28.狼の目撃情報
「ガウッ!」
子狼の食いつきはかなり良かった。
獣医達は以前なら話しかけていたが、今は話しかけない。
情が移りそうだし、子狼にも人間を信用して欲しくなかったからだ。
女王が王配に叱られて子狼を構わなくなったが、獣医達にも叱ってくれる人が必要になるのではないかと頭に過ぎった。
「ガガウッ!グルルゥ~」
子狼は唸り声を出し、遊ぶのに夢中になっている。
もっと大きくなってしまったら人間の力では制御出来なくなるだろう。
正確に言えば調教すればそれは可能だが、飼うのではなく自然に帰すので調教はしない。
「そう言えば遠吠えしませんね。このくらいの大きさだと、もうするのではないですか?」
保護されたばかりは丸っこかったが、全体的に大きくなりマズルも伸びた。
まだまだ可愛らしいが、少しだけ精悍さが出て来たようだ。
「聞いたことがない、やり方を知らないのかもな。我々で教えた方がいいのだろうか」
「やってみましょう。…おほん、僭越ですが私めが手本を…」
若い獣医が深めに息を吸い、遠吠えの真似をしようとした。
「失礼いたします」
兵士が部屋に入って来た。
いつぞやの兵士ではなく、王城内勤務の兵士だ。
「んごほぉおっ!ゲホゲホッ」
「え、大丈夫ですか?」
若い獣医が盛大にむせり出したので兵士は困惑している。
「…私が聞こう」
獣医が戸の前に移動した。
若い獣医は咳は止まったが涙目になっており、子狼は何事かと首を傾げている。
「はい。つい先ほど王城の近くに狼の目撃情報が出ました。群れではなく一頭だったようです」
「分かった。ありがとう。ただの一匹狼か、それとも親が探しに来たか…。引き続き監視を頼む」
「はい」
兵士は戸を閉めると駆け足で戻って行った。
女王にも同じ情報がいっているのだろう。
「この子を外に出しますか?」
「どうしようか…。群れは隠れているかもしれないからな。念のため全ての建物の戸を閉めて、王城から離れたところで放してみるか」
獣医達はすぐに各所に連絡して、子狼を箱に入れて人気のない場所に移動した。
狼から攻撃されたら大変なので、一応武装した兵士にもついてきてもらうことにした。
後は狼が嫌がりそうな匂いのする物を瓶に入れて持って来た。
獣医はいざとなったらこれを撒いて逃げようと考えているようだ。
「ここって…」
若い獣医は見た事のない景色に驚いていた。
森のようだが、その中に人工物がそびえ立っていた。
「陛下が幽閉されていた塔だそうだ。ここならば王城から距離があるから大丈夫だろう」
塔はポツンとそこに建っていた。
塔には蔦がウネウネと這っている。
ここに来るまでの道は、道と呼んでいいのか分からないほど草が生い茂っていた。
以前ならば女王の世話をする侍女達が整備していたが、今はその必要がなくなったのでやっていないのだ。
獣医は箱から子狼を出してやった。
子狼は見たことがない景色を不思議に思ったのか、周囲を見渡し匂いを嗅いでいる。
「我々は離れていよう」
人間の匂いがしたら狼は近寄って来ないだろう。
「はい」
獣医達は子狼から離れて近くの草むらに隠れた。
子狼はいつも遊んでくれる猫師匠がいなくて寂しそうだった。
「来ませんね」
「そうだなぁ」
獣医達は小声で話した。
子狼はその場から動かずに箱を存分にかじって破壊し、その後は疲れて眠ってしまった。
結局夕方になっても他の狼は来ずに、獣医達は兵士達に警護されながら子狼と共にいつもの部屋に戻った。
「警戒されているのでしょうか」
「もっと離れていた方がいいのかもな。だが、他の肉食動物に目を付けられたら困るからどうしたものか」
狼といえども幼体であると他の肉食動物達の格好の餌食になってしまう。
そうなったら子狼にも悪いし、なにより女王が倒れかねない。
そうすると、自分達の心が痛むのと医師や侍女達から責められるのといくつもの災難が起こる。
「長期戦になるかもな」
まずは狼達の警戒を解かなければ。
「そう、今日は自然に帰せなかったのね」
女王は残念な気持ちもあったが、まだ子狼に会えるとほっとしてしまった。
「目撃された狼は一頭だけなのよね。どんな様子だったの?」
「はい。何かを探っているようだったそうです。子狼と毛色がよく似ているので同じ種類なのは分かりますが、同じ群れの狼かは不明との事です」
「そう、分かったわ。ありがとう」
「はっ!」
兵士は下がって行った。
「子狼ちゃんの家族だといいのだけど…」
最後になるかもしれないから子狼に会いに行こうか悩んだが、公私混同な気もするので控えようと思った。
きっと大きくなっているはずだから、いつしか作ったケープは小さくなっているのだろう。
作っただけになってしまい勿体ないが、いずれ出会うかもしれない誰かのために棚にしまってある。
「ああ…この書類達に目を通さないと…」
各領からの報告書を確認する。
書式が統一されているので、とても見やすかった。
どの領も準備は着実に進んでいるようだが、十年間で被害が大きかった西領、中央領、北東領は他の領より準備が遅れているようだった。
この三領には連合国軍を多めに配備していたが、今回のイグニス島噴火のために連合国軍の兵士達の派遣を終了させたため、人手が足りないのだろう。
女王は中央領の領主でもある王配を呼んだ。
「こんな時間になんだ?もう夕食の時間だろう」
「ええ、後少しだけ。…中央領の準備が若干遅れているみたいよ」
女王は執務用の椅子に座ったまま、目の前に立っている王配に報告書を渡した。
「ああ、校舎の方に人が取られているからな。災害時にそこを避難所にするから、頑丈にするのに時間がかかっているんだろう。西と北東も遅れているのか…。北東には前将軍達がいるだろう?彼らは今何をしている?」
「最初と変わらず木材関係よ。伐採したり運搬したりするだそうだけど、その時に川を使うそうね。丸太をそのまま流すのでしょう?それの管理も任されているそうよ」
「木材はいくつかセマルグルから届くから、その任を…じゃないな、刑務作業を別の内容に変えられるか?」
王配は彼らの働きぶりから思わず任と言ってしまった。
「可能だけど、どの領にまわすの?そのまま北東領?」
「ああ、それでいいだろう。中央と西は…近隣の領から兵を借りられるか?」
「難しいわね。中央は王都から貸せるけど、そうすると警備が手薄になってしまうから官吏達から反発が起こるでしょうね」
「駄目か…。だよな…。他も同じだろうな…。八方ふさがりだな…」
「楽団員と劇団員に慰問を名目にして手伝いに行かせる?」
「彼らは肉体労働が専門ではないのだから無理じゃないか?彼らにも役目はあるのだから、それに専念させるべきだろう」
そもそも人数もさほどいないので、戦力にはならないだろう。
それに慣れない作業で怪我をし、本業に支障が出てしまうのはよくない。
「そうよね。…はぁ、西と中央はどうしたらいいのかしら?宰相と相談してみるわね」
「それがいいだろう。それはそうと、新年の祝いはどうするんだ?それに俺たちの結婚記念日もあるだろう?」
パランゲア大陸は南半球にあるので、夏に新年を迎えるのだ。
王配の出身国では新年を盛大に祝う行事はないが、国によっては一ヶ月かけて祝ったりする。
「忘れていたわ…。控えめにお祝いすればいいかしら?」
昨年は女王と王配の結婚式が年末に近い時期だったので、そのまま延長で新年を祝った。
一昨年はまだ物資が乏しかったので、国で何か大きな催し物はしなかったが、国民は各々で祝ったようだ。
その前は娯楽を禁じられていたので、何もしなかった、と言うよりかは国民は生きるだけで精一杯だった。
「やはり忘れていたか…」
「ごめんなさい…。その…疎くて…」
「ん…いや…いいんだ…」
女王が本当に申し訳なさそうにするので、王配は気まずくなった。
女王の育った環境を考えたら、疎くなるのも当たり前だった。
「申し訳ございません。私達がきちんとお祝いをしていれば陛下も記念日などを祝う習慣が身についておられたでしょう」
「そんな!私の世話だけで大変だったんだから仕方ないわ」
王配は悔いた。
侍女達が自身を責めるに決まっている。
女王と二人きりの時に言えばよかったと奥歯を噛みしめた。
女王自身へも、もう少し配慮すべきだった。
「今年は言葉だけを発表して、その中で降灰に備えるように述べよう」
「ええ、そうね。収穫が始まる作物もあるから、のんびり過ごせるわけではないけど、新年はお祝いをしたいわよね」
「エレオノーラ、その…さっきはすまなかった。侍女達にも悪い事をしてしまった」
「そんなっ、謝らないで。…私が日にちを気にしなさすぎだったのよ。今だって周りの人に言われないと分からないんだもの」
女王はまだ塔の外の生活に馴染めていないのだと痛感した。
「塔の中だと気温ぐらいでしか季節を感じられなかったのか?」
女王が暮らしていた塔の部屋には窓はあったが、明かり取り程度のものだったので空しか見えなかった。
「そうね。たまにダニエラとアンナが花を飾ってくれたけど、それくらいかしら?衣服や寝具で季節を感じるくらいだったかしらね」
「食べ物は?旬の物が出てくるとかは?」
「そういえば、気にした事はなかったわね…。大体いつも同じような食べ物だったから…。今が不思議よ。いつも違う食事なんだもの」
塔にいた頃はいつもほとんどパンと豆のスープだった。
野菜が入っていれば良い方で、ごくたまに魚や肉が入っていたりした。
ダニエラとアンナが女王の健康を案じて野草などを使ってサラダを作っていた。
「そうか…」
女王は王配の表情が暗くなったので、言わない方が良かったのだと思った。
だが、なんと答えたら王配に心配かけないですむのか分からなかった。
はぐらかしたら、根掘り葉掘り聞かれるのではないだろうか。
王配とは全然違う環境で育ったので、何を言っても変に思われるだろうと考えた。
「…これから知っていけばいいのよね」
「そうだな。落ち着いたら、色んな所に行こう。なんなら王都の端にある、あの丘の上に行くか?」
「アレクセイが帰ってしまう前に一緒に行った丘ね…。駄目よ。思い出したら悲しくなっちゃうもの」
「俺はたまに中央領に行くぐらいだ。もう何処へも行かない。…さては子狼を気にしているな?」
女王は別れが怖いのだ。
「すごい。どうして分かったの?」
「そりゃ夫だからだな。明日一緒に会いに行くか?」
「アレクセイ、明日から中央領に行くのでしょう?いつ行くの?早朝じゃ子狼ちゃんも寝ているわよ。獣医達を起こすのも悪いわ」
「あ…そうだった」
現実では晩秋なのでモフモフが恋しい季節になりましたが、作中では夏に向かっています。




