35.約束
「これは上げて落とす作戦ね!彼らの常套手段よ!」
女王は凜々しい顔で常套手段と言ったものの、例の新聞社の今までしてきた話を聞いて推測しただけである。
「あり得ますなぁ」
女王の話相手をしていたのは先生だ。
二人で子狼に会いに行こうとしていた時に連絡が入ったのだ。
「でしょう?私は騙されないわ。すぐに記者を見つけ出さないと…。まだアレクセイに接触していないのよね?」
「はい。そのような報告はされておりません。殿下には警護の人数を増やしましたので、接触は難しいでしょう」
宰相は素早く対応してくれているようだ。
「ふむ。ならば大丈夫でございましょう。殿下ならば簡単に口を滑らす事もないでしょうし」
「黙っていたら、あれこれ好き勝手に質問しまくるんじゃないかしら?それでアレクセイが不快な思いをしてしまうのは嫌だわ」
「ほほっ。そんな感じの小説をお読みになったのですかな?」
先生は孫を見るかのような笑みを浮かべている。
「ええ、そうなの。もしかして現実だと起きていないの?変な発想だったかしら?」
「いえいえ、その作者も取材をしているでしょうから、実際にあるのでしょう」
「やはりそうなのね。…うーん、偽の情報を流しておびき出そうかしら?」
女王はどこかで聞いた作戦を言った。
「ふむ。確かに姿を現す可能性が高いですね。何でしたら、偽ではなく実際に殿下の視察先の情報を流すのはいかがでしょう?」
「近寄ってきた所を捕らえるのね。…待って、帰り道で待ち伏せしたら確実にアレクセイと遭遇出来るわよね」
女王はゴソゴソと地図を広げ、王都と中央領を繋ぐ街道を指さした。
「ああ…失念しておりました。そちらの方が移動の労力もいらなさそうですしね」
「では、街道の警備を厳重にして記者の注意を引きつけて…アレクセイには別の道を使ってもらいましょう」
「殿下には迂回をしていただくのですか?」
「ええ、そうよ。いつもの道ではなく、南下して東領に入って東領から王都に入ってもらうの」
女王は先ほどとは違う道を指でなぞった。
「上手くいくとよいですなぁ」
「恐らく軍でもその案が出るでしょう。では東領側に連絡を入れておきます」
「お願いするわね。…ふと思ったのだけど、アイズベルクさんは健脚だから記者を振り払えるんじゃないかしら?」
「そうですけど、お供の者達が記者に捕まるかもしれません」
「それはまずいわねぇ。ではやはり迂回をしてもらうしかないわね。街道にはカゲムシャに行かせるとか…」
女王は遠い国の言葉を使った。
誰も来ないと怪しまれるので、誰かに王配役をやってもらうのだ。
「良い案でございますね。さて陛下、そろそろ子狼に会いに行きませんと。獣医達の予定も色々あるでしょうし」
「そうだったわね。最後になってしまうかもしれないし…」
狼を見かける頻度が上がってきたのだ。
「楽しみですねぇ。私はまだ子どもの狼を見たことがないのですよ」
「先生でもまだ未体験なものがあるのね」
「もちろんでございますよ。まだまだ未知の出来事の方が沢山あるのです。より多くの物を見聞きしてみたいものですなぁ」
先生はニコニコと本当に楽しそうに笑った。
「…そうよね。もっと世界を知られたら、知見が広がるのかしら?小説だけでも色々知識を得られたけど、それだけじゃ駄目よね。実際に見聞きしないと、五感を使わないと、古い物も新しい物も知られないわ。本だけじゃ頭でっかちになっちゃうわよね」
「陛下…」
「あ!頭でっかちになるほど、知識はないのだけれどね」
女王は困り笑顔をしながら言った。
「陛下、そのお年でそれが分かっておいでなのですから、心配なさらなくても大丈夫でございますよ」
「一生気付かない人もおりますからね」
先生が笑顔で言うと、宰相がため息をつきながら言った。
「本人はそれで幸せでしょうけど…」
「周囲の人間は…厄介な人の相手は大変でしょうなぁ」
先生は一瞬だけ、どこか遠くを見つめた。
「…な、何があったのかしら?」
「私が若造だった頃の体験ですよ。ささ、陛下、可愛い子狼に会いに行きましょう」
「ええ…」
女王は先生に何があったのか聞きたかったが聞けなかった。
先生が恩師に会う前の話だろうか。
ちなみに恩師とは、宰相の曾祖父である。
「陛下、ジュゼッペ殿よくぞいらっしゃいました」
「久しぶりね」
「お邪魔いたします」
獣医達がにこやかに出迎えた。
それと同時に子狼も女王に気付き駆け寄って来た。
「ワウッ!」
「まぁ!起きていたのね。少し大きくなったのね」
子狼は女王の足元にやって来たので、女王はしゃがんで子狼を見つめた。
「おお!なんと可愛らしいのでしょう!」
子狼はゴロンと転がり女王に腹を見せた。
撫でて欲しいのだろうか、子狼は目が輝いている。
「ほう、完全に陛下に懐いておりますな」
「ううーん、だけど人間の匂いがついちゃうから撫でてあげられないのよ。ごめんね」
子狼は嬉しそうに女王を見つめているので、女王は胸が痛んだ。
「陛下、こちらをお使い下さい」
獣医は女王に狼じゃらしを渡した。
彼らが使っていた物に少々手を加えて見栄えをよくしたようだ。
「これは?」
「これは猫じゃらしならぬ、狼じゃらしです。獲物を捕らえる練習をさせようと開発いたしました。上下左右に振っていただければ、子狼が反応すると存じます」
「上下左右に…。こんな感じかしら?」
女王は獣医に言われたとおり、狼じゃらしを上下左右に動かして子狼の反応を見てみた。
「ガゥッ」
子狼は女王の振る狼じゃらしに喜んで飛びつこうとした。
しかし、子狼は狼じゃらしに触れられなかった。
「うふふっ!こうやって捕まらせないようにするのよね」
「おおっ!お上手でございますな!」
子狼は女王が動かす狼じゃらしに夢中になっている。
必死に掴もうとするが、寸前のところで躱されてしまう。
女王は巧みに狼じゃらしを使いこなしている。
「ほら、それじゃあ獲物を捕れないわよ」
「ゥウ~ガウッ」
女王は子狼を挑発するように狼じゃらしを動かす。
子狼は何度やっても捕まえられないので不機嫌になってきた。
「グルルルル」
子狼は女王ではなく狼じゃらしに対して唸っているようだ。
狼じゃらしを睨みつけている。
「一度捕まえさせた方がいいの?」
「そうですね。ですが、最後は必ず陛下の手に狼じゃらしがあるようにしてください。そうでないと、あちらの方が偉いとなってしまいます」
「分かったわ」
女王は狼じゃらしを振り、子狼に飛びかからせた。
子狼は両前足で獲物をがっしりと押さえ込んだ。
「上手ね。その調子よ」
女王は獲物の最後の足掻きを再現するために、小刻みに振ってみた。
すると子狼は獲物から両前足を離してしまった。
「駄目じゃない。獲物が逃げちゃうわよ」
「ガゥッ」
子狼はもう一回押さえ込んだが、女王がさっきと同じようにすると押さえ込むのをやめてしまった。
「ほら、ちゃんと仕留めないと駄目よ」
「狩りをするにはまだ早いですからねぇ。まだこの遊びの意味が理解出来ていないのでしょう」
「きょうだいと遊びながら覚えるのよね」
「そのようですね。……陛下、どうされましたか?」
先生は女王の異変に気付いた。
獣医達も何事かと心配そうに女王を見る。
「静かに…何か聞こえるわ。遠吠えってやつかしら?」
そういうと女王はゆっくりと立ち上がり、目を閉じた。
耳に意識を集中させているのだろう。
女王が塔にいる時も狼の遠吠えは聞こえていたが、遠吠えを知らなかったので城の外では普通に起きる出来事なのだろうと思っていた。
しかし王配から遠吠えについて教えられてから、自身の勘違いに気付いた。
「ォオーーン」
女王に倣って獣医達も耳を澄ませていたら、部屋の中にいる子狼が上を向いて遠吠えをした。
子狼の遠吠えは、遠吠えと呼ぶには可愛らしすぎる鳴き方だった。
「あなたも聞こえたのね」
「この子が遠吠えをしたのは初めてでございます」
「そう。…あなたを迎えに来たのかしら?早く外に出してあげましょう」
「はいっ」
獣医の部屋の戸を開けるとちょうど兵士達がやって来た。
「陛下、狼が複数頭現れました!狼が侵入しないように厩舎や建物の扉は閉めております」
「ええ、ありがとう。これから私はこの子を見送るわ」
「陛下、なりません。危険でございます」
先生がいつもより厳しい声で女王を止めた。
「…この子の親やきょうだいだもの。我々がこの子に害をなしたとは思わないでしょう」
「そうかもしれませんが…では、護衛の兵士を増やしましょう」
「それだとあちらも警戒して近寄りづらくなってしまうわ」
「出来ないのであれば陛下は私と共にこの部屋に留まってください」
「だけど……」
女王と先生は膠着状態になりそうになった。
そんな二人を見かねたのか、子狼が吠えた。
「ワウッ!」
「え?どうしたの?」
子狼は女王のドレスの裾を噛んで引っ張った。
「え?何?そっちに行けばいいの?」
女王は子狼にぐいぐいと引っ張られるまま歩いた。
まだ女王の膝にも届かないほどの背丈なのに、すごく力強かった。
どんどん遠吠えが大きくなって来た。
子狼の遠吠えが聞こえたのか、匂いを嗅ぎつけたのか、近寄って来たようだ。
「ガウッ」
子狼は女王のドレスの裾から口を離して小さく吠えた。
「なぁに?家族を紹介してくれるの?」
女王は膝に手を付いて子狼に話しかけた。
対する子狼はお座りをして女王を見上げている。
その目はキラキラ輝いていた。
「どうしたの?もう近くまで来ているんじゃないの?行かなくていいの?」
子狼は小首を傾げた。
「ほら、早く行かないと…」
そう言ったものの、女王は悲しくて仕方なかった。
一度でいいから撫でてみたかったし、抱きしめてみたかった。
なんだったら、ずっと一緒に過ごしたかった。
そんな女王の心情を汲み取ったのか、子狼は女王に寄り添った。
「ありがとう。優しいのね。だけど、もう家族の所に行かないと駄目よ」
「ワウッ」
「あなたが行かないなら私は帰るわね。…そうよね。私がいたらあなたを迎えに来られないわよね。申し訳なかったわ」
「ガウゥゥゥ」
子狼は立ち上がり、再び女王のドレスの裾を口で引っ張った。
子狼が引っ張る力は先ほどよりも力強かった。
「え?何?もしかして私を群れに連れて行こうとしてるの?」
「ワウッ」
子狼はそうだと言わんばかりに小さく吠えた。
「あなたと私じゃ住む世界が違うのよ。私は人間で、あなたは狼なの。それに私は一応王様でね…、この国の人のために仕事をしないといけないの」
子狼は女王の様子から群れに来てくれないのだと理解したらしく、しょぼんとしだした。
「そういえば、狼は女の子でも頭領になれるの?あなた女の子でしょう?人間は女でも頭領になれるのよ。この国ではまだまだ女の頭領は少ないけど、世界には沢山いるんですって。あなたも狼の頭領に…」
「ガウッ!」
女王の問いに間髪入れずに子狼は吠えた。
「なるの?」
「ワワゥッ!」
子狼はくるりと一回転して吠えた。
「じゃあ約束ね。私はこの国の人間の、あなたは狼の群れの頭領で頑張りましょうね」
「ガウゥッ!」
女王が足元の子狼から視線を前方に移動させると、一頭の大人の狼が立っていた。
女王の聴力でも狼の足音は分からなかった。
大人の狼は子狼とよく似た毛の色をして、目や鼻の付き方が同じで凜々しい顔をしていた。
よく見ると奥にはもう一頭狼がいる。
より大きな狼なので群れの頭領だと思われる。
「お父さんとお母さんが迎えに来てくれたみたいね」
女王が言葉が分かったのか、子狼は振り返り一目散で母狼の元に走って行った。
「よかったわね…」
子狼は母狼と再会を喜び合い、スリスリと頬ずりをしている。
父狼はゆっくりと二頭に近づき、その様子を見守っていた。
存分に再会を喜び合った後、三頭は静かに森の中に帰って行った。
女王は三頭が見えなくなった後も暫く森を見つめていた。
女王のドレスの裾がボロボロになったので侍女達は悲鳴をあげました。
もふもふ……




