卒よろしくお願い致します」
宰相は冗談のつもりで言ったのだが、王配には嫌味のように聞こえた。
そう言われても仕方ない行動したと思っているので尚更だ。
王配は肩を落とし、とぼとぼと寝室に戻った。
女王は王配が帰ってくるのを長椅子に座って待っていた。
彼は一体、宰相に何を確認しに行ったのか。
(教科書の話を出したときの表情からすると、貸すなって言いに行ったのよね。私に直接言えばいいのに、わざわざ宰相に適当な言い訳をさせて止めさせなくたっていいのに)
女王はため息をつきざるを得なかった。
(アレクセイが何を考えているのか分からないわ……)
女王はまたため息をついたと同時に、王配の足音が聞こえてきた。
行った時とは少し違う音のような気がした。
「ただいま」
「ええ、お帰りなさい。確認は出来た?」
「ああ」
「よかったわね」
「ああ、俺は随分と勘違いをしていたようだ」
「そうなの?だけど、確認出来たのだからもう大丈夫よね」
「そうだな」
やはり、王配は元気がない。
女王は足音で気付いていたが、こんなにも落ち込んでいるとは思っていなかった。
「アレクセイ、私はちゃんと仕事もするし、本を読むのに集中してアレクセイを放っておいたりしないわよ」
「ん?」
「今、宰相に本を貸さないように言いに行ったのではないの?」
「そうだが、理由は違うぞ?」
一瞬、耳の良い女王に会話が聞かれていたのかと思ったが、流石にあの距離では無理だろうと王配は考え直した。
「え?じゃあ何が理由なの?」
「……エレオノーラは何故法人類学の知識を得たいんだ?」
「何故って…。そうね、私も手伝えたらいいなって思ったの」
「そうか。だが、付け焼き刃の知識では間違えてしまうかもしれないぞ?余計に手間がかかってしまうだろう」
「そうね。少し浅はかな考えだったわね」
「志は良いと思うがな。よし、もう寝よう。明日からより忙しくなるだろう」
女王は王配に手を取られ、心の中で嘘を詫びながら寝台に向かった。
王配も嘘を吐いたのだから、女王だって嘘を吐いてもいいだろうと思ったのだった。
最近、考えていたネタを少しずつ話に取り入れています。




