43.悩みは尽きない
「もっと近い国で記録された資料も見たいな」
王配は記録絵図をめくりながら言った。
オーケアノス王国からだと、この大きさが精一杯のようだ。
見えると言えば見えるのだが、噴煙や溶岩が描かれていなければ島があると認識しづらい。
「忙しいでしょうからお願いは出来ないけれどね」
よりイグニス島に近い国から見た様子を知りたいが、どの国も他国を気にかけている暇はないだろう。
「そうだな」
そう言った王配は机の上に絵図の束を置いた。
「……どうしたんだ?」
王配が女王の顔を覗き込むと、彼女の長い睫毛が動いた。
「え?何が?」
「妻の元気のなさに気付かないわけないだろう。エレオノーラは元々落ち着いた性格をしているが、それくらいは分かる」
王配は心配するように女王の頬に手を添えた。
「いつもの考え込みすぎのやつよ」
「人に任せておけ。皆頼りになる人達ばかりだ。先生も上手く話をしてくれているそうじゃないか」
「そうね」
「そうだ」
ここで会話が途切れてしまったが、少ししてから女王が口を開いた。
「考えてもどうしようもないのに、どうして考えてしまうのかしらね。はぁ…」
「何も考えない奴よりマシだろう」
「直感で動ける人って凄いわよね」
「それまで経験してきた物の積み重ねで出来る技じゃないか?」
「……だから私は動けないのね」
もともと元気のなかった女王はさらに元気がなくなった。
女王は自身の今までの人生を思い出したら、直感で動けるようになる気配がなかった。
「エレオノーラ、俺も直感で動くなんて無理だからな?」
いざとなると体が固まってしまったりするのだ。
「……いつもこんな話ばかりでごめんなさい」
「悩みを話してくれて嬉しいよ」
「アレクセイの悩みって何かないの?」
王配が女王の悩みを聞いてくれたように、女王自身も彼の悩みを聞き力になりたいと思った。
「うーん、そうだなぁ……」
王配は意味ありげにチラリと女王を見た。
「私が可愛すぎるとかはやめてね」
「なんだ、分かっていたのか」
王配は嬉しそうに笑った。
彼は一緒に過ごすうちに、互いの思考が一致するようになったのが嬉しいようだ。
「私もアレクセイのために何かしたいのに…」
「では、口吸いをしてくれ。それで大体の悩みは解決する」
「もう……」
女王は王配の唇と自身の唇を合せてすぐに離した。
王配としてはもっと長くしていたかったが、女王からしてくれたのでそれで十分だった。
「これでいい?本当に悩みはないの?木材の運搬状況とかは気にならないの」
王配は名残惜しそうに女王の唇を見たが、すぐに彼女の青い目に視線を移した。
「祖父上が手配してくれた物だな。特に問題は聞かないよな」
「ええ、運んでくれたセマルグル王国の方が、少し増設や補強を手伝ってくれたと聞いたわ」
「祖父上には感謝だな」
「お祖父様ありがとう。国内は順調に対策出来ているのよね?だけど、他に何か出来るんじゃないかって考えちゃうの」
女王の頭の中には次々と不安が沸き起こってしまう。
「備えあれば憂いなしと言うが、備えすぎて身動きが取れなくなるのはまずい」
「臨機応変にすればいいのよね」
口で言うのは簡単だが、やるのは難しい。
「そのためには各地、各部署との連絡を素早くしないとな」
「雨が降らないといいわね。水を含むと火山灰は固まっちゃうのでしょう?」
「ああ、主要街道はすぐに清掃、整備しないとだよなぁ」
「指示はしてあるけど、人が足りるか心配だわ」
心配事も山ほどある。
女王はため息をつきたかったが、ぐっと我慢した。
自身のため息を聞いたら、更に不安になりそうだからだ。
「元が少ないからなぁ。出来ると信じるだなんて楽観的なことは言えないし困ったな」
「考えすぎて萎縮して、始まる前から疲れちゃういそうだわ」
女王がふぅと息を吐いたら、すぐに王配が喋りだした。
彼の顔はいつに増して凛々しく、とても真剣そうだった。
「それはよくない。もう寝よう。よし、寝台まで運ばせてくれ」
「えっ」
翌日、女王と王配は先生と話す機会があった。
三人は女王の執務室で話を始めた。
女王と王配は応接用の長椅子に腰掛けていた。
「陛下がご指摘なさった通り、前将軍ヴィットリオ氏の妻は彼が簒奪者の悪事に加担しているとは知らなかったようです。ましては知らぬ間に人質に取られているとは思っていなかったそうです。人より恵まれた生活が出来ていたのはヴィットリオ氏が優秀だからだと信じていたからだそうで、他の者の家族も同様のようです。ですので、現在は自分達も罪を償っているつもりで日々を過ごしているようですね」
先生は静かに、淡々と言った。
「うーん、何人も処刑されているのに何も疑問を持たなかったのか?」
王配は不快に思ったのか、凜々しい眉毛を逆ハの字にして頭を捻った。
「ええ。当時は法を犯したから処罰されるのだと思っていたそうです」
「処刑されるほどの罪を大勢が犯したと?呆れるしかないな」
王配は長いため息をついたら、女王が口を開いた。
女王は俯いてしまったので彼女の表情は王配から見えなかった。
「真実を知るのが怖かったのではないかしら?だから頑なに信じた。信じるしかなかった……」
女王の声はいつもより低かった。
「自分の都合のいい内容しか信じないのか…」
「麻痺していたのでしょう」
「そうね。いつ自分に不幸が降り注ぐか分からない生活をしていたら、麻痺してしまうかも…」
「そうか…。明日処刑を言い渡されるかもしれない生活を送るのは、体験した人にしか分からない恐怖だろうな」
「そんな暮らしはもうさせたくないわね」
「もちろんだ」
先生は知人や友人がある日突然、処刑場に連れ出されたのを語り出した。
連れ出された理由は簡単だ。
先生をおびき出そうとしたのだ。
「なので私は早めに国外へ逃亡したとの噂を流してもらいました」
「将軍も指名手配されていたのよね?」
「はい。彼は国内中を移動し、わざと痕跡を残したりしていたそうですよ」
頻繁に出没情報を流していたようだ。
本人は潜伏していたが、彼を慕う者達が行動していたようだ。
「それを知ってしまったら、尚更ああいう態度になってしまうのかもしれないわね」
先生自身も手足を片方ずつ失っており、車椅子で生活している。
「ああ、受刑者の家族達か。うん、まぁそうだが、やり過ぎはよくない」
「私からも陛下のお気持ちを伝えておきましたので、今後は大袈裟なお礼や挨拶はなくなると存じます」
「ええ、先生ありがとう。私から言わなくてよかったのよね?」
「あの者達も陛下から直接言われるよりも、私を挟んでの方がよかったようです。陛下が直接伝えてたら何人か倒れて医務室に運ばれていたでしょう」
先生が伝えた時も何人かよろめいたらしい。
「…そんなに?みんな大袈裟よ」
「王様はそんなに気安い存在じゃないからだ」
王配の父は温厚篤実であるが、誰それ構わず気安く話しかけたりしなかった。
「ええ、殿下のおっしゃる通りでございます」
「お父様もそうだったの?」
「はい。と言いたいところですが、フェルディナンド様もマルゲリータ様も分け隔てなく侍女や兵士にもお声をかけておりました」
「じゃあ――」
良いのではないかと女王は続けようとしたが、即座に先生に遮られた。
「そのせいで処刑された人数を増やしてしまったのではないかと私は考えております」
先生は厳しい顔つきをしている。
「どうしてだ?」
「陛下のご両親はとても慕われておりました。簒奪者がまずしそうな事とはなんでしょうか?」
「そうか…自分の敵になりそうな人達を消していくのか」
「……」
王配と先生の言葉を聞き、女王は俯いて黙るしかなかった。
「残念ながらそうなのです。陛下、もうこんな恐ろしい出来事は起きないですが――」
「俺が起こさせない」
今度は王配が先生の言葉を遮った。
「ええ。陛下、どうか距離感を見誤らないでください。仲良くするのが悪いのではないのです。仲良くなりすぎてはいけないのです」
「エレオノーラと仲良くなった者が嫉まれるかもしれないしな…」
王配は女王とした友人の話を思い出していた。
貴族だったら身を守るのは難しくないが、平民だと難しい。
「分かったわ」
「きつい言い方をしてしまい、申し訳ございませんでした」
「いえ、はっきり言ってくれて感謝するわ。先生ありがとう」
先生が退室し侍女達も気を利かせて執務室から出て行ったので、室内には女王と王配の二人だけになった。
「エレオノーラ……大丈夫か?」
「ええ、平気よ」
平気と言うわりに、女王の顔には血の気がなかった。
「…俺はいつも余計なことばかり言ってしまう。友人についてもそうだ」
「そんなっ!私が言い出したの。アレクセイは励ましてくれただけよ」
「うん、じゃあお互い様というのでいいかな……?」
これ以上話していても長引いてしまい、二人とも疲れてしまうので話を終わりにした。
「そうね…アレクセイもありがとう」
「では、口吸いを……」
王配は自身の顔を女王の顔に吐息がかかる距離まで接近させた。
「アレクセイは口吸いが好きね」
「エレオノーラが好きなんだ。エレオノーラとの口吸いが好きなんだよ」
王配が必死そうに言うので、女王は不思議に思い眉根を寄せた。
「そうなの?」
「そうなんだ。というわけで……」
王配はさらに自身の顔を女王の顔に近づけたが、彼女の顔と触れあうことはなかった。
女王が立ち上がってしまったのだ。
「仕事がまだ沢山あるから頑張らないといけないわね!アレクセイも頑張ってね!」
王配も立ち上がって女王の顔を見下ろす。
「いや、口吸いをだな……」
「え?何?」
「エレオノーラの聴力で聞こえないはずないだろう。なんだ照れているのか?そんなところも可愛いのだがな。うん」
王配は自分で言って一人で納得しており、何度も頷いている。
「照れてなんかないわ。仕事しないといけないからよ」
そう言いつつも女王は自分の頬が熱くなっていくのを感じていた。
「そうだな。俺も仕事をしないといけないとな。では今の分は夜に持ち越そう」
「えっ」
「では、エレオノーラまた後でな」
王配は颯爽と去って行った。
とても軽やかな足取りで、そのまま踊り出しそうに見えた。
まだこんな感じで続きます……。




