38.猫師匠
王配は愛馬に揺られながら、必死に女王の待つ王城に向かった。
ルカは心配げにいつもと顔色が違う王配を横目で見た。
「殿下!休憩なさいますか?!」
ルカが王配に聞こえるように大声で言うと、王配は声を出す元気もないのか手を横に振り必要ないと示した。
「具合が悪くなりましたら、すぐにお申し付けください!」
ああ、と王配の口元が動いたように見えた。
そのまま東領と王都の境に到着し、記者を保護しに行っていた兵士と合流し東領の兵士達と警護を交代した。
結局のところ、王配は一秒でも早く王城に戻りたいらしく昼食以外で休憩を取らなかった。
昼食も食べるには食べたが、いつもの量を食べられず水を多めに飲んでいた。
「後どれくらいで着く?」
「もう少しで城下に入るでしょう」
言ったのは記者を保護しに行っていた兵士のうちの一人、ダニエルだ。
ダニエルも女王が塔から脱出してすぐに王族専属の警護兵士になった。
他にも脱出後すぐに女王の警護を任されたのはマッテオとパスカーレと言う兵士がいる。
彼らは現在女王の警護をしており、若手の中で期待されている四人だ。
「思ったより早かったな」
「はい。順調でございます。殿下、ご気分はいかがでしょうか?」
「通常通りとは言えないが、大分回復した。心配かけてすまない」
「もう少し速くなさいますか?」
女王に早く会いたいであろうから、ダニエルは聞いてみた。
いつもならもっと飛ばしているのだ。
「いや、アイズベルクの負担になるだろうから、このままでいい」
「分かりました」
女王はもうじき王配が帰ってくると思うと気もそぞろになり、いつもと同じ作業をしているのに手が止まりそうになった。
そして我に返って必死に手を動かすのを何回か繰り返した。
侍女達はそんな女王の様子に既視感を覚えていたので、特に問題にしていなかった。
(最初になんて声をかけたらいいのかしら?久しぶり?お疲れ様?とかかしら?何かの小説には、お帰りなさい。ご飯にする?お風呂にする?それとも私?って書いてあったわ。ご飯…食事とお風呂は分かるけど、私って何かしら?……会話かしらね。そうよね。久しぶりに会うんですもの。沢山お話したいわよね)
きっとそうだと確信した女王は、中央領の報告書を読み進めた。
ダニエル達と別れて王城に戻った他の兵士が届けてくれたのだ。
(これで少し改善するといいのだけど…。北東領は前将軍達のおかげで作業が進んできたみたいだけど、西領と中央領はこれからだものね。北東領で作業が終わったら派遣した方がいいのかしら?だけど距離があるものね。そ、その間に前将軍達に恨みがある人に襲撃されたら大変だもの…。やはり北東領だけに留めておきましょう)
「陛下、猫を見に行く時間でございますよ」
必死に考えていたら、侍女のリンダから声をかけられた。
今日はダニエラとアンナはいない。
明日に備えると言っていたが、一体何かあるのだろうか。
「はっ!そうだったわね。猫さんを見に行かないと。初猫さんね。楽しみだわ」
女王と侍女達は厩舎に向かった。
女王は事前に図鑑で猫を調べたり、侍女達に聞いたりして猫について予習しておいた。
王城から出て渡り廊下に出た。
ここで、女王はマスクと手袋を装着した。
「これで大丈夫かしら?」
女王が着用したのは頭巾型ではなく通常のマスクだ。
マスクは女王の顔の下半分をしっかりと覆っている。
「ええ、大丈夫だと存じます」
そのまま渡り廊下を歩き、厩舎前に到着すると若い獣医が待っていた。
「陛下、お待ちしておりました。猫は現在寝ております」
「起こしちゃっていいの?」
「そろそろ、縄張りを見回る時間なので目覚めるかと思われますので、それを待ちましょう」
厩舎の中に入ると様々な馬がくつろいでいた。
その中には将軍の愛馬ネーヴェもいた。
「陛下、昨日ネーヴェの妊娠が分かりました」
「本当?アイズベルクさんのとの子よね」
「ええ、もちろんです。二頭はとても仲がいいですから」
「ネヴィスキオもお兄さんになるのね」
ネヴィスキオはアイズベルクとネーヴェの長男だ。
「そうですね。ネヴィスキオは人を乗せる訓練を開始したそうです。と言っても本格的ではなく、将軍殿の息子のテオドロ君にちょっとだけ乗せているだけなんですけど」
テオドロはまだ十歳だが、筋がいいのでたまに兵士達に交じり乗馬の訓練をしている。
ネヴィスキオはまだ成長段階なので人を乗せない方がいいが、子どものテオドロならば乗っていいと判断されたようだ。
大柄の将軍によく似て、テオドロも同じ年の子と比べたら背が高いのだが、大人と比べるとまだ小さいのでネヴィスキオの負担が軽い。
「では、ご案内いたします。いつもあそこの箱に入っているんですよ」
若い獣医は厩舎入り口から覗きこみ、隅にある木箱を指さした。
「今もいるかしら?」
「先に行って見て参ります」
そう言うと、若い獣医は早足で木箱に近寄っていった。
馬達はそんな彼の行動を不思議そうに見ていた。
「陛下、体調はいかがでしょうか?」
リンダは心配そうな顔をしている。
当然ながらリンダや他の侍女達はマスクをしていない。
「今の所なんともないわ。くしゃみも出ないわね。マスクのおかげかしら?」
前に乗馬に来た時はこの辺りでもくしゃみをしていたなと女王は思った。
「陛下、猫がおりましたよ」
こそこそと戻って来た若い獣医がひそひそと言った。
「起きていた?」
「はい、寝ぼけ眼でした。見回りに行くのかもしれませんので、早く行きましょう」
女王と侍女達は、若い獣医について行った。
馬たちを大きい体なのに臆病なので脅かせてしまわないように、いつもより侍女の数が少ない。
「陛下、こちらでございます」
「これが猫……」
若い獣医が手で示した先には猫がいた。
猫はいつも見ない顔がいるので、何事かと目を見開いて驚いている。
「毛が長くて縞々なのね…。あなたも女の子?」
「ンナー」
「ええ、そうですよ」
「本当に狼と全然違うのね。可愛いのは同じだけど…」
猫は目元しか見えない女王に少々警戒している。
「陛下、猫じゃらしをどうぞ」
「ええ、ありがとう」
女王はリンダから猫じゃらしを受け取った。
「ご自分でお作りになったのですか?」
「そうよ。侍女達に聞きながら作ってみたの。大丈夫かしら?」
良さげな木の棒を拾い、頭巾を作った時に出た布の切れ端をつなげてみたのだ。
「ええ、問題ないと存じます」
若い獣医は豪華なはたきっぽいなと密かに思った。
「ええ、では……縞々猫さん、これで遊びましょう」
「……」
猫は何とも言えない顔をして、猫じゃらしを見ている。
「お気に召さなかったのかしら?」
女王は緩急をつけて猫じゃらしを振った。
止めてみたり、素早く動かしてみたり、ゆったりと振ってみたりしてみた。
猫は見てはいるが、手を出してこない。
「……」
猫は猫じゃらしに見向きもしないで、木箱から抜け出て見回りに行ってしまった。
「猫じゃらしの改良が必要みたいね。それとも、もっと動かし方の練習が必要なのかしら?」
女王はとても真剣に考え始めた。
実際に猫じゃらしの布を摘まんで確認している。
「猫は気まぐれですから、そんなに気になさらなくても大丈夫でございますよ」
若い獣医は特に猫師匠はそうだろうと思った。
子狼との遊びには付き合っていたのは、おやつが貰えるからだ。
そうでなければ、あんなに嫌そうな顔をしながら遊んでやらなかっただろう。
「…ついて行ってみてもいいかしら?」
「え、ええ、大丈夫ですよ」
若い獣医は一瞬子狼を思い出してしまっていた。
親が迎えに来てくれたのだから、今頃安心して暮らせているだろう。
「えっと、いつも通りならあちらの方に行ったでしょう」
「獣医の部屋の方角ね」
「ええ」
獣医の部屋の前に行くと猫は戸の前に座っていた。
若い獣医を見つけると、早く戸を開けろと言わんばかりに睨みつけている。
「中に入りたいのね。おやつが欲しいのかしら?それとも……」
女王が言いかけてやめた言葉は、若い獣医ももしかしてと思った言葉だ。
だが、そんなはずないとも思う。
あんなに嫌そうな顔をしていたのに。
戸を開けてやると、猫は部屋の中を確認していた。
「見回りっていつもこうなの?何かを探すみたいにするの?」
女王は猫の見回りを知らないので、こんなに探し物をするかのように周囲を確認するのか疑問に思った。
「いえ、これははじめて見ますね…」
若い獣医は、そう言えば猫を部屋に入れるのは数日ぶりだと思った。
「そう…」
女王達は猫と群れに帰った子狼を思い、下を向いた。
「ニャー」
すると、猫が女王に話しかけるように鳴いた。
「どうしたの?」
「ニャー」
猫は子狼が寝ていた場所を前足で軽く突いた。
ここにいたのはどうしたのだ、と言っているようだった。
「…あの子はお父さんとお母さんが迎えに来てくれて群れに帰ったのよ」
「ニャ」
「あの子はもう一人じゃないのよ」
「ニャア」
「あなたが面倒を見ていてくれたのよね。私からもお礼を言うわね。ありがとう」
「……」
猫は何も言わずに部屋から出て行った。
その背中はなんだか寂しそうにも見えたし、せいせいしたようにも見えた。
だがやはり寂しそうに見えてしまうのは、見ている人間の感情を映し出しているのだろうか。
猫師匠は不審な人物に出会った!




